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「フジ大奥(2024)」松平定信様への恋文

罪悪感に耐えられず修羅となり、答えのない純愛という地獄を生きた松平定信様へ


最初に

フジテレビ系、2024年1月期木曜劇場枠ドラマ、「大奥」第11代将軍徳川家治の御代を描き、正室倫子を主役にしたこの作品で、SnowMan宮舘涼太は松平定信を演じた。
主演・家治の正室倫子を小芝風花さんが演じており、家治役は舘様の憧れの先輩、亀梨和也さん田沼意次は安田顕さん、大奥総取締の松島の局は栗山千明さん……と、錚々たる名優陣の中、舘様は後に老中となり、寛政の改革を行う「松平定信」に大抜擢されたのである。
そしてこの松平定信が、あまりにも魅力的な悪役であり、哀しくも不器用で優しい幼子だった。そんな宮舘涼太こと舘様が演じた松平定信について、散々語っていきますが、本編未視聴の方はぜひ、FODかU-NEXTでご覧ください。FOD、今なら初月200円でスピンオフドラマ「定信の恋(宮舘涼太主演ドラマ)」まで観られます。ぜひ。

歴史を知るオタクとしては、イマイチ想像がつかなかった。というのも、家治の御代なら田沼意次の力が強かった時代。定信が力をつけて老中になるのは家治が死に、田沼が失脚した後だし、となると主役の倫子とはあまり関わりがないんじゃないか……?
調べたら、倫子と家治が婚姻を結んだ時期には、定信は生まれてすらいない……意外と早く結婚しとったんやな、でもそうだよな、定信って8代将軍吉宗公の孫だけど産まれる前に吉宗公死んじゃってるもんなぁ……。とかなんとか思っていた。「じゃあ『同じ人を祖父に持つのに運命が違ってしまった』という構図で、家治のライバル的立ち位置として描かれるのかなぁ」なんてふうにも思っていた。

あの頃が懐かしい。
「2024年版フジ大奥」と呼ばれたあのドラマが始まったのは、2024年の1月18日だった。
冒頭、お鈴廊下を逃げ走る倫子様は、幼い日の過去を思い出す。幼い倫子様は、あどけない男の子と共に遊んでいる場面から始まる。「倫子どの! 」名前も教えてくれないその男子は、まだ髪を結っていない幼い倫子様に手のひらの中を見せる。その小さな手の中には、片羽を千切られたトンボがうずくまっていた。
「あのときのトンボのように、逃れたくても逃れられない。自由を奪われ、誇りを奪われ、やがて生きる気力を奪われていく。」
ぐしゃりと握り潰された赤とんぼは、手のひらの闇の中に姿を隠した。倫子様の舌っ足らずな甘い発音が問いかけ、時間軸は大人になった倫子様(演:小芝風花)へ戻る。

最初、この少年が誰なのかはわからなかった。わかったのは第6話。松平定信と倫子様が、再会した後の話である。
“再会”。つまりふたりは既に邂逅している。驚くことに、それは第1話だった。想い人がいながらも許嫁の将軍家へ嫁いだ公家出身の姫、倫子様は、不安げに婚姻の場で家治様(演:亀梨和也)の隣に座す。その面前へ登場したのが、田安宗武(演:陣内孝則)と松平定信親子である。
「家治様の叔父であられます、田安宗武様と、従兄弟の松平定信さまでございます。」大奥総取締、松島の局(演:栗山千明)から告げられる。
「お目にかかれて、恐悦至極に存じます。」「私も、お会いできて嬉しく思います。」これが松平定信と倫子様の再会であった。“再会”だと思っていたのは自分だけだと、定信は笑顔ながらに気付くわけだが。

不安げに不穏な婚儀が終え、倫子様はひとりで庭を眺める。その表情には戸惑いや不安が漂っていた。そこに来たのが“思い出を覚えていたのは自分だけだったのか”と気付いた、定信である。
「このたびは誠に、おめでとうございます。」舘様演じる定信は、一貫して誠実で清廉であった。それは彼の発声もしかり。風鈴がなるような涼やかさ、一本線を筆でまっすぐ引いたような真摯さ。そんな声で、倫子様の婚儀を祝福する。
「近い将来、倫子様が大奥のてっぺんに立つのですね。」縁側のような場所に座し、思い出を忘れた倫子様に背を向け、それでも尚「実感が湧きません」とふわふわした明るさを持つ彼女に対し、定信は柔和に微笑む。「倫子様らしいですね」。
「しかし、どうかお気をつけください。大奥は、人を人とも思わぬ者たちで溢れております。」あの忠告は、復讐の幕開けだったのか、純粋な優しさだったのか。「誰もが倫子様の地位を妬み、追い落とそうとなさるでしょう。気を抜けば、殺されるやもしれません。」立ち上がり、冷たい声で忠告を促すその声は、蛇がまとわりつくようですらあった。「戯言ですよ、戯言。」刹那、困り眉で笑いながら破顔するのだが。

