漫画に見られるスーパーマン的要素

日本人の漫画家の多くは、余り実戦経験や格闘経験がないのか、刀を持った主人公などが大将だったり、大将が大将軍として戦うシーンが多い。

実際に、三国志の時代までは、現在のシリア周辺のペルシャ様式の決闘スタイルにより、大将や隊長同士の争いで話し合いが付いたり、勝ち負けや陣地の取り合いが決まったりした時代があった。

合戦の場合、大将や隊長などの一騎打ちに関係なく国家を上げた争いなので、戦術がきちんと存在してる。

例えば、漫画のキングダムでは、しんが刀を振り回すキャラとして描かれている。

始皇帝の時代、秦国が他の国家と大きく違った戦術を持っていたのは分かっており、始皇帝の軍隊は弓を距離に応じて使い分け、最大で300m以上も先から打てるような大きな弓を持っていた事が分かっている。

いんの商王の時代、戦車というものが、中国の戦争でも用いられている。

商王の時代から300~400年後の春秋時代に、孫氏の兵法が伝えられてる事から、田氏・孫氏の兵法書による練兵の基礎が、一般から集めた農民を兵士にする国土の防衛に対し広まってる。

戦争の基本となる地形戦の考えや兵糧と物流を断つ考え、強い相手に勝つための戦術。

漫画の世界では、強者が一人で大勢の敵を倒す描写が描かれている。

実際に、どんなに負け知らずの相手であっても1対3の戦いでは、どんな達人であっても雑兵3人でも倒せてしまう。

それが戦術の基本となってる。

中国では、隊伍(隊を組んできちんと並んだ、その組・列。)5人一組で隊を為し、敵と対峙する時は一人の敵でも5人掛かりや3人掛かりで戦うというスタイルが、兵の損耗率を下げるという考えが春秋時代には出来上がっている。

どんな達人でも後ろに1人、左右に開けて二人を相手にすれば負ける。

三人で同時に攻撃するのは、当たり前の戦術であり、根性論ではどうにもならないものが存在する。

孫・呉の兵法での兵法の在り方は、農民を徴兵し練兵することで国力を強くする考えに基づいて作られている。

沢山の兵を連れ立って動けば、強い軍隊でも負ける事などを記しており、大きな敵と戦う時は、兵糧を突けば食料がなくなり撤退するという基本戦術を作っている。

桓騎将軍の項で、桓騎が農民の村落を襲っている描写が現代風にアレンジされ、勝手に描かれているけど、実際には兵糧を断つことで、敵の食料が尽きることで戦争が終わるという基本に忠実だったのが桓騎将軍が取った戦術。

漫画のキングダムの多くは、作者の妄想に近い描写なので、文献にある農村部を襲った内容などは、兵糧を断つ戦術を意味するものだったりする。

桓騎が3日で黒洋丘こくようきゅうの戦いに勝ったのは、単純に兵糧攻めで敵軍の食料を奪い取り、合戦を長引かせなかったのが実際の戦術の話。

当時は、地元の農民達が雑兵をやってるので、雑兵のコマがなくなれば戦争が終結する。

戦いたくても戦えない状況を作るのは、戦術として当たり前の話。

そういう意味で、日露戦争の203高地の争いで1万人以上の兵死者を出した乃木希典のびまれすけ大将は、指揮者としては無能だった事を意味する。

強行突破せずとも兵糧が尽きるのを待てば、周りのロシア軍の陣地が落ちていた状況から、兵糧攻めで食料や弾薬の補給を断つのが、一番少ない被害で戦争を終わらせる結果に繋がった筈。

地形の不利を人数のゴリ押しの戦術で突破した結果、自分の息子も死なせ自らも切腹して死んだ兵士に詫びる形の責任を自刃することで終わらせた。

当時の上層部の無能に対し、櫻井忠温氏や第11師団所属大隊長として前線で指揮を執っていた志岐守治氏が半目してる事が理解できる。

ただ、日露戦争には、英国や仏国に米国などのオブザーバー(立会)が戦場を傍観しており、日露双方の戦いを迎賓として観覧していた。

その後の第一次大戦で、塹壕戦の突破方法となる戦術やMk1戦車の登場など、塹壕戦を合理的に突破して敵を倒す一つの足掛かりを示したとして、日露戦争は多きな意味を持ってる。

