一度挫折した私が思うSNSと心穏やかに付き合うために必要なこと
SNSを見て、心がざわつかない人っていますか?
私は、めっちゃざわついていました。
すごいとか、羨ましいとか、焦りとか、もっと言うと、妬み、嫉み…。
あの人はいいよなぁ。
あの人はすごいなぁ。
それに引き換え、自分は…。と。
そんな経験を経て、今ではそんな感情が全く湧き起こってこないと言えば嘘になりますが、あまりSNS上で輝く人たちに対して過剰反応することはなくなりました。
完全に手が止まってしまったあの頃
3年ほど前、全く別の名前で、SNSをしていました。
当時はデザインの勉強をしていたので自主制作したものを載せたり、自分で描いたイラストを載せたりするアカウント(Twitterと Instagram)を持っていました。
その時は、SNS上で交流するということが未知の世界で、何と話しかけて、どうやってお近づきになればいいのかもわかりませんでした。
だから、ただただタイムラインに流れてくるいろんな人の作品や実績を見ているばかり。
そして、自分とは比べ物にならない素晴らしい作品たちを見て、私なんぞがここに食い込んでいけるわけがない。
私は何をしてるんだろう。
私のこんな投稿、誰の目にも止まらないし、何の意味もない。
あぁ、恥ずかしい。
と、完全に手が止まってしまいました。
そこから、時は流れ、まさか、今、イラストレーターという肩書きで、発信をしている自分がいるとは、正直信じられません。
そもそも最初はこのnoteも
育児日記からスタートして、
だんだん育児と仕事の両立を嘆いてみたり、
自分の人間性や価値観も語り出すようになり、
気づけば、自分で仕事を作りたいと意気込むようになり、
そして、一旦イラストレーターというわかりやすい肩書きを名乗って、実際にイラストを描くお仕事をさせていただけるようになりました。
そんな流れの中で、TwitterやInstagramのアカウントをまた新たに立ち上げると、3年前にも見かけて、羨んでいた方々がやはりそこにいて、あの頃と変わらずキラキラと輝いていました。
でも、それを見て、私の心は前ほどまでにざわつくことはなくなっていました。
なぜか。
理由は2つかな。
自分自身が目指している場所がはっきりしている
私は別にフォロワー何万人を目指しているわけでもないし、超有名人になって、超大金持ちになりたいわけでもない。
ただ、私にできることで目の前の人の役に立ちたい。
そのために、まずは、私という存在を知ってもらうこと。
そこから全てが始まると思うから、SNSを活用する。
だから、SNS上のすごい人たちは、「すごい人」として切り離してみられるようになったんじゃないかと思います。
そのすごい人の目指す場所や、SNSを使う目的も、きっと私とは違う。
もしかしたら、同じかもしれないけど、今、「すごい人」と、今の私、とでは、そこに至るまでの道のりが全く違う。
違う道、違うポイントにいる人と自分を比べても何の意味もない。
そう思えるようになって、時々(いや、ほぼ毎日)目にするすごい人も、「ほ〜、すげ〜、」と受け流し、「この人はここに至るまでにどんなことをしてきたんだろう?」ということに興味が向くようになりました。
そもそも、すごいって何?
私自身を認めてくれて、更には応援してくれる人たちの存在
SNSをただ見るだけになってしまっていたあの頃と明らかに違うことが1つ。
それは、私の心のサポーターとも言える方々の存在です。
このnoteでは、「共感しました」とか「勇気をもらいました」とか「救われました」とか、こちらこそです(号泣)としか言いようのない、私にはもったいないほどの嬉しい温かいお言葉をいただくことがあります。
その度に、「あぁ、私はここにいていいんだ」「何か少しでも力になることができたのかな」と思えます。
そして、それがまた、私の次の行動へとつながる起爆剤となります。
他にも、Twitterでは、私の言葉やイラストを拾って受け止めてくれる方々とたくさん出会うことができました。
また、最近始めたInstagram、stand fmも、「これから楽しみにしてるよ」と言ってくださる方が、もうそこにいるという奇跡。
そして、こうやって発信を細々とでも、辞めずに続けてきたから、「一度あなたとお話ししてみたかった」と言ってくださる方が現れる奇跡まで…(号泣鼻水止まらん)
ひとまず、継続。見える世界は必ず変化してくるから。
SNSを見て、いちいち心をざわつかせないためには、
自分自身がSNSを使う理由と目的をはっきりさせること。
気持ちよくお付き合いできる仲間と出会うこと。
そのためには、まずは継続。
別に毎日投稿ができなくたって、辞めずにコツコツ続けて投稿が溜まってきたら、それがきっと未来の何かのきっかけに変わる、はず。
そんな中で、時には、自分自身の弱いところも、ゲスいところも見せて、人間臭くいればいいんじゃないかと思います。
いつもキレイに着飾って、きちんとしているお嬢さまがポロッと弱音を吐く姿に心打たれちゃったりするもんなぁ。
最初から、素敵な出会いに恵まれるわけもないし、すぐに仲良くなれるわけもない。
私という人間を表現するピースが少しずつ出揃って、形になってきて、やっと、お近づきになれる。
(初期の初期に、必要以上に絡んでくる人は逆に要注意だと思う)
何でもかんでも、すぐに結果を求めて、諦めてしまう前に、じっくりゆっくり、自分と向き合う時間を楽しめるかが肝になるのかもしれない。
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