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それを特徴ととらえたら楽になりました

青天の霹靂

母とのかかわりをずっと「難しい」と思っていました。

子どもの頃は、いつも
「この人を怒らせないようにするにはどうしたら良いか」と
考えながら過ごしていました。

少し成長して思春期に入ると、
「母のほうが絶対に間違っている」と感じることが多くなり、
私は母に反発しながら過ごしました。

この頃の私は母を「怒らせないようする気持ち」より
「怒りたい気持ち」が勝っていました。
母は私だけでなく、周りの人を怒らせてしまう人でした。

この頃、父は母と関係が上手くいかず、家を出ていたので、
私と母の喧嘩で、たったひとりの妹には
悲しい思いをさせていました。

私が大人になってからは、
母に上手くコミュニケーションをとってもらいたいと願って、
母の言動を正そうとしました。

こうして私は母の言動について悩み、あっという間に年をとりました。

時を経て私は、母にいわゆる「発達障害」と言われる「特性」があるのではないかと気がつきました。
母には「特徴」があると気がついたのです。

気がついたとき、私は50歳を過ぎていました。
これまでに発達障害を持っている方と
仕事を共にしてきた経験があったのに、
私はそのことにまったく気づくことができませんでした。

そんな自分が情けなく、
また配慮を必要とする母親に育てられていたという事実にも直面し、
青天の霹靂とは、こういうことを言うものだと感じました。

腑に落ちる

気づいた日のことは、いまでも鮮明に覚えています。

その日は何があったわけでもないのに
突然母は、友人のAさんに対して
「Aさんが、お父さん(母の夫)をキライと言った」と
私に言い出したのです。

確かにAさんが父をキライだと言ったことは過去にありましたが、
それは父が母に対して良くない行動をしたため、
あえてAさんが父を諭すために父に向って言った言葉であり、
Aさんの本心ではない言葉でした。

しかし母は、「そんなことを言うAさんがキライだ」と私に説明します。
そして実際に母はAさんに、
「あなたの言ったことは、私を傷つけたから絶交」と伝えてしまいました。

母はイヤな過去をいつまでも忘れず、繰り返し話します。

相手がどう思うかは問題でないので、
相手を傷つけるような言葉も平気で発してしまいます。
自分がイヤだと思ったら、人と縁を切ることも平気です。

母が過去の話や人の悪口を話すのは日常的なことでしたが、
この日は過去にあったことをあたかも今、
自分にふりかかっているようにとらえ、
話を作り出していたので、
「ちょっとおかしい」と引っ掛かりを感じました。

もちろん年齢的なことも考えました。このとき母は77歳。

私はこれまで母のことを「まったく人間関係を気にしない人」
「自分の良いように話を持っていく人」だと思っていましたが……
その日はそうではなく、これは「何かおかしい」と初めて感じた日でした。

その後、私は複数の臨床心理士さんに母について相談し、
私の疑問は解決しました。

母を連れて病院で診てもらった訳ではないので、
確定的ではありませんが、
発達障害の中に見られる特性が母にあることが分かりました。
グレーゾーンです。

このことに気がついたとき、
父と母はすでに離婚していたので、
家族である妹に伝えるべきかどうか悩みました。

妹には「母について今まで気がつかなかったことがある」と伝え、
知りたいかどうかをはじめに聞いてみました。

妹は「知りたい」と言ったので、
私が気づいたことや臨床心理士さんからの見解を事細かに伝えました。

妹から最初に発せられた言葉は、「腑に落ちた」でした。

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母という人

私が生まれたときの家族は、両親と妹の四人。
亭主関白の父に主従を求められ、
母はそれに応えることができなかったので
両親はいつも喧嘩をしていました。

父は子育てに協力的でなく
母は子育てをひとりでしていたため、
母はいつも怒りながら私や妹を育てていました。

幼い頃の記憶で、今でも脳裏に焼き付いているのは必死に泳ぐ私。
小学校1年生の夏休みの水泳練習で25m泳げなかったときは、
母は怒って妹を自転車の後ろに乗せて先に帰ってしまいました。
今でも私は水泳がキライです。

ピアノも母が習いたかったこととして私たち姉妹に習わせ、
うまく弾けないと怒りました。

夏祭りの帰りに私はバスの中で寝てしまい、
金魚すくいをしたビニール袋の水を
床にこぼしてしまったこともありました。
当然、母はお客さんがいる中で私に激怒しました。
(やっぱり、私がいけないでしょうか?!)