FOD限定配信版、松平定信が主役のスピンオフドラマ「定信の恋」では、この悲しい再会により、いかに彼が心を痛めていたのか描写されている。未視聴の方はぜひ観てほしい。もちろん、先に本編の「大奥」を観てほしいが。

史実では、松平定信は8代将軍吉宗の存命中に生まれてはいない。そのため、ドラマの中のように大御所となった吉宗が「家重の次、10代将軍は竹千代(後の家治)である」と定信の前で言い放ったことはないだろう。
だが、今回のドラマではそのシーンが“ある”。徳川将軍家には、兄弟同士の後継の諍いを避けるため、“長子継承のならわし”がある。そのため家治様は次期将軍として育てられ、定信は田安家の7男として生まれ、聡明さから跡継ぎとして育てられてきた。だのに、“万が一にも次期将軍などという甘い夢を見ないため”に、“田安”という徳川御三卿の苗字を奪われ、松平家の養子とさせられた。そのため、彼の名前は実父の宗武と違うのである。
名前を奪われ、尊厳を踏みにじられ。
「賢丸は次期将軍竹千代を支えよ! 」「次期将軍がお優しくて聡明な竹千代様でよかったわ。賢丸様は、どこか怖くて闇を感じるもの。」陰口を叩かれ、幼い心に恨みがむくむくと芽生える。そんな幼い賢丸の唯一の光が、倫子様だった。
「賢丸は優しい子よ。私は知ってるもの。」だが、覚えていなかった。

それでも定信は献身的に倫子様を想う。第4話では遂に再会を果たし、「またの名を、賢丸と申します」、懐かしい幼名を名乗ることもできた。それがきっかけで、御台所となった倫子様は幼なじみを思い出す。「賢丸……えっ、賢丸なのか? 」「いかにも!思い出してくださいましたか! 」一時、倫子様や付き人のお品(演:西野七瀬)と同じ浜御殿に住まっていた過去を、ようやっと倫子様は思い出してくれたのだ。
このときの定信の、花の咲いたような表情よ心から光である倫子様を愛し、一途な初恋を純愛として育ててきたのだ。

つかの間の逢瀬も果たし、輩も撃退し、健気な愛は立証された。かに思えた。

「しくじれば、命はないぞ。」「倫子殿の悲しむ顔は、見たくないのだがな」。松平定信の恐ろしいところは、“倫子様が初恋の人だ”と自覚して愛しながら、“倫子様が妊娠したらその子を殺している”ところである。
思えば、定信がどれほど優しさや純愛を見せようが、無垢にトンボの羽をちぎったその異常性は変わらない。そう、賢丸という幼なじみがあの恐ろしさを見せた少年なのだ。第7話でそれが判明する。賢丸、おかしいわよ。言われていないはずの言葉すら、彼には聞こえたのかもしれない。
“優しい”と言ってくれたはずの倫子様に、好意故の行動を否定されたと感じたからか、定信は話を重ねるにつれ、闇へ落ち、孤独に生き地獄を歩むことになる。
「そなたには天罰が下りましょう!」最終話で、倫子様が定信に言った言葉だ。この顛末は最初から約束されていたのだろうか。
本作品には多くの悪役が出てきて、その度に倫子様という高潔な魂が闘いながら浄化させてきた。その中でも一際異彩を放っていたのは、やはり“田沼意次(演:安田顕)”だろう。彼が第1話に放った台詞が、今重く響く。

悪人にはいずれ天罰が下る。世の定めとはそういうものだ。

果たして、松平定信が“悪人”だったのかは、わからないけれど。

賢丸とトンボ

幼い賢丸がトンボの羽をもいだのは、淡い恋心を寄せていた倫子様に喜んでほしかったからだ。「わしがむしってやった。これでどこへも逃げられぬ。そなたのそばにずっとおるぞ。」本編では最低限だったが、FODのスピンオフドラマで幼い賢丸はそう言っていた。明るく晴れやかな、褒めてもらいたがる愛想の良いわんこのような表情で。
かわいそうじゃない。」「……かわいそう? なぜ? 」優しい倫子様の否定に小首をかしげ、本当になにもわからないと言った表情で訊ねる。あどけない倫子様は怯えた表情を浮かべながら、口をつぐんだ。

