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不動産日記 vol.3(2)



属さない生き方

結婚して、もう30年近くが経とうとしています。
私という人間は、どこに属しているのでしょうか。

この春に母と妹が同居することになり、
そのことで、私はその家族というカタチの中には
存在しなくなったように感じました。

私は夫と結婚し、
夫や娘と新しい家族を形成していたわけですから、
私にとっては、そこが本当の?所属チームだったであろうに、
なんだか心に穴があいたような気持ちでした。

こんなことを言うと
とても母や妹が大好きで、
夫よりも信頼していたような感じがしますが
決してそういう感じでもなく、
チーム離脱の仕方を知らなかっただけ、と言った方が
適切なような気がします。

私は夫と結婚後も、
母にまつわる諸々の出来事を解決するため、
日々、娘としての役割を果たしつつ、
妻や母としての役割も担っていたため、
私は母と妹が同居するという突然の出来事によって、
身の置き所を探しているように思います。

生を受けたときに属した家族や夫と形成した家族の両方に
自分の立ち位置を置いていた私には、
所属チームが2つあった、そんな感じでしょうか。

本当はどこに属しているのか、なんていうことは問題ではなくて、
自分という人間は「ひとり」なのだから、
属する必要などなかったのに、
私の場合は自分の属する場所を複数持ち、役割を与えられたことで
安心感を得ていたようにも思います。

自由とは

成人した息子のいる友達が、
「息子はまだ安定した生き方をしていないから、自由になれない」と
言っていました。

確かに自分の子どもたちが安定した生活を送っているのか、
母としては気になることだと思います。

友達は「自分」という人間の立ち位置よりも
「母」という立ち位置を自分の中の優先事項としていました。

私はと言えば……
子どもたちは社会人になり、家を出ていきました。
母と妹と一緒に属していたチームからも脱退した私は、
もう「自由」になのかもしれません。

突然、「あなたは自分のことだけ考えればいいんですよ」と
放り投げられた気がして、
そのことを予期していなかった私は今、自分がどうしたらいいのか
分からずにいます。

これからは「自分」のために、生きることができる。
なんだか、生まれて初めて自分のことについて
考え始めたような気がしています。

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◆この話は「不動産日記 vol.2」から、続いています。
「不動産日記 vol.3」は今後、修正しようと思います。


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