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私はどう生きるのか


それは突然だった。大切な人を失ってから人は本当に死ぬんだと実感した。もちろん知識として「人は死ぬ存在だ」ということなんて分かっていた。でも、それはいつかの話であって今すぐの話ではないのだと思っていた。

大切な人が亡くなったその日から「今日も地球は周っていてみんな何事もないように過ごしている」という感覚が私をとても苦しめた。大切な人を失って私はこんなに辛いのに、いつもと同じように今日が来ていつもと同じように今日が終わる。あの人が亡くなったのに世界は何一つ変わっていない。ある人にとってはそれが希望になるのかもしれないが、少なくともこの時の私にとってはそれが絶望だった。

私は葬式についても苛立っていた。私も、亡くなったあの人も死後の世界なんて信じていないし、特定の宗教を信仰しているわけでもなかった。だから葬式の間ずっとこれは誰のために行われているんだろうかと、この膨大な時間とお金は何のために使われているのだろうかと考えていた。しかし、この時はまだ上手く意味付けが出来ていなかったのだと思う。

この経験を通して、私の人生にも「死」が身近な存在となった。そこから私は「いつ死んでもいいように」準備を始めた。私自身の葬式のためにお金を貯めたり、大切な人に感謝の気持ちを伝えたりした。そして、大切な人が死んでこんなに悲しいのなら、私が死んだ時に悲しむ人がいなくなるために大切な人を作ることをやめようと思った。そこから元々狭かった私の人間関係はさらに狭くなった。自暴自棄だったのだと思う。

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年数を重ねていき私を取り巻く社会環境も変化していった。人と関わらざるを得ない状況が増えたせいか、私と他人との間に起こる違和感に目を背けることが難しくなっていった。

まずひとつは性別に対する違和感だった。

生まれ持った性として期待されている振る舞いとか、らしさの抑圧がとても苦しかった。生まれ持った性には違和感があった。だからといって反対の性別になりたいかと考えてみるとそうでもない。生まれ持った性は身体を見れば分かるが、自認している性が分からない。だからそれが一致しているのか、一致していないのかさえ分からない。

でも、その違和感から来る気持ち悪さと苦しさだけは分かる。どうしたらいいのか分からない。どうしたいのか分からない。だから暫定的に生まれ持った性の仮面を被って生きてるけど、それで居心地がいいわけではない。

でも社会からはそう見られて生活していくのでそれとしての私が形作られていく。どんどん外側の私と内側の私が乖離していくようだった。周りを見ても違和感を感じている人は見当たらなかった。みんなも仮面を被って生きているのかと思って軽く聞いてみたことがあるのだが、おかしいと言われた。冗談だと思われたようで笑われた。そこから孤独を感じた。私はここにいるべき存在じゃないんだと思った。

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もうひとつはお酒社会に対する違和感だった。

お酒や飲み会が好きではない私はそれらに馴染めなくて疎外感を抱いていた。「飲み会でお酒飲んで騒ごう」という風潮があまり好きではなくて居心地が良くなかった。

お酒を飲めばプライベートの話を聞き出してもいいとか、普段なら話せない話(それを本音と呼ぶ人もいるらしい)を話すことを強要される空気が嫌だ。お酒の力で普段人に話さないことを言ってしまう可能性があるとしてもそれは自分の意思で話したいし判断力が鈍っている状態で話したくはない。

精神的にも身体的にもしんどいので、そういう場をできる限り避けているのだけれど社会にはそのような場が多すぎる。一般的には英気を養ったり気分を上げられる場所なんだろうけど、私にとってはエネルギーを吸い取られ生きる気力も失ってしまうような場所なのだ。周りからはおかしいと言われたし、おかしいと笑われた。私はお酒社会不適合者なんだと思った。孤独を感じて私はここにいるべき存在じゃないんだと思った。

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明るい未来は見えなかった。どうせ私は死ぬのならどうして不確実な未来を迎えるために確実な現在を犠牲にする必要があるのだろうと思っていた。苦しかった。「いつ死んでもいいように」と思っていたはずなのに、いつのまにかこんなに苦しいのなら「死んだ方が楽になる」と思い始めていた。