大奥の地獄に阻まれてもなお、倫子様の光が陰ることはなかった。形ばかりの夫婦から思いやりの心が生まれ、愛が芽生えた。形式ばかりの大奥で尊厳を散々踏みにじられようとも、愛する相手が知らぬ間に側室を設けていようとも。あまりにも高潔で眩しい魂をもってして大奥という豪華絢爛な地獄で御台所という頂点に座す。
大奥というシステム上、大奥総取締が裏のトップだ。大奥総取締が目をかけた女が将軍の子どもを産めば、次期将軍の乳母のような立ち位置になる。そうなれば、女の立場で政権を裏から握ることだってできる。そのシステムにおいて、公家から招き入れた御台所など邪魔でしかない。大奥の女たちはあの手この手で倫子様を追い詰める。
そんな地獄の中で、倫子様は第1話冒頭、「今の自分はあのときのトンボのようだ」と表している。だがきっと、定信にとっての“トンボ”は倫子ではなく、自分であったのではないだろうか。

呪い

松平定信という男にかけられた呪いは、強く濃い。私の大好きなドラマ、「ウソ婚」(宮館涼太の幼馴染にしてSnowManのメンバー、渡辺翔太が出演していた)に、「感情の蓋が開く」という表現があった。それでいうと、定信は彼にかけられた呪いによって、自分でも開けないほど強く固く自分の感情に蓋をしてしまっているのだと思う。

まず、前述したように彼は“名前を奪われた”過去を持つ。
それがわかりやすく表出するのは、第4話。江戸城へ赴き、家治様と将棋を打ち終えた定信は、帰り際、老中首座田沼意次(演:安田顕)と邂逅する。
「これはこれは、“松平”様。何用で? 」名前を呼ばれてぴくりと反応する、定信のこめかみ。それでもなお、柔和な笑顔で定信は返す。
「上様と一局お手合わせを。“また”負けてしまいましたが。」朗らかに笑うその表情には、殺意や怒りめいたものはなにひとつなかった。だがふたりの後ろには、重く低く雷鳴が鳴り響く。
その雷鳴が呼び起こすように、定信はまだ“賢丸”と呼ばれ、徳川御三家御三卿の者だけが身につけられる、三つ葉葵の紋を身にまとっていた頃を思い出す。
「何故賢丸を養子に出さねばならんのだ! うちの跡取りだぞ!」宗武が哮る。「異論は認められませぬ。家重公のご意向故。」今と変わらぬ面持ちでしゃくしゃくと言ってのけるのは、田沼意次だった。
「その方が仕向けたのであろう。」笑いながら問い詰める宗武の扇子を、田沼は強く叩き、微笑んでみせた。「それがしにそのような裁量はございませぬ。」だが目が言っていた。これ以上なにか反論するのであれば、お前からも名前を奪うぞ、と。
「これよりは、松平様と名乗っていただきます。……その紋所は、もう着られなくなりますな。」幼い賢丸は、田沼を一瞥しながらも当時は深い意味までわかってはいなかったのだろう。将軍の血筋にふさわしいからこそ、“長子継承のならわし”を踏み外す定信という存在は邪魔だった。諍いを避けるためのならわしがいつの間にか、準拠すべき法となっていたのである。
そして定信はそれに翻弄された。8代将軍吉宗公の孫でありながら、徳川の誇りである御三家御三卿の名前や紋所すら奪われ、白河藩を治める松平家へと養子に出された(松平の家紋も三つ葉葵ではあるけどね、ちょっと違うタイプの。またこちらしんどいポイントです)。
もちろん、聡明な賢丸を後継として育ててきた宗武が黙っているはずもない。作中にはない描写だが、宗武は幼く全貌を理解しきれていなかった賢丸に、現実を教え込んだのだろう。田沼を、家治をゆるすな。お前から名前を奪い、父を奪った者をゆるすな。
それは呪いとなり、賢丸が定信となる過程で“父上の無念を果たさねば”という呪いにも繋がったのだろう。
だが厄介なのは、呪いは愛と一緒にいるからこそ力を発揮するということ。
「家治の血筋を根絶やしにしろ。そしてお前が、あの城のいただきに立つのだ。」