盾による突撃を戦車の装甲による突撃に変えることで、塹壕戦の優位を崩す戦術を作ったということ。

日露戦争では、鉄製の盾を持って敵に突撃する訳だから命がけの特攻だよね。

塹壕戦が特攻に弱い事も日露戦争で分かったんだよね。

その特攻戦の為に開発されたのが、当時の英国陸軍のMkⅠ戦車。
MkⅠ~Ⅴ(1~5)まで開発された。

初期のMkⅠは、全長が 9.9m、後期型Mk Ⅳでは、8.4mに小型化され運動性能を強化してる。

元々が、今の装甲車のようなものなので、鉄板も表面で12mmと薄く、機関砲の弾丸が貫通しない程度の装甲しかなかった。

現代の戦車の1/10程度の装甲しか厚みがない。

エンジンの大きさは、現代のトラックよりも排気量の大きい16,000㏄あってもパワーは108hpと低く、現代の装甲車用のエンジンと比較するとパワーでも1/10~1/30程度のパワーしかない。

ちなみに現在、最新のディーゼル・エンジンは三菱重工が開発した新型装甲車用の3000馬力エンジンが最も高性能なエンジンと思われる。

三菱 装甲車用 3000馬力エンジン

https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/404/404250.pdf

隊伍や人海戦術が持つ意味を理解してないのが、実は自衛隊のショー・イベント。

イベント内のショーという意味で、観客を楽しませる内容なら妥協できるレベル。

ここまで来ると組織の戦術レベルの低さを疑う。

自衛隊にプロレス芸を期待する観衆は少ないだろう。

きちんと強い相手を女性のような非力な相手が柔剣道などの装備で、足元と胸元を同時に三方向から攻撃する事で敵の抵抗を無力化して、一人やられても相手を討ち取るくらいの戦術を見せて欲しい。

ワールドトリガーなどでもそうなんだけど、物質化したりワイヤーとして利用できる内容なのに、紙の重さほど軽いカーボン程度の大きさの武器も作れない。

エネルギーとして飛ばす弾丸もブレードや槍があるのに、やじりがなかったり面白いよね。

例えば、このUMAREXの矢の重量は、僅か11~12g程度。

実は、カーボン製の矢とアルミ製のやじりを使ってるので、もの凄く軽い。

意外と衝突速度と物質の重さが破壊力になる事が知られていない。

例えば、人間がどんなに強くなっても筋力はゴリラ程度の内容だろう。

この50Calのライフル銃は、暴発というか装弾部位が破損する事故が起きてるのでお勧めしない。
バレットM82の映像がなかったので、50Calの威力がどれだけ桁違いなのかを判断する内容。

米軍の装甲車などに取り付けられているブローニング M2A1マシンガンは、鉄板の装甲を打ち抜く弾を連射できる。

戦車を除く殆んどの軽装甲車両の装甲は、12.7mmNATO弾で撃ち抜けるということ。

ワールドトリガーだと、車と衝突してもトリオン体のボディにヒビが入ってるのに、50口径の機関銃でトリオン体が壊れない設定はおかしいんだよね。

漫画家の表現する内容には矛盾が多過ぎる。

大声で怒鳴って突っ込めば勝てるというアホな設定からも分かるように、おそらく普通に殴り合いの喧嘩もしたことがない人達なんだと思う。

実際に、昔の自衛隊だと足の甲を踏み付ける事で敵の足を骨折させたり、腕を掴んで捩じると同時に引き倒し、腕を引っ張った状態でかかとで肋骨を踏んで折るという、実戦での徒手空拳の戦闘を教えられる。

