理想の母親像に縛られるな
我が家の次男が、一歳になりました。
私もこの一年よく頑張った!
えらいぞ〜!
あぁ、もう一年経ったのか…と、次男が産まれた日に書いたnoteを読み返してみました。
予定日ぴったりに、スピード出産で爆誕してくれたあの日のことがぶわっと蘇ってきました。
その日食べた病院のご飯をしっかり写真に撮って、載せてて、余裕ありすぎだろオメェと突っ込みました。(2人目だしね)
この頃、ちょうどWordPressでブログを立ち上げた時だったので、出産すらもネタにしてやらぁという気概を感じた。笑
そして、私が次男を産んで一番最初にぶち当たった壁が、「上の子かわいくない症候群」
長男の赤ちゃん返り、強烈なイヤイヤに完全にやられていました。
あれから一年…。
記事を読みながら、長男の成長に感謝の気持ちが込み上げてきました。
今では、ご飯の前や寝る前のお片付けは率先してやるようになり、次男の着替えを用意してくれたり、次男が投げ捨てる哺乳瓶を拾ってくれたり、とても頼もしいお兄ちゃんに成長しています。
一時期は、本当に長男との向き合い方がわからず、どうしてもかわいいとは思えない、私の邪魔をする存在としてしか見れませんでした。
そんな自分自身の長男に対する態度に、後から猛烈に反省して、自己嫌悪に陥る日々。
長男は長男で頑張って環境の変化に慣れようとしているのに、私は一体、何をしているんだ。
そんな想いが常にぐるぐる、ぐるぐる心の中を駆け巡っていました。
今も正直、長男に対して必要以上に厳しく当たってしまっているなと反省する日々です。
でも、ゆっくり落ち着いて振り返ってみると、子どもたちの成長とともに、私も自分の中にあった母親像を塗り替えていっていたように思います。
常に、子どもと同じ目線に立って話を聴ける母親でいたい。
子どもたちが安心して帰って来れる居場所でありたい。
母親になったからには、広く温かい心で子どもたちと接さなければならない。
そんな風に思って、少し無理している部分があったんじゃないかと思います。
でも、私は母親である前に一人の人間で、子どもと同じように感情は揺れ動くし、もっと素直にその感情を子どもたちにぶつけてもいいのかもしれないと思うようになりました。
嬉しいことは、嬉しい。
悲しいことは、悲しい。
嫌なことは、嫌。
私も長男と同じように素直に感情を言葉にして伝えるようになったと思います。
これがいいのか、悪いのか。
正解はわかりませんが、比較的穏やかに日々を過ごせるようになってきているので今のところよしとします。
そして、次男を出産前に書いていたこの記事も読み返しました。
自分の言葉にハッとしました。
今かなり、ワクワクしてるし、この記事を書いたときには想像もしていなかった日常が目の前にあって、変化しかしていない。
何もしなけりゃ、何も起きなくて、それもそれで平和で、幸せ。
何か始めると、変化を乗り越える不安や苦しみと戦わなくてはならなくなる。
でも、それこそが生きる醍醐味なんじゃないか。
脇汗かきながら必死にもがく母の姿を子どもたちに見せていきたいと思います。
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