2歳か3歳だった妹がお金を払わずに
スーパーからお菓子を外に持ち出してしまったときは、
母は気がつかなかった自分を差し置き、激しく妹を叱責しました。

こうして母はいつもいつも怒っていました。

今思えば、母は子どもへの接し方がよく分からず、
怒っていたのではないかと思います。

話して聞かせる、というようなことは
母にとっては難しいことだったからだと思いますが、
母は自分の説明が間違っていても
謝ることは決してありませんでした。

母の特徴から考えたら仕方がなかったとは思いますが、
今でも妹の心の中には幼い頃の傷が深く刻み込まれています。

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相手を怒らせてしまう理由

母は自分が怒るだけでなく、人を怒らせてしまう一面も持っていました。
なぜ怒らせてしまうのか。

思ったことを言葉にして、すぐ相手に言ってしまうからです。

こんなことを言ったら、相手は傷つくだろうな、という推測は
母にはできません。

「今、お友達の前で怒鳴ったら、娘は恥ずかしいだろうな」などという配慮もできません。
(大したことがないことでも、母はすぐに人前で怒りました。)

私が成長し、相手の立場に立って話すよう母に諭しても、
母は私の話を聞き入れず、同じトラブルを繰り返しました。

このあたりで私が気づいても良さそうなものでしたが……
まったく気がつくことができませんでした。

母は相手に嫌な思いをさせても、
自分はどう対処したらよかったかなどと悩むことはありません。

自分は悪いと思っていないので、相手に対して腹をたてるだけです。

よくよく考えたらコミュニケーションに難があることになりますが……
発達障害の特性だとは思いもよりませんでした。

私は母が友達の前に登場するのをいつも恐れていましたし、
「嫌だな」とも思っていました。

母の人生の中では母の言動でいろいろな人が怒りを抱え、
母から去っていきました。

  • 母親

  • 弟妹

  • 友達

  • 医師

  • 弁護士

私の祖母(母の母親)は遺言書を遺しており、
4人いる子どものうち母だけに遺産を残しませんでした。

この一件で母は弟や妹と、縁を切っています。
私は叔母から母の葬式には呼ばないでと言われています。

母からは祖母がいつも母に対して
「バカだバカだ」と言われていたという話を聞いています。

叔父や叔母は、それぞれに優秀と言われる大学に進み、
大手企業へ就職したり、祖父の仕事を継いでいたりします。
母は叔父や叔母に比べて、育てづらかったのかもしれません。

母は遺産相続に不服を申し立て、裁判を起こしましたが
遺産相続の担当弁護士からは煙たがられ、
私は母について、怒鳴られた経緯があります。

かかりつけ医から「二度と来ないで」と言われ、
医者を変えたこともあります。

母はどうしてこんなに人を怒らせてしまうのでしょうか。
子どもの頃から私は、「どうやったら母は人とうまくやれるのか」と
悩んだものでした。

普通のお母さん

さて、どうして私は母の特徴に気がつかなかったのでしょうか。

第一に母は相手が怒っているか、
悲しんでいるかを読み取ることはできましたし、
一応、友達もいたため、
私自身が母のことを「普通のお母さん」だと思っていた、
ということが考えられます。

当たり前のことですが子どもにとって、
生まれたときから母親は母親として存在します。
子どもと親の関係は、子どもがいくつになっても「親子」です。

母親とは自分に教えを説き、遠くから見守る人。
そんな感じでしょうか。
私の中で母のイメージとして、そのような感覚を持っていたと思います。

母からはいつも怒られていましたが、
育ててもらっている中で例えば給食費を払うとか保護者面談に来るとか、
そういったことを母はきちんとしてくれていました。

また私たち姉妹の髪の毛を毎朝、丁寧に三つ編みにしたり、
お揃いの洋服を作ってくれたりもしました。

だから母は私にとって単純に「母」であり、
その「母」がどういった人間なのかなど、
考える必要もなかったのだと思います。

成長していく中で、
子どもに対して優しく教え説く友達のお母さんを「いいな」と
思ったことは何度もあります。

自分が母になり、「母親としてこうありたい」と
思い描いた母親像は友達のお母さんです。

子どもの頃から「親に向かって何を言うの?!」が
口ぐせだった母に言われたことは守らなければなりませんでしたし、
自分の行動で母の機嫌が悪くなることは避けなければいけないと
考えていたと思います。

現実、私にとって母は常に主従関係を求められた怖いお母さんでした。

それでも母は、私たち姉妹を女手ひとつで育ててくれました。
夫には愛想を尽かされ、
弟妹からも拒絶された母でしたが、
私はそんな母に対して、感謝の気持ちを抱き、
なんとか母を「正そう」と思っていました。

発達障害への理解

第二には発達障害について、
私がきちんと理解していなかったからだと思っています。

臨床心理士さんは母について相談したとき、
「発達障害を診断することは難しいし、グレーゾーンならなおさらだ」と話されていましたが、
私自身は勉強不足だったと思っています。

