海風に吹かれる私の心と帆立貝
【風立ちぬ、いざ生きめもや】
毎日同じ場所から目の前に広がる海を見つめているのに、しばらくすると全く違う表情を私に見せてくれる。それは一日のうちに幾度となく風向きを変えてしまうこの強い海風のせいであろうか。
心地よく全身を包んでくれる温かくて柔らかい風は、安心感や期待感を目の前で静かにひかり輝く海の優しい表情からも感じとることができる。
時に目を開けているのが苦痛に感じる海風の勢いは、荒れ狂った海面から憤りに満ち溢れているような表情を私にぶつけてくるときだって珍しくはない。
まるで自分自身の心をそのまま映し出してくれているのかと錯覚してしまうくらいに・・・
そんないくつもの表情をもつ海を目に焼き付けながら、私の全身を飲み込むような強弱の激しい海風は、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの作品『海辺の墓地』の最終節『風立ちぬ、いざ生きめもや・・・』が私の脳裏をよぎるのである。
そして私は自分自身に問いかける。
『私の心は今、どこに帆を向けるのか?』と・・・
私がフランスで生活を始めて8年目にたどり着いた場所は、フランス中西部沿岸の小さな町、シャラント=マリティーム県、シャテライヨン・プラージュ。
温暖な気候で日照量の長いこの地域で育てられる穀物類は特産品が多く、素晴らしい食材にあふれている。
夏のヴァカンス地で有名なレ島、牡蠣の養殖地であるオレロン島を眺めることのできる大西洋に面したシャテライヨンは、ヴァカンスシーズンに限らず、週末、休日になると多くの人で賑わう行楽地としても人気がある。
この町の小さな屋内市場には水産品でも盛んな地域ということもあり、海産物の鮮度は非常に良質である。休日に妻や友人に料理を振る舞う事の多い私にとって、これほど新鮮な食材が自宅のすぐ近くで購入できることは、とても幸運なことである。
そんな私が暮らすシャテライヨンを含めフランスでは、10月1日から5月15日まで漁が解禁になる貝類がある。
それは生はもちろん、焼いても美味しいホタテである。だから帆立漁が解禁になる以外の期間に国産のフレッシュの帆立貝は食べることはできない。
フランスのレストランで5月から10月の間に食べることができるホタテは、アメリカ産や冷凍物などだ。
日本では貝柱の大きくなる夏の時期(5月〜8月)と、生殖巣が発達した冬の時期と(12月〜3月)2回の旬があるものの、冷凍技術や、養殖技術の向上により、今では通年食する事ができる。
またそのレシピも実に豊富。
夏にはお刺身に、タルタル、熱々のホタテフライも捨てがたい。冬には炊き込みご飯に、ホタテのグラタン、シンプルにポワレもいいだろう。保存食としても加工されたホタテの燻製や、スープや出汁を取る用にホタテの干し貝柱。食べる季節やその日の気分、自宅で食べるか、レストランで食べるかで、楽しみ方、味わい方も変わってくる。冷たい海の中、固く閉ざした貝殻の中に多くのレシピや楽しみ方を隠し持つ帆立貝はとても魅力的だ。
いつの時代も料理人がお皿に込める想いは、旬の食材の持ち味を引き出す最高の調理法であったり、食材の組み合わせからの新しい味覚や触感の発見、そして季節や場所の違いで感じる幸福感などシンプルなものである。
しかしどんな料理であっても食べる人にとって、その料理を食べることで様々な思い出や想像が広がり、そこから尽きない話題が生まれてくるような料理こそ食べて本当に楽しい料理といえる。
私が抱く帆立貝の印象は高級食材であり、また幼い頃から慣れ親しんだ食材ではないため、それにまつわるエピソードなどをすぐに思い浮かぶこともない。
私のガストロノミーの探求の旅で、毎年必ず旬になると出会う事ができる食材である。
だが、そのたびに私は思うのだ。
出会う場所も、自分の身の回りの環境も、私の心情でさえ毎回同じではないということに。
すると帆立貝の最高の調理法であったり、帆立貝と他の食材との組み合わせからの新しい味覚や触感の発見、帆立貝と出会う場所、環境で感じる幸福感は全く違うものになっていると。
つまり料理で表現する際、私自身の思考、感情、情熱は常に変化しており、大袈裟に聞こえるかもしれないが、それは毎日、いや毎分、毎秒と異なっているとさえ感じる。
人の好み、楽しい、嬉しいと感じることは、自らも気づかない速度で変化しているものだと、私は帆立貝を目の前にして感じるのである。
フランス料理の憧れから始まった私のガストロノミーの旅。
私はいつだって新しくて知恵と愛情に溢れた料理や生き方を探している。
人との出会いから、多くの食材やレシピに触れ、私のガストロノミーの旅は豊かになってきたと実感している。
その豊かさとは人に対する優しさ、思いやり、人を好きになること。
それらを私は料理で表現できていると実感できるときほど幸福なことはない。だから同じレシピで、同じ料理を作っていても、日々変化する私の心情から、私の料理はとても流動的になるのだ。
流動的な私の料理は、まるで海風で表情を変化させるシャテライヨンの海の景色のようだと自分で思っている。
同じ場所から見る海も、あるときは厚い雲の下、強い海風で荒れる海面は力強さとその緊張感から私は自然と波から距離を取り、その場を去るように急ぎ足にさせられる。
翌日の澄みきった空、静かな波の音をつくる穏やかな海風に足を止めてしまう。光り輝く海面に心を奪われ、その青い色はすべてを語っているかのようでもある。
向かいに見えるレ島、オレロン島にまで目を凝らしながらその場で釘付けにさせられてしまっていることに、しばらくたってから気づくことさえある。
風の吹く方角、強さ、冷たさ、暖かさで同じ場所にいても全く違う心情や行動を選択している。
世界中の料理人はそれぞれ違う文化や好みを持っている。食べて本当に楽しい料理を表現できるのは、きっと他者に心を開き、料理の楽しさや歓びを共有しているときではないだろうか。
するとどんな料理でも、どんな調理法でも、料理で人の心を魅了できる。
殻の中で魅力を隠す帆立貝も、そんな料理人が調理すれば、味やレシピさえも超えて、ほんとうの意味で心を揺れ動かす一皿になるはずだと私は信じている。
冷たい空気を鼻から深く吸い込み、青く澄んだ空を見上げる。今朝はどうやら向かい風のようだが、それほど強くない。
海はきっと穏やで、藍色の表情を見せてくれるだろう。
そんな期待を胸にポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』の 一節のフランス語の原文を頭で繰り返す。
【LE VENT SE LÉVE ,,,IL FAUT TANTER DE VIVRE】
【ル ヴァン ス レヴ ,,, イル フォー タンテ ドゥ ヴィーヴル】
今吹いている風を心で見つめながら。
青空の下、私の心はどこに帆を立て向かっていくのだろうかと。。。
今日も自分自身に問いかけ、新しい知恵や愛情に溢れた料理や生き方を探し求めていく。
例えどんな風が吹いても、私は前に進んでいくだけなのだから。
いつだって、何処にいて、何をしていても・・・
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Chef ichi
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