第6話、大奥では側室が子を設けて茫然としながらも優しく寄り添う倫子が描かれる中、宗武には死が迫っていた。
死の間際に宗武は、吉宗公から受け継いだ三つ葉葵の紋所が入った短刀を定信に託す。「おまえは、だれが何と言おうと8代将軍吉宗公の孫であり、将軍家の地を引く跡継ぎだ。」
父の死を涙を流しながら看取る定信も、定信の聡明さを信じて全てを託し明言する宗武も、たしかにお互いを愛していた。子は親を愛してしまうものだが、親である宗武も彼なりに愛していたのだ。だがその愛は、“自身の無念を晴らせる器だから”でもある。
「最後におまえに頼みがある。」「必ず果たせ。おまえはこんな所にいてはならぬ! 」冒頭では明言されなかった耳打ちの言葉は、前述したものだった。
「家治の血筋を根絶やしにしろ。そしてお前が、あの城のいただきに立つのだ。」

恐らく、第1話の定信は“ここまで”する気はなかった。もっと言えば、第3話まではそうだろう。
ただ第6話の宗武の愛ある呪いの言葉が、引き金となってしまった。

「大奥」には、お梅というオリジナルキャラクターがいる。FOD限定配信スピンオフドラマ「定信の恋」で彼女のことは細かく描かれるが、罪人の娘として肩身の狭い貧しい暮らしをしていたお梅は、とある出来事がきっかけで定信に救われ、世話係として屋敷に住まうことになる。
当初、定信は間者(今で言うスパイ)ひとりを大奥に忍び込ませていたが、第6話のあたりからお梅も大奥の女中として潜入するようになる。お梅は定信の屋敷で世話をするうちに、倫子様に叶わぬ想いを募らせている定信の恋に気付いた。お梅自身も定信を恋慕っていたが、定信の恋を邪魔しないようにとあくまでも自分は定信の本懐を遂げるための手足となろうと心に決めたのだ。健気じゃないか……!
だが、定信の呪いは根深い。自分が施した恩に報いようと、慕っているからこそ力になりたいと心を砕くお梅に対して、定信は冷たく言い放つ。「断じてしくじるな。しくじれば、命はないぞ。」
定信は、女中として大奥に忍び込んだお梅を使って、倫子様に子ができにくくする薬を仕込んでいた。父宗武の本懐を遂げるため、家治の血筋を根絶やしにするため、初恋の相手の堕胎を望んだのである。それによって実が結び、倫子様は側室であるお知保の方(演:森川葵)より寵愛を受けていたにも関わらず、子に恵まれなかった。側室に懐妊の先を越され、生まれた子どもを愛せなかった自分を責めた倫子様の苦悩にも寄り添わず、ただ父との約束のためにお梅を罪の道へと道連れにした。
まぁ結局お梅が倫子様に薬を仕込んでいたことはお品によって露見し、倫子様は倫子様で“子はみな宝”と苦難を乗り越えたのだが。相も変わらず高潔で美しい方である。

「申し訳ございませぬ、悟られてしまいました。」お品にバレ、なんとか逃げてきたお梅を待っていたのは、修羅となった定信だった。「それは残念だ。父上との約束があるというのに。」
定信はあろうことか自身の手は穢さず、隠密の手によってお梅を殺させた。そうやって自身の本来の優しさを救いに繋げ、相手を罪の道に導くのである。たしかに“聡明”だ。頭が良くないとこんな知略を張り巡らせない。
でも、でも違うんだよ。定信の優しさが嘘なわけじゃないんだよ。彼は愛する父の本懐のためにも、かけられた呪いを肯定するためにも、地獄を歩くしかなかったんだよ。
そんな彼を唯一救ったのが、初恋である。

初恋

初恋は忘れられない、その人を形成する大きな存在となってしまう。
初恋が忘れられずに叶わない想いを育て続ける定信は、第4話で将棋を指しながら家治様をけしかけた。「御台様も、気に病んでおられましたよ。」家治様の手が止まる。「先日お会いしたのです。以前と変わらぬ明るいお方で、昔よく遊んだ日々を思い出しました。
「何故、御台に会った。」“蛇のような冷たいお顔立ち”と称されるような静謐な面持ちで、静かに定信を問い詰める。「(御台が心を痛めようとも)その方には関係なかろう。
「それがあるのです。」定信は物怖じしない。スピンオフドラマでは彼が“家治に勝つため”にひとり、将棋の練習を繰り返す姿が何度も映されるが、それくらい勝利に執着して家治様を敵視している彼が、家治様の目で物怖じするはずもなかった。「御台様はわたくしの初恋のお方ゆえ。」
静かだった家治様の顔が、わかりやすくゆがむ。「……あれ? ご存じかと。……ですから幸せになっていただかないと困るのです。

