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雨と散歩、凪らない頭の中

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「食パンは、6枚切りならセーフ」

頭の中で唱えながら食事を作る。そうしてセーブをかけないと、食べすぎてること自体を忘れる。たまにはいいけど、そろそろまずいのだ。

6月の末には、妹夫妻の結婚式がある。主役の2人は挙式に向けて命懸けのダイエット中だ。姉の私がしまりのない体で出席するわけにはいかない!そう意気込んで、というかちゃっかり便乗して、年中行なっているダイエットもとい悪足掻きに、改めて名目づけて臨む。

ウォーキングはだいぶ日課になってきた。最近天気が崩れがちなせいで満足に歩けていなかったが、今日は雨は夕方からの予報だからむしろ涼しくて最高だ…!なんて思ったのも束の間、歩き始めて数分で冷たいものが手に落ち始める。

天気のあやしい日はいつもこう。
出発すると雨が降り始める。解せぬ。

さっきまで頭の中では次なにを書こうというのでいっぱいだったのが、一気に雨に意識を持っていかれる。冷たっ、これしばらくしたら止むのか?いやもっと強くなるか冷たっ、しずくが眼鏡について前が見えん、というか風邪治りかけでこれはまずいのでは?いや冷たっ。

どんどん強くなる雨にあっけなく負け、諦めてUターンする。大人になって車で移動するのが当たり前になると、傘を持っていくのを忘れがちになって困る。子どもの頃はほとんどどこに行くにも移動手段は徒歩だったから、傘を忘れることはなかった。晴れの日も雨の日も片道45分徒歩で登下校してた。こんな気持ちだったっけか…などと物思いに耽ろうとしたが、ただ傘を忘れなければよかっただけの話である。

急に、小学生になったばかりの頃に母がくれた小物入れのことを思い出す。小さな仕切りがいくつもついた、薄桃色で透明なふたのケース。可愛いものが大好きでセボンスターのネックレス(世代)やキラキラした小物をたくさん集めていた私は、このケースが嬉しくてたくさん自分の好きなものを詰めていた。

でも、ご褒美を貰えるほど偉いことはしていないんだけどな…雨の日は歩いて行くのが嫌で、クラスの子は送迎してもらっているのが羨ましくて、たまに隠れて祖父の車で送迎してもらうこともあった。でもそればっかりしてると父に怒られる。だからちゃんと歩いて行ったり、送迎してもらったりを交互に。若干の後ろめたさと嬉しさの混じる私の心を読むかのように、母はたぶんこんなことを言ってた。


「晴れでも雨でも、いつも元気に歩いて学校に行ってくれて、ありがとう。」


歩いて学校に毎日通う、ただそれだけで感謝された。今思えば母は、私が子供ながらに抱えていた、何ともいえない複雑な気持ちを分かっていてくれたのだと思う。親に甘えず歩いて登下校は当たり前、でもその当たり前をやり続けることがどれだけすごいことか、ご褒美という形でそれを私に伝えてくれたのだろう。

しょうもないことで叱られ続けていたあの時の私は「お母ちゃんがプレゼントをくれた!」というのと、ありがとうと言ってもらえた!なんか知らんけど役に立てた!という気持ちでいっぱいで、母の行動の本当の意図はよく分かっていなかった。というか、これが本当に母が伝えたかったことなのかも分からんが、それでも私の中にはやさしい記憶として今でも残っている。

ずぶ濡れで玄関の戸を開ける。家の窓から外を見ると、なるほど、とんでもない雨だ。道行く車は私のことをキチガイかなんかだと思ったかもしれないとか、二度と会うこともないような人に対して余計な心配をする。


こんな感じで、私の頭の中は目覚めてから夜眠りにつく時まで、24時間休むことなく喋り続けている。疲れないのかと言われたら当たり前に疲れるが、やめたらそれはそれで疲れる。本来、人はもっと省エネで生活できるはずなのだけど私にはそれがかえってストレスになるらしい。もしかして、頭の中で余計なエネルギー使ってるから腹が減って痩せないのでは。

よし、明日はちゃんと歩こう。燃やせなかったエネルギーを使うため部屋に誰もいないのをいいことに、必要以上に咳をしてみる。


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