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海の表情が教えてくれること【その2】

フランス北部ノルマンディー地方の古都ルーアン。

パリのサン・ラザール駅から列車で一時間半の距離に、印象派の画家モネが描いた大聖堂、フランスを奇跡的な勝利に導いたあのジャンヌ・ダルク終焉の地としても知られている小さな町。

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そして私が渡仏先に選んだ最初の街でもある。

私がルーアンについたのは2010年の3月も終りを迎えた時。

これから始まるであろう新しい出来事を予感させてくれる春の陽気を期待していたが、冬の面影がまだ残る空気の冷たさと香りが、フランス生活での緊張感や不安をより一層煽るようでもあった。

当時の私はフランス語でコミュニケーションはおろか、料理の確かな技術もなければ、料理への情熱を人に話せる自信もない時期。そんな自分がフランスのレストランで働くために、宛もなくフランスに渡り、語学学校に通いながら少ない生活費で今後の自分を模索していた。

日本を発つ前から準備をしていたレストランに送る履歴書、動機書を一枚ずつ、それだけを頼りに語学学校へ通い、早くフランスのレストランで働きたいという気持ちだけが、私をネガティブな思いから遠ざけてくれていた。

いや正確にはそうすことでしか心を穏やかに保つことができなかったのだ

ただ幸運なことにも、学校に通い始めてから2ヶ月後に履歴書をレストランに郵送すると、2日後には面接をする約束を得ることができ、翌々日から契約を結ぶことができた。

そう、念願のフランスに来た目的であるレストランでの就労。

レストランの名前はジョルジュ・ブラン。

人口3000人弱の小さな村にある三ツ星レストランである。


現在私が住居を構えるシャテライヨン・プラージュからルーアンに行くためには隣街のラ・ロシェルに一度出て電車を乗り継いぎ、パリを経由する必要がある。

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ルーアンをまだ訪れたことのない妻に街の様子を紹介するために再訪したのは、今から2年前の2019年の夏。

当時の心境や経験を交えながら街並みや当時見た景色を散策した時間は良い思い出となった。

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そしてルーアンを一緒に訪れた目的はもう一つ。

当時、語学学校に通うために住居を提供してくてたフランソワーズという女性に私の料理を振る舞うためでもある。

ルーアンを離れたあとも、2年に1度の間隔で彼女の自宅を訪れては私は料理を作って一緒に食卓を囲み、近況や当時の話に花を咲せることは今でも続いている。

このような場面で作る私の料理は、3〜4品の一時間で作れる料理。

どんなに使い勝手が悪く道具の揃っていない台所でも、状況や皆の表情で季節や場所に依存しない、胃袋と心を満たす料理だ。

当日は我々夫婦とフランソワーズ以外に、ドイツ人の年配の男性、中国人の私と同年代の男性二人が同席した。彼らもここルーアンにフランス語を学びに、フランソワーズの住居を提供させてもらっている。

食卓には、我々日本人、フランス人、ドイツ人、中国人と生まれた土地も育った環境、それぞれ違うアイデンティティーを持つ5人。彼らは皆、私の料理に終始歓喜の表情を浮かべてくれた。

彼らが私に向けてくれる優しい表情に自然とヴォリュームの上がる会話、笑い声は食卓を心地よく温かい雰囲気となる時間を生み出し、いつかの私の大切な記憶と重なり始めていた。

その記憶とは確か私がルーアンに着いて一ヶ月がたった頃。

フランス語も不自由で何一つ自信持てずにいた心境で過ごす毎日。

そんな中で一緒に語学学校に通う仲間たちに料理を振る舞う機会があった。あの時は私の他に3人の日本人、イタリア人・ブラジル人・カナダ人が同席。

当時の私は料理の引き出しも技術も乏しく、ボンゴレスパゲッティとホワイトアスパラガスのサラダを作ることが精一杯だった。それでも皆を喜ばせたいと、丁寧に誠実に作った私の料理を、皆はまるで知らない料理を初めて味わうかのようにして幸せそうな表情を私に終始向けてくれていた。

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料理の自身もなく金銭的にも余裕のなかった私は、語学学校を通いながら過ごしたルーアンの2ヶ月の期間で料理を作ったのはこの一度のみ。