定信の言葉は、本心だろう。だが当の本人が本心だと思っているかはわからない。
幼い頃、世継ぎは賢丸ではなく竹千代(家治)だと吉宗公によって言い放たれたとき、賢丸は女中が陰口を叩いているのを耳にしていた。
「賢丸様がお世継ぎに選ばれず、一安心でございますね。」「やはり、あのお方はどこかおかしい。」「なにか腹の底に、黒い闇のようなものを抱えているように思うのです。」「吉宗公はそのことに、お気付きだったのかもしれませぬ。」「聡明で心優しい竹千代様こそ、将軍にふさわしいお方にございましょう。」
祖父に認められず、女中に陰口を叩かれ、周囲から恐ろしい人間だと思われていたことは、賢丸を深く傷付けた。
「わしは、おかしいらしい。」「みながわしを怖がり、じじ様にも嫌われた。竹千代様のように、優しくなれたらいいのに。」幼心に自我に悩む定信を、倫子様は神々しいほどの肯定で包み込み、抱擁する。
「大丈夫、賢丸は優しい子よ。私はちゃんと知ってるから。」

時系列としては、幼なじみとして倫子様、賢丸、お品が交流を深める→世継ぎが竹千代だと言い渡される→倫子様に肯定される→名前を奪われる(養子に出される)だと思う。そして倫子様が賢丸を“優しい”と肯定したとき、定信は恋に落ちたのだろう。
恋に落ちた後、名前を奪われるという一世一代の絶望を経験した賢丸は、倫子様のもとを去るわけだが、彼の人格を形成するのにこの肯定は大きかった。大きすぎた。

「倫子殿の悲しむ顔だけは、見たくないのだがなぁ。」第6話、冷酷な目で言い放つ定信も、たしかに倫子様を愛してはいる。純粋すぎる愛は、倫子様という大きな純白の前に定信という深く黒い影をつくってしまったが。
第6話ラスト、遂に第1話冒頭のトンボを握り潰した少年が賢丸だったことが判明する。それまでは“同じ浜御殿で住んでいた幼なじみ”としての賢丸は顔を出して描写されていたが、トンボの羽をもいで倫子様に見せたのは誰かわからなかった。薄々感じ取っていたこの無垢で純悪な少年が、定信だったことがわかってしまったのだ。
「こんなことやめて、かわいそうでしょ。」晴れやかな顔でトンボを捕まえ、「これでそなたのそばにずっとおるぞ」と言っていた賢丸の表情は陰る。「……かわいそう?なぜ? 」

本編の間、私はこの“トンボ”は倫子様のことなのだと思っていた。実際そうやって描写されていたと思う。大奥という地獄に閉じ込められ、尊厳を奪われた倫子様。でも豪華絢爛な地獄の中でも、倫子様は最後まで気高く生きた。
そんな倫子様に初恋を捧げ、愛と呪いを散々かけられた定信という優しい魂は、感情の蓋に閉じ込められてしまったが。きっと実のところ、トンボは倫子様ではなく定信だったのだ。最後の最後で私はようやくそのことに気付いた。
羽をもがれかけながらも、倫子様は最後まで美しく飛んだ。羽をもがれた定信は、飛ぶ倫子様をみてひたすらに憧れながら、自分はトンボじゃないと言い聞かせ続けた。いや、むしろ倫子様の隣に座るトンボでありたいとすら願っていた。自分で羽をもぎ、これであなたのそばに居続けられると言い聞かせていた哀れな子どもだっただけだ。
「これでどこへも逃げられぬ。そなたのそばにずっとおるぞ。」幼い賢丸が無垢にそう言ったのは、倫子様とお品と過ごしたあの思い出の浜御殿にずっと居たかったからかもしれない。ずっと宗武の子どもとして、田安姓を名乗り、三つ葉葵の紋所を背負いたかっただけかもしれない。羽ならどれだけでももぐから、一緒に居てよ、居場所を奪わないでよ。
でもそれを、周囲は理解しなかった。そりゃあそうだ。賢丸はどこまでもぴっちりと自分の感情に蓋をしている。あれが彼のヘルプだとは誰も気付かない。“トンボを躊躇なく傷付ける人だ”と恐れられるしかない。
賢丸は、定信は傷付きすぎるほど傷付いたのだ。それでも倫子様の眩しさに恋をして、そう生きたいと願った。初恋は憧れになり、愛は呪いになり、トンボは自分だった。ただどれにも定信本人は気付かず、感情に蓋をして、傷付いていることにも気付かず、清廉に生きようとした。恋をした相手の、「優しい」という言葉に報いるように。

