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【モロッコ旅行記】旅立ちからホストファミリー宅まで

2022年7月23日、成田空港から飛行機へ乗り込みモロッコへ旅立った。
初海外一人旅、初途上国、初アフリカでわくわくだった。

このnoteはモロッコ旅行の記録を忘れないように、かつこれから先また海外に渡航する際に持ち物的なもので役立つように書いておきたいと思ったので書いていく。


なぜモロッコ

「モロッコ行くことにした!」と友人らに伝えると「なぜモロッコ?」と疑問を投げかけられることが多かった。

・フランス語が話され、かつアラビア語も使用されていること
・広大なアフリカ大陸の中で、地中海世界とも近く比較的安全だと思ったこと
・エジプトかモロッコか迷ったときに、やはり言語が通じる(フランス語)ことに安心感を抱いたこと

というようなことが主な理由だった。

モンゴルではなくモロッコ

環境というものは恐ろしいもので、周囲に国際的事象に興味のある人や、アフリカに興味のある人が多いと感覚がマヒしてしまう。
「あたし、今度モロッコ行くんだよね!」と言ったとき、「え、あのゲルがあるとこ?」と聞かれた。それはモンゴルである。
「モロッコってアフリカにあるの!?ってことはアフリカに行くの!?」とびっくりされもした。モロッコ、すごく身近に感じていたけれど世間の認識なんてそんなものなのか、と思った。

前置きが長いよという感じなので旅行記に移る。

いざモロッコ

うちの両親は「好きにしなさい、でも死なないでね」としか言わないありがたい親なので、よくある 女一人でアフリカ!?やめなさい!!みたいなひと悶着は一切なかった。本当にありがとうお父さんお母さん。
ただ、祖父母がめちゃくちゃ心配していた。両親が怒られたらしい。
「好きにしてね、でもお金も出さないよ」という親でもあるので、今回の旅費はバイトで稼いで溜めていた貯金と、父親からの借金で賄った。(あとおじいちゃんおばあちゃんから少しお小遣いもらった。ありがとう)

せっかくだから現地の暮らしを楽しもうと思い、ネットでモロッコのホームステイ情報を探した。すると、日本にも支店のある語学学校がホストファミリーのアレンジメントもしてくれるプログラムを提供していた。
語学学校での授業一日3コマとホストファミリー宅での寝床、朝夜二食付きかつ空港からの送迎込みで1060ユーロだった。
円安の最中だったので日本円にして15万円くらい。フランスで2週間滞在するよりも安いかなと思った。

難航する荷造り

モロッコは砂漠だから乾燥している、イスラム教が主流だから長袖マスト。そんなことが旅行ガイドやネットの記事に書いてあった。2週間分の服(といっても洗えばいいかという感じで2日分の洋服と1日分の部屋着しか持って行ってない)と長袖長ズボンはかなりかさばった。しかもあまり長期旅行に行く経験がないので、自分の持っているスーツケースではキャパオーバーであることに気づいた。加えてホストファミリーへのお土産も持っていく必要がある。インスタでみんなにおすすめを募ったら、ねるねるねるね・ハイチュウ・源氏パイ・などなどが挙げられた。とりあえず買ったけど源氏パイがめっちゃかさばった。
しかも向こうはイスラム教徒、ハラール認証が無ければ食べられない可能性が高い。まあでも、食べられなかったら語学学校でみんなに渡そうと思って無理やりスーツケースに詰め込んだ。

旅が始まる

7月23日、父親に最寄り駅まで送ってもらって旅がスタートした。バスタ新宿から成田空港へのシャトルバスに乗った。

ポイント!
お昼ご飯を行く途中のコンビニで買えなくても、バスタ新宿の中にコンビニがあるので焦らなくて大丈夫。
ここで多めに食料を買っておくと長旅及び現地に着いた際に日本食が食べられる

高2のオーストラリア修学旅行以来の成田空港。わくわく感と共に日本を旅立つことに悲しみを感じて心が泣いてた。たった3週間の別れだけど。

今回はエティハド航空を使用した旅になる。事前にオンラインチェックインを済ませておいたら、長蛇の列に並ぶことなく荷物を預けることが出来た。そのため出発まで3時間くらい時間が出来て、困った。

