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美食の街リヨン【中編】

リヨン料理の特徴とその物語

南北の岐路に位置する美食の街リヨンの料理はフランス北部と南部の両方の性質の異なる料理の影響を受けて発展してきた。

北部のロレーヌ・アルザス料理からはバターとクリーム。

南部のプロヴァンス・地中海料理からは旬野菜とオリーブオイル。

そしてルネサンス時代にスパイス貿易の中心地だったことからリヨン料理で有名な臓物料理や豚肉のパテになどには香辛料もよく使われる。

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またリヨン近郊は食材の宝庫。東西南北の土地から良質な食材がすべて集まってくる事は『美食の街リヨン【前編】』でお話した通りである。

リヨンでは18世紀に入ると大きなブルジョワ家庭に仕えていた女性たちがレストランを開き始める。その女性たちこそが後に、メール・リヨネーズ(リヨンの母たち)と呼ばれるようになり、現在までのリヨンの街の発展に関わってきた女性料理人たちである。

リヨンの上流階級の家庭では、周囲の田舎から若い娘を集めてお抱え料理人とし雇っていた。彼女たちは豊かな農場の食材とレシピを同時に持ち込み、田舎料理を上流階級の家庭の中から発展させていった。

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19世紀末になるとフランス革命で上流階級の特権が一掃され、一気に職を失ったメール・リヨネーズたちは小さな宿を開いて、街の絹織物労働者に朝早くから食事を提供した。

その名残は今でもリヨンの街に残っている。当時カニュと呼ばれる絹職人の仕事は朝が早かった。彼らの休憩時間に合わせてブション(リヨンの大衆食堂)ではアンドゥイエットやトリップ料理などを提供していた。

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この絹職人のために提供された食事のことをリヨンではマション(Mâchon )
と呼んでおり、今現在でもマションの文化を残そうと活動している協会が存在している。

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ちなみに私も食材の発注元が新商品を取り扱うということで、試食会が行われるリヨンの中央市場【レ・アール・ド・リヨン・ポール・ボキューズ】に招かれた時は、マションスタイルの試食会であった。

当日は朝の7時から中央市場内のビストロで試食会が行われた。

新商品の仔牛のアンドゥイエット(フレーズ・ド・ヴォー)を中心に、他にもワイン、チーズ、豚のパテやリエットなども一緒に出されていた。試食会後、殆どの同業者は酔っ払いながら仕事に向かう姿を見て

『リヨン人はタフな人ばかりだな』

と横目で見ながら、私はお酒こそ飲まなかったがお腹いっぱいの状態で仕事に向かった経験はとても鮮明に覚えている。

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もう一つ面白い絹職人に関するエピソードといえば、リヨンのブションで提供されるハウスワインのボトル、ポ・リヨネである。

ブションのハウスワインは「ポ」と呼ばれる厚底で、底の厚さが4cm重い瓶に入れて提供されます。リサイクルガラスでできており、形も少し歪んでいる特徴的な見た目。容量は0.46L と中途半端な容量になっている。

これには諸説あるのだが、最も有力な説として知られているのが当時、絹職人は食事の際に雇用者から0.5Lのワインもらう権利があった。そこで雇用者は、自分が飲む1杯分をのぞいて残りの0.46Lをワインを絹職人に渡したのが始まりだとも言われている。

このように19世紀のリヨンの食文化には、街の発展に貢献してきた働く労働者と、そんな彼らの胃袋を満たすレストランとの深い関係性と人情味、生きる活力に満ち溢れた物語が詰まっているのである。

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そんな中で歴史に残るメール・リヨネーズといえばメール・ブラジエ(Mère Brazier)の名前で知れ渡っているウジェニー・ブラジエ(1895-1977)はリヨンのみならずフランス料理界においても、最も有名な女性料理人である。

彼女は未婚のまま息子を19歳で出産し、息子を乳母に預けて地元を離れてリヨンのミリア 家に召使いとして雇われる。ミリア家は麺類の生産で財を成した一族で、夏にヴァカンスの際などはウジェニー・ブラジエが料理を担当することもあったという。

ミリア家に入ってから数年後、当時2本のナイフしか使わないことで人気を博したメール・フィユー(Mère filloux)のもとで料理を学び、ウジェニー・ブラジエは料理の才能を開花させていった。

彼女はメール・フィユーの元で、後の『メール・ブラジエ』の名物料理となる【ブレス鶏のドゥミ=ドゥイユ風】【アーティチョークとフォワ・グラ】のテクニックを学んでいる。

そして1921年26才で15席ほどのお店『メール・ブラジエ』をオープンさせ独立。1932年に2つ星を獲得し、翌年1933年には女性として初めてミシュラン3つ星を獲得して美食の街リヨンで名声をつくりあげた人物。

ちなみに1932年2つ星を獲得した年は、一時療養で移ったリヨン郊外の場所でもレストランを開いて本店同様に2つ星を獲得。そして翌年、本店同様に3つ星を同時に獲得し2つの店舗で同時に3つ星を得るという快挙を成し遂げた女性料理人なのだ。

フランス料理界の巨匠として世界に名を馳せた、故・ポール・ボキューズ氏とパリの3ツ星レストラン、ランブロワジーのオーナーシェフ、ベルナール・パコー氏は、彼女の弟子であった事は有名なエピソードである。

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そして『メール・ブラジエ』は、当時私が暮らしていたアパートから徒歩で3分とかからない、リヨン一区のロワイアル通りに現在もミシュラン2つ星を保ち輝き続けリヨンの食文化の発展に貢献し大きな役割を担っている。

2008年からオーナーシェフであるマチュー・ヴィアネ 氏によって【ブレス鶏のドゥミ=ドゥイユ風】【アーティチョークとフォワ・グラ】といった『メール・ブラジエ』の名物料理を現代風に洗練させ、訪れる食通を魅了し、多くの料理人たちに影響を与え続けている。

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時代の流れと共に世界中の人々が求める料理やレストランサービスは、ものすごいスピードで変化し続けている。それはより新しく、より美味しくて驚きと斬新さが求められているのかもしれない。

これからもリヨンの街は発展し続け、より新しく、より便利で、より暮らしやすく変化していくが、街全体に深く根付いている歴史や街が成長してきた背景を愛する人々がいる限り、街本来の魅力や美しさは損なわれることはない。

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リヨンに深く根を下ろす郷土料理も同じことが言えるだろう。

どんなに時代が変化をやめずに進んでも、その土地で暮らし生きてきた料理人の歴史を知り、料理を味わい、心で彼らの思いに触れることで、彼らが作ってきた美食の物語が他の誰かの憧れに変わり愛され続けていく。

きっとこれからも未来に語り続けられるリヨンの郷土料理は、次の時代を築いていく未来の料理人へと託され、新しい魅力を放ちながら輝き続けていくと私は信じている。

続きは【美食の街リヨン後編】にて!

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Chef ichi

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