定信と短刀

第6話、定信は宗武に三つ葉葵の紋所が入った短刀を託された。短刀は、「いざというとき自分を守れるための護身用」や「自害の折」に使われる。だからこそ、田沼意次が最期家治様の座っていた場所に座り、刀で斬り殺されるように自害するのが印象的なのだけれど。

武士にとって、短刀は戦いのためではない。“自分を守る”か、“自分を殺す”かだ。
徳川の血筋を示され託されたその短刀は、定信にとって何の象徴だったのだろう。

大義

「よくやった猿吉」。第9話、定信の隠密は、家治様とお知保の方の子どもにして世継ぎが確約されていた竹千代を殺した第8話のラストで“隠密はお品とも交流のあった猿吉(演:本多力)だった”ことがわかり、視聴者は愕然とした。猿吉はあどけなくて優しい、唯一と言っていいほどの癒しキャラだったから。
そしてそんな猿吉の性格は、生来のものだったのだろう。子どもを殺し、猿吉は迷っていた。対して定信は、迷う猿吉に褒めながら、今度はお品の子、貞次郎を殺せと暗に命令する。
「ほんに殺す必要があるのでしょうか。まだ幼い赤子です。」猿吉の迷いに、定信は激昂する。「わしに口答えするな! 」「我らの使命を忘れたのか? 大義のためならば、多少の犠牲はやむを得ん。そうであろう? 」「やれ。」「やるのだ。」「やれ!! 」
感情が震えるほどの怒り。人はこれを“震怒”と呼ぶのだろう。あの定信は、女中たちが“恐ろしい”と陰口を叩いたとおり、闇の深い畏怖に溢れていた。
なぜ彼がそこまで追い詰められたのか。
定信には大義がある。
第9話では、定信と猿吉の出会いが描かれていた。幼い子どもを食べさせるために罪を犯した親が牢へ入れられ、子どもは孤児になる。親のいない子どもは生きられず、また罪を働く。そんな子どもが江戸には山のようにいた。猿吉(本名は彦兵衛)もそのうちのひとりだった。
そんな彼に、定信は猿吉という新しい名を与え、夢を語り、生活を約束した。
「この国には貧しいがゆえに罪を犯し、行き場所を失った者が大勢いる。この負の連鎖を断ち切らぬ限り、真の意味で天下太平の世は築けぬであろう。」「それゆえわしはあの城へ行く。そして幕政の実権を握り、居場所を失った者を救いたいのだ。」
スピンオフドラマを観るに、この時系列は家治様と倫子様の婚儀より前で、お梅と出会ったのも婚儀より前だった。
つまり宗武もまだ存命だった頃。やはり彼の中の呪いが形になってしまったのは、父の死と愛ある遺言が原因だったのだろう。大義を語る定信の目は、倫子様のように優しいぬくもりに溢れていた。

“大義”を語っているのに、その意味が決定的に変わってしまったのは、やはり第9話。猿吉は、貞次郎を殺せなかった。定信の命令に逆らったのである。
「それがしにはできませぬ。」裏切られたと感じた定信は、憤怒する。「わしを裏切る気か? やれ!」大義を語り、盟友だと思っていた猿吉の裏切りは、定信の中で大きかったのだろう。定信は刀を抜く。「貞次郎を殺せ。さもなければおまえをここで斬る。」
「あなたさまに拾っていただいたわが命、ご自由になさってくださいませ!」対して猿吉は、もうとっくに覚悟が決まっていたようだが。
「さては貴様、お品殿にほだされたか。」自分との絆より、盟友として語り合った大義より、よその人間に心を奪われた。定信の感情はミシミシと悲鳴を上げる。
それがしが一番に尊敬してお慕いしていたのは、定信様です。あなた様ならばまことにこの国を変えてくださるかもしれぬと信じておりました。しかしいつの間にか、国ではなくあなたさまが変わられてしまった。」猿吉が口早に紡いだ言葉は、定信が閉じていた感情という、良心という箱の中に入っていた“現実”だった。
「今のあなたさまに大義などございませぬ! ただ己を貶めた者たちに復讐したいだけにございます! 」「黙れ彦兵衛! 黙れ! 」定信は、泣き喚くような声と共に猿吉を、彦兵衛を斬り