しかし私の料理から生まれた皆の表情・心地よく温かく雰囲気は今でも私の心の大切な場所にいつでも引き出せるように留めている。

料理のスタートが遅っかた私にとって日本にいた当時、フランス料理のレストランで働きながらもレストランデザートのポジションに就いた事から料理にふれる機会は少なかった。

それでも料理の世界で歩みを止めずに進んでこられたのは、私の作るデザートから、食べる人の喜びの表情や、優しい笑顔を見せてくれる機会に恵まれていたからだと思う。

食べ手の表情から溢れる正直さや誠実さは、私の中の不安を期待に、不可能は可能に、失敗は経験として知恵に変わり、経験不足は情熱と勇気へと徐々に変化していった。

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人生とは日々選択の連続だ。

起きる時間、食事の時間、会う人から、散歩道、見る景色、自分が発する言葉の隅々にまで。

自信を持って選んだはずでも、望んだ結果が手に入るとは限らない。

しかし望まなかった結果が想像以上の豊かさをもたらしてくれる経験を、幾度となくしてこられたと実感もできているのは、きっと選択してきた全てに、私の祈りにも似た願いを込めてきたからだろう。

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目の前の現実を正直に見つめ、誠実に向き合い、日々の些細な選択が愛情、そして他者への優しさへと変わりだす。

すると目の前の現状のあるがままを受け入れている自分になれる。

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何気ない瞬間に料理に費やしてきた過去を思い返す時がある。

例えば包丁を手に持つ感触、お湯が沸き始める音、オーブンの熱を頬や鼻で感じる時など実に様々。

これらは私の記憶の奥底にまで入り込んで来るように

『あの時の失敗があったから今の自由があるんでしょ』

『あの悔しさが、あなたを前に突き動かしているんでしょ』

『やる必要の無いこともたくさん経験してきたね。だからこそ今選択することの全てに価値が生まれているんでしょ』

と私に優しく語りかけてくれるような気がしてくる。

いつもと同じ調理場に立って、同じ食材・レシピを選択しても、出来上がる料理に毎日違うエッセンスが加わっているのは、私が目指すべき豊かさと自由を毎日探し求めているから。

毎日のように同じ場所から目の前のシャテライヨンの海の景色を眺める。

昨日の強い海風と厚くて重い雰囲気は私を拒むような表情の海。

しかし今日は雲ひとつ無い澄んだ空の下、暖かさと穏やかさが私を包んでくれるような表情の海。

その両方があるがままの彼の姿。どちらも愛おしく思えるのは料理を作っているときの私の思いと照らし合わせているからなのかもしれない。

表情豊かなシャテライヨンの海は、いつだって、どんな時もありのままの姿、表情、鼓動を私の心に映し出してくれる。

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料理に憧れこの世界に身をおいたときから、初めて任せてもらった仕込みや料理。思うように料理を学べず、劣等感や不安で気力を削がれそうな自分。

その時期を経て、他者に認められ、期待に答えていく喜びは、新しいことを挑みるための勇気と気力に変わっていく瞬間。

私の料理を口した人の喜びの表情が目に写り、言葉が耳に届くたびに、料理への誠実さ、正直さや愛情、そして他者への優しさが、意識せずとも私の料理からにじみ出てくれているのだなと感じる。

つまり自分の願いにも似た料理への想いは、他者の五感を刺激し私の心に戻ってきているということだ。

その時ほど私は豊かで、自由になり幸福なのだと実感できる瞬間はない。

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どんな料理でもその場の人すべてを満足させられるとは限らない。

しかし、どんな料理がその場の人を幸せに導いてもおかしくはない。その料理に人を幸せに導く優しさ、思いやり、人を好きになる想いがあるならば。

だからどんな場所でも、誰にでも、どんなときでも料理をする。それこそが私自身の豊かになる表現だからである。

不安と緊張で心が潰されそうな思いで過ごし、始まったフランス生活のスタートの街ルーアン。

ただ時間は今までの価値も意味も自分が気づかないスピードで変化していき、今では愛すべき街である。

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そんな愛すべき街に、今度は私達の新しい家族を連れて再びフランソワーズに会いにいくとしよう。

私の豊かさと喜びを、大切な人たちに料理で伝え続けるために。

海の表情が教えてくれること【2】


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Chef ichi

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