円を少しユーロに変えておいた方がいいよ、というネット記事を見たので空港内の両替屋さんで両替をした。高かったので事前に別のもっとレートの良いところを使うべきだったと後悔した。

暇を持て余していたので、父親のゴールドカードのファミリーカードで空港のラウンジを使った。セレブの気分だった。

缶ビールが一つ無料になるらしいけど、アルコールが飲めないのでドリンクバーでジンジャーエールを飲んだ

そんなこんなで搭乗した。

座席にアラビア語が書いてあってテンションが上がった。”ただ勉強している言語”が、”実際に使われている言語”へと変わった瞬間だった。

自分の席は一番後ろの窓際。普通に後悔した。隣に2人座るので、好きなタイミングでトイレに行くことが出来ない。「あのー…すみません、ちょっとトイレ行っていいですか…」とおずおずと聞く必要があり、これがとてもストレスだった。

ポイント!
一人旅の時は窓の外の景色よりもトイレを優先しよう!通路側一択!

東京から乗り継ぎのアブダビ空港まで9時間くらい。寝たら着いた

飛行機降りてバスに詰め込まれて空港まで運ばれる。ここまではまだ日本人を始めとしたアジア系の人が多かった。

シャワーが付いてるトイレにびっくり
トイレットペーパーもホルダーに入っているのではなくそこら辺においてある。

アブダビ空港でのアウェイ感

乗り継ぎでカサブランカ行きの飛行機を待つ。53番くらいのゲートだったけど、さっきまでいたアジア人がゼロになった。
あたりはヒジャブを被ったムスリム女性やアラブ系男性ばかりになった。コロナ禍で日本では新規感染者数が最高記録を更新する中、マスクをしている人の方が少ない。ゴホゴホ言ってる人とかもいて怖かった。
英語、フランス語といった言語が全く聞こえず、アラビア語の世界になってしまった。
心細すぎて泣きそうになった。みんな怖い人に見える…
そんな時に「隣座ってもいいですか?」と英語で話しかけてくる男性と出会った。
「どこから来たの?」と聞かれ、日本ですと答える。英語のSpeaking力が皆無なので文法は壊滅的だが知ってる単語を並べつつ話を進める。
どうやらインド人で、これからカタールのドーハに仕事で行くらしい。
「俺日本のアニメ大好き!NARUTO最高!」って言われてうれしくなった。私もNARUTOが小さい頃から大好きで、小学生の頃は忍者を目指して友達と壁を登ったり山を登ったりしてたよ。

「これがカタールとインドのお金、マレーシア(シンガポールだったかも)のお金だよ」とお札とコインをくれた。優しい人間だった。

「言語の授業でインドのお札には15個言語が書いてあるんですよね!習いました!」と言った。
「僕の名前はKushal、ヒンディー語で幸せって意味なんだ」と言ってお札に彼の名前を書いてくれた。お札って文字書いていいのか、とびっくりしたけれど、「私もさちって言います!日本語で幸せって意味!!」と意気投合した。
「WhatApp、やってるかい?」と聞かれた。モロッコに行くから事前にダウンロードしておいて本当に良かった。世界はLINEではなく、WhatAppが主流のようだ。彼が初めてのWhatAppになった。

「もう行かなきゃ、連絡するよ」と別れを告げられ、彼はドーハ行きの飛行機に乗った。

また一人である。しかし緊張は若干ほぐれ、これから私を待ち受けている様々な”新しい”にわくわくしていた。

飛行機に乗る。今回も窓際一番後ろ。後悔しかない。隣には子連れのお母さんが座った。
モロッコ人らしいが英語を話してくれたので、最低限のコミュニケーションは取れた。しかも子供用のたべっこどうぶつみたいなクッキーを私にもくれた。優しい世界である。
しかし、夜の時間でもあったからか彼女たちは寝てしまい、トイレに行くことが出来なくなった。
この座席を選択した過去の自分を呪うとともに、急遽帰りの飛行機の座席を、通路側に変更した。

