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読書記録 クララとお日さま

でも、カパルディさんは探す場所を間違ったのだと思います。特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなく、ジョジーを愛する人々の中にありました。

「クララとお日さま」カズオ・イシグロ

友人を亡くした時に似たようなことを思いました。彼女は亡くなってしまったけれど周りの人々の中にそれぞれちょっとずつ違う彼女がいる、と。そしてそれは紛れもなく彼女なのだと思いました。でも亡くなると自分自身でのアップデートができなくなりますね。

Artificial Friend "A.F.(人工親友)"がモノとして、用途も期間も都合よく使われたり扱われる事実に少し心が傷んだのは、彼らが思考していたり記憶していたりするからかな。人間だって歴史的にあからさまに使い捨てされてきたわけだけど、他人に捨てられても人間は自分でリスタートしたり意味付けしたり、忘れたりもできますものね。

原爆だって投下されました。AIだってどこまでアリなの?を突きつけられるテーマで、読後も折りに触れ考えさせられます。それに能力、思考、行動パターン諸共全部学習させてまるまるコピーしたとして、そのコピーの判断は本人と言える? 例えば生死を分けるシチュエーションで一緒に戦って、その指示に従える??可愛い我が子を2歳のままコピー、恋人を恋愛メガネかけている時期にコピーして成長させたとしても愛し続けられる?もしくはAIに育てられたら母親への特別な感情をそのAIに持つのかな?生命体としての身体(容れ物)ってかなりモノ言うんじゃないかとも思うし、手塚治の火の鳥みたいにグルグル考えてしまいます。問いかけられます。

書誌情報

『クララとお日さま』
カズオ・イシグロ/土屋政雄=訳
ハヤカワ文庫epi
定価:1,650円(税込)


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