ただ世間の発達障害に対する理解も、
まだまだ浸透していないと思うようなこともありました。

母がご近所の方の悪口を他方にふれまわっていたときには、
私がご近所の方によく謝りに行きました。

母に発達障害の特性があると分かってからは
釈明の中で、そのような内容を含めて話していましたが、
ご近所の方には
「あなたのお母さんは、普通の人よ。そんなんじゃない(発達障害ではない)と思う」と言われました。

母のご近所の方達は謝って歩く私を長年見てきていたので、
かわいそうだと思って言ってくださった言葉かもしれません。

しかし「発達障害」ということばについては、
皆さんが「発達障害=まったくコミュニケーションが取れない人」と
解釈をしているようにも思えました。

言うなれば、
ご近所の方たちにとっても「発達障害」ということばは、
身近なことばではなかったのだと言えます。

これまで私より先行く大人たちが
母の言動を「おかしい?」と疑わなかったことも、
気づけなかった理由のひとつになるかもしれません。

ただ祖母や祖父が発達障害について、
詳しく知ることができたかと言えば、
まだ時代はそんな時代ではなかったと思います。

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やり直し

大人になってからの私は母の特徴に気づくまで、
母に対して厳しい態度で接していました。
子どもから「お母さんは、ばあばに厳しいよね」と
言われたこともあります。

「母を正さねば」と常に思っていたからです。
私は母への助言を繰り返していましたが、
母はそれを受け入れることはなく、
空回りしたまま長い年月が経ってしまいました。

人の特徴は、治すことはなかなかできないのではないかと思います。
私はそれを治そうとしていました。

母の特徴に気づいた今は、
「母の特徴に合った接し方をしていけばよい」と
母への態度を改めています。

母は相手に言ってはいけないことを言ってしまうので、
言わせない環境づくりも心がけました。

これまで私は母に適さない方法で、母に接してきてしまいました。
母に対しては、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この「申し訳ない」という気持ちを母に伝えることはできませんが、
母が老後を楽しく暮らせるようサポートしていくことで、
これまでの報いになればと考えています。

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気持ちよく暮らせる方法

こうして母の特徴に気づいた私はこれまでの悩みから解放され、
楽になりました。
すると、長年苦手だった私の上司にも特徴があることに気がつきました。

そうです、人にはそれぞれ特徴があるということです。

上司は日ごろから
「僕は人がどう思おうとも、何とも思わない」と公言する人で、
管理職としては不適切だと周りから言われていた人でした。

私もそんな人を管理職にした社長が悪い、と思っていましたが、人材不足の昨今、その人がなるしかなかったのでしょう。

そう考えたら気持ちよく暮らすには、私がどう立ち回るかを考えれば良いという結論に至りました。
私はこの上司の下で働きたくないと考え、転職を決めました。

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生きていると
どうしても人間関係で立ち止まるときがあると思います。
私のように誰かとの関係に悩む人も多いのではないかと思います。

親子、姉妹、兄弟、上司、先生、などなど、
そういった人間関係がある中で、どううまくやっていくか。

相手に特徴があると考え、
自分の視点を変えたら気持ちが楽になり、
方向性を見いだせることがあるかもしれません。

相手のことは自分ではなかなか変えられないので、
自分がどう立ち回るのかを考える手助けになるような気がしています。

せっかく生きているのに、
他人のことでネガティブになるのは避けたいです。

私の場合は「発達障害」という枠を知ることで、
気持ちが楽になりましたが、
発達障害という言葉にはマイナスなイメージがあるように思うので、
本当ならばそんな言葉の枠にとらわれず、
単純に「人それぞれには特徴がある」と考えたら、
もっとラフに人と接することができるのではないかと思うのです。

お互いがお互いを尊重しながらコミュニケーションをとる。
ただそれだけのことなのに、
分かり合えないのはもったいないことだと思います。

学術的にはどうしても明確に線引きしなければならない場合も
あるかと思いますが、
日常的に暮らす上で、その線引きは必要なのかどうかとも感じます。

私と妹は相談し、
母に対して「発達障害」があるという診断を受ける必要はないと
判断しています。

母が「自分のことで悩んでいない」ということと、
私たちが母の特徴をよく知り、
よく見極めて接していけば良いだけのことだと判断したからです。

母に愛想を尽かして出て行った父や
「母の葬式に呼ばないで」と言った叔母にも
このことを知らせるつもりはありません。

父はこのことについて知ったら納得しそうですが、
叔母は泣くかもしれません。
叔母は自分の平穏な生活のために母と縁を切った人ですが、
本当は優しい人だからです。

しかし母にも気持ちがあるのです。
自分のもとから去った人に対して、
くわしく説明することは望まないでしょう。

人が関わり合い気持ちよく暮らせる方法は、人それぞれです。
真っ向勝負したり、逃げたり、避けたり……
皆さんが人間関係に悩み、
私のように長い時間を費やさないよう願うばかりです。













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