着いたよモロッコ

空港でのひと悶着

なんやかんやモロッコに着いた。
英語表記など一切無い、まさに”異国の地”である。

まずはモロッコで使用されているディルハムに日本円を両替すること、SIMを手に入れることが重要課題だ。

空港の換金所に行き、「Je voudrais changer YEN à Dirham…」的なことを言ったが多分文法も使用すべき動詞も間違っていたと思う。
容姿がアジア系、かつ片言のフランス語なので、こちらがフランス語で話しても向こうは英語で返してくれる。英語も大して使えないけど。
どうにか頑張って30000円をディルハム(確か2070ディルハムくらい)に交換することが出来た。これでもう無敵である。
ディルハムは、200札、100札、50札、20札、10コイン、5コイン、2コイン、1コイン、1/2コインのラインナップです。

余ったディルハムを自宅にて撮影

どうやらディルハムは持ち出し禁止(=両替ができない)のようで、使う分だけ両替した方がいいです。
が、市内にあった両替所では売ったときの換算円が表示されたのでもしかしたら円やユーロに戻せるかもしれない。

続いてSIM。
Orange SIMとMaroc Telecomが有名な会社。Orange SIMはフランスの会社で、モロッコの後フランスに行く予定だったから、フランスでも使えるのならOrange SIMの方がよくない?と思っていた。窓口のお姉さんに聞いたら「インターナショナル的な何かに変えないと使えないよ」と言われた。
Maroc Telecomの方がカバーされている範囲が大きいというのを聞いていたので、「ごめん、向こうの話聞いてきます」と謝りながら向かいのMaroc TelecomでSIMを購入。
1か月か3週間で10GBで100ディルハム(1300円くらい)だった。
他に、5GBと電話3時間?かなんかも100ディルハムだったけど、多分電話する機会はないと思ったので10GBのを購入。
お店の人が繋がるようにしてくれるので、購入後すぐに使えるようになった。良かった。

さて、ホストファミリーの家に滞在する予定で、空港の送迎オプションを付けた私。けれど、その送迎の人とどこで待ち合わせをするのか知らず、「語学学校のプラカードに名前が書いてあります」と事前にメールで案内されていたが、それらしき人はいなかった。
やばい、迷子だ、とパニックになる私。とりあえずスーツケースを回収し、空港内をうろうろ。
到着出口を出たところにインフォメーションカウンターがあったので、「日本から来ました。人と待ち合わせしてるんだけどどこで待ち合わせするのかわからない。語学学校の緊急連絡先はあるけれど、電話が通じない…」と訴えると、なんと受け付けのお姉さんが電話をしてくれた!
めちゃくちゃ優しい世界じゃん…と感動していると、「普通待ち合わせは空港の出口でするよ。行ってみて」と言われたのでガラガラスーツケースを引きながら、ついにモロッコの外気に触れた。

モロッコ 気候
で検索すると、「砂漠が近いため、乾燥しています!保湿クリームなどを持っていきましょう!」的な文言がどのサイトにも表示されている。
しかし、着いたカサブランカ空港は海沿いの都市。すごく湿気ていた。日本みたいな感じだった。

空港出た真ん前の写真

あたりを見回していると、向こうから男の人が手を振ってきてくれた。語学学校の送迎担当の人だった。この時点で到着予定時刻から1時間が経っていた。
「遅くなってごめんなさい!待ち合わせ場所がわかんなかったんです」というと、「全然大丈夫!気にしないで。さあ行こう!」と駐車場へと促してくれた。良い人。

初めてのモロッコ、初めて見るものばかりである。現地の人が見慣れたナンバープレートも新鮮なものである。
ナンバープレートにアラビア語が書いてある!!と驚いていると、どうやらモロッコではアラビア語アルファベットによって、その車がどの地域の車なのかを判別出来るよう。日本の”八王子123”とか、”世田谷123”みたいなのをアルファベットで表記しているみたい。