今は、そうした訓練をやってないのだろう。

実際には、徒手空拳で戦う事は教えないし、木の棒や折れた枝などを武器とし、場合によってはナイフを縛って竹槍のような武器を作ることを先に教える。

徒手空拳での戦いは投降を意味してるので、通常は死ぬまで戦わないのがセオリーになってる。

どんな達人であっても三人以上の雑兵にでも負けるのは冒頭で書いた通りで、将棋などでも弱い筈の歩を打たれて、動けないコマ損の戦いを強いるのが戦術として存在する。

実戦も全く同じで、弱い筈の歩兵たちが戦車を足止めしたり、行軍を止める為にトラップを仕掛けたり、橋を壊すなど現代戦でも実際の戦闘で当たり前に行われている。

現代戦では、ドローンや地雷といった敵を足止めする為の兵器を多用し、戦闘で人を殺さないのがセオリーになってる。

対人地雷の目的は、足に怪我をさせ敵に負傷した兵士を連れ戻すという手間を掛けさせるのが狙いであり、仲間を助ける救助行為を負担させることで退却させるという戦術の重要な考えになってる。

つまり、相手を殺すよりも負傷させた方が敵が進軍するスピードが鈍るという事が理解できる。

これが実際の戦争でも使われる撤退戦の重要な作戦になっていて、敵を負傷させる武器が殺す為の兵器よりも重要になってる。

漫画家の作るシナリオの多くは、根本から間違ってる事が理解できる。

戦争は殺し合いではなく、相手を引かせるための駆け引きであり、遺恨を残さないように、政治決着を付けるのが最終手段だったりする。

例えば、ウクライナとロシアの戦争では、ウクライナ側が話し合いに応じない事で、NATO全体から逆に非難され始めてる。

ゼレンスキーやアゾフ連隊などの一部のウクライナ右翼勢力にとっては、クリミアの奪還が必須なのに対し、欧州の利権は、ウクライナからの安い食料や燃料を入手する手段であり、戦争が目的ではないからです。

ゼレンスキーは、1年前に戦争を止めるべきだったのに、徹底抗戦を選び、世界中が出来レース的な内容を傍観する立場になってる。

政治的駆け引きの場で失敗したということ。

戦争というのは、殺し合って陣取り合戦で勝てば勝ちという訳ではない。

第四次中東戦争でイスラエルがエジプト領を捨て撤退させられたケースのように、戦闘には勝ったけど政治的駆け引きでは、占領地を失うという結果に至ってる。

そうした政治観に関してもエイリアンの襲来的な内容であれば、駆け引きも糞もないと思うけど…

戦争の歴史は、矛盾(「ほこ・たて」攻撃と守備)を意味する攻撃のほこと守備のたての漢字の読み方の通り、矛盾むじゅんするものなんだよね。

ドラゴンボール世代の人達は、破壊と最強戦士的な個人の強さが、物事の勝負を決めると思うだろう。
※ 基本が善悪二元論でキリスト教的な考え

例えば、大東亜戦争については、西欧の多くの学者の中では、戦闘に勝った欧米に対し、主張を勝ち取ったアジアと日本という見方に分かれる。

つまり、戦闘には負けたけど、政治的な主張でアジアを開放して植民地支配を撤廃させたという結果だけ見ると、日本と大東亜戦争に参加した国々が勝利を手にしたと言えるんだよね。

戦争というのは、武力制圧して占領し植民地化するのが狙いではないし、利権や領土の主張を押し通す為の争いが多く、その他、宗教的な思想主義の違いなど、戦争で主導権を握ろうとしてる人達は、未だにドラゴンボール世代的(善悪二元論)な考えだったりする。

目的を持たない争いは、意味のない争いだと言える。

主義主張、言い分や権利の主張は、現在のパレスチナ人のように続けなければ、片方の主張が通ってしまう。

戦いの根底にある武力闘争の持つ意味やその中で人が争う意味と練兵することで農民や一般の民衆が戦争に参加し、自分達の領主と領土を保守するというのが戦の根底にあったりする。

敵を牽制し、敵を足止めして、敵に思い止まらせるというのが、戦争の根底にある手段であり、武力に強い者、破壊の道具を手にした者が戦争の覇者になる訳ではない。

覇者による統治は、中国の歴史を見れば明らかだろう。

武力と世襲による国の統治は、既に殆んどの国で終焉を迎えている。

この辺りの描写が欠けてるのが、今の漫画の世界のアクションSFファンタジー作品に多く見られる内容だと思う。


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