それから私は心が壊れてしまった。直接的な原因は分からないが、今まで我慢して積み重ねてきたモノのせいなんだろうなと思う。毎日が苦しかった。

歩道から隣を走る車を見ても、歩道橋から道路を見下ろしている時も、野菜を切っている時も、これはもしかすると「死ぬかもしれない」という考えが取り除けなかった。自分がそういう手段を取ってしまうのだろうと感じていた。明日が来る感覚もなくなってしまい、今日が最後の日になるのだろうという感覚になっていた。

窓から外を眺めていると、ふらっとそこから落ちてしまいそうに感じた。いっそのこと落ちてしまいたいと思ったその時に亡くなってしまった大切なあの人のことが頭に浮かんだ。まだ生きている大切な人たちのことが頭に浮かんだ。私がこのまま死んでしまったらあの人たちはどう思うだろうか、周りにどう思われるだろうか、そんなことが頭に浮かんだ。私は最後まで周りの目を気にしていた。

私が死んだとしたらそこで私の人生は終わってしまうのだろう。でも私の大切な人たちはどうだろう?もちろん私の記憶からは無くなってしまう。

でも大切な人たちの人生は、私が死んだという記憶と共にそこから先も続いていく。それならば私と過ごした思い出が私の大切な人たちの人生をより良くするものになってほしいと願う。私にとって明るい未来はなくても、私の大切な人たちには明るい未来がある。そして今私が生きている現在も亡くなってしまった大切な人が描いた明るい未来なのかもしれない。

そう考えるともう少しだけ生きてみようと思った。大切な人たちのためにもう少しだけ生きてみようと思った。

でも、大切な人たちがより良い人生を送れるように私はどうしたらいいんだろうか。亡くなってしまったあの人のために私は今をどう生きればいいのだろうか。

それが何なのか私はまだ知らない。知らないからこそ大切な人ともっと関わって大切な人のことをもっと知りたい。大切な人に私のことを伝えて私のことも知ってもらおう。そのために私のことをもっと知ろう。そう思えた。

どの瞬間、どの期間がその後の私の人生を、そして他の誰かの人生をより良きものにしてくれるか分からない。だからこそ大切にする価値があるのではないだろうか。

くだらなくても偶然でもたとえ一瞬でもそれが相手や私の人生を素晴らしいものにするかもしれない。逆も然りだからこそ少しの思い出も、少しの関わり合いも大切にするべきなんじゃないか。

あの時は苛立っていた葬式だって、生者が死者との別れを苦しいものではなく前向きなものとして捉えられるため、その後の人生をより良く生きるためならやる価値があるのではないか。

死後の世界を信じることによってその人が過剰に死を恐れずにより良く生きれるのならば実際に存在するかどうかなんて議論しなくたっていいのではないか。今が苦しくても死後の世界では報われると思えるなら、その人にとってそれが良いことでそれを他人に押し付けないのならそれでいいのではないか。

死んでしまった人とはもう一度会うことも話すこともできない。「あの時こうしてれば」と後悔することも多いのかもしれない。だからこそ葬式や死後の世界を想像することで死者と心で繋がることは大切なのかもしれない。死んでしまった者との思い出を振り返って、その人が好きな食べ物を食べたり、一緒に訪れた場所に行ってみたりする価値はあるんじゃないか。

思い出にならなかった「あの人とあれをすればよかった」という後悔は生きている者と思い出にしていけばいいのではないか。私も含めて人はいつ死ぬか分からない。だから生きている間にもっと知りたかったと思うことを防ぐために直接伝えることは伝える。一緒にできることはやる。できるだけ思い出を増やす。

そうやって託された記憶と共に生きる。記憶を託すために生きる。記憶を託すことで生者の人生をより良きものにする。生者の残りの人生全てでなくてもたとえ一瞬だったとしてもより良き人生に出来るような記憶を託す。そのために生きている間の大切な人たちとの時間を大事に過ごす。その記憶が、その思い出が、もしも大切な人たちが自らの命を絶ってしまおうとした時にそれを思いとどめるものになってくれたらいい。

まだまだ苦しくて死にたいと思うことも多い。社会では居場所がないなんて感じてしまう。でも大きい社会ばかりを見すぎて私の周りの小さな世界を見逃すことはとても勿体無いのかもしれない。こう考えるともう少しだけ生きていられそうだ。

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このnoteは翠さんとの「交換ノート」マガジンに投稿する記事です。今回は『どう生きるか?』をテーマに考えたことを書きました。


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