車にスーツケースを乗せてくれた時、彼は「بِسْمِ ٱللَّٰهِ(ビスミッラ!)」と言っていた。「せーのっ」的な感じで。
おおお、本当にイスラーム世界に来たんだ…と一人感動する私。

車を出発させ、今回の滞在先のある首都ラバトへ向かう。

アラビア語→フランス語表記の看板

ホストファミリー宅へ

車を走らせ2時間弱(だった気がする)、モロッコの人たちは、車線を跨いで車を運転していることに気づいた。危ないなーと思った。

ラバトの郊外にある、ホストファミリー宅へ着くと、ホストマザーとホストファザー、そして二人の子供、4歳のアイーシャちゃんと9歳のライアドくんが出迎えてくれた。

とにかく家が大きい。「あなたのほかに、今カナダ人の女の子が滞在してるわ。今日これからイタリア人の新しい子も来るわよ」と言われた。
てっきり1人ホームステイ生活が始まるのかと思っていたので、ほかにも学生がいることにびっくりした。

1階の玄関にある階段を上って、2階が家族の生活スペース。ここで朝と夕食をとる。3階は私とカナダ人の子で使ってと言われた。とにかく家が大きくてびっくりした。

「長旅で疲れたでしょう。ゆっくり休んで」と、紅茶とお菓子を出してくれた!
左側にあるのはデーツか何かが混ざっているクッキー。暑い気温の中熱い紅茶を飲んだ。

2週間お世話になる自室に戻って、あることに気づいた。
エアコンが無いのだ。どこにも。

ラバトは大体日中30度前後で、湿度は80%くらい。日本みたいな気候の中、エアコンが無いことに気づき絶望した。
私は今年すでに2回ほど脱水症状を起こしていて、暑さと湿気に弱い人間なのだ。
この先不安だなと思いつつも、無いものは無いので汗だくになりながら寝た。
「Sachi~~~~!!」と大きな声で起こされ目覚めると夜21時。19時まで寝るはずがめっちゃ寝てた。夕飯の時間だ。
普通に体調が悪かった。暑さで気持ちが悪く、これはまずいぞ…と思いながら「暑さでやられました…食欲がないです…」とDeepLの日本語→フランス語でホストマザーに訴えた。「水を飲みなさい」と言われた。

初日の夕飯はこんな感じ。リゾットみたいなお米と、モロッコ産の野菜と牛肉が出た。あとパン。
モロッコは野菜や果物が豊富に採れるようで、どれもすごくおいしかった。
初めての滞在先で暑さにやられ、普段よりも食べるスピードが遅くなりモソモソと食べていたら、カナダ人の女の子が帰ってきた。
彼女の名前はパニーカ(パニカかもしれないしパーニカかもしれないしパルニカかもしれない)。インド系カナダ人だった。

私の1歳上で、この時点でもう2か月この家に滞在しているらしい。
彼女はフランス語がペラペラで(カナダは第二外国語として幼い頃からフランス語を学ぶらしい)、とっても良い人だった。
初対面から夕飯までの間で、私のフランス語力がかなり乏しいことにホストファミリーが気づき、かつホストファミリーは英語を話せず、アラビア語とフランス語のみの世界になってたのでパニーカにはとても助けられた。

私がフランス語を理解できないでいると、彼女が英語で教えてくれたのだ。残念ながら英語力も乏しい(理解はできるが話すことが難しい)ので、うまく伝えられているかは謎だけど。
でも、とりあえず大事なのは正確性よりも伝えることだと思い、フランス語、アラビア語(フスハー)を積極的に使って英語に頼るのは最終手段とした。

ホストファザーと話していると、彼はどうやらベルベルの血を引いているらしい。遊牧民族の研究がしたい私はとってもテンションが上がった!
ベルベル人伝統の民族衣装も着て見せてくれた。

一日目はそんな感じで終わった。
暑さに若干の懸念が残るけれど、もうどうすることもできない。
翌日は月曜日なので語学学校が始まる。
期待を胸に抱きながら、寝た。

この先も書いていたのですが、どう考えて文字数が多くて不毛感が出てきました。
以降は別の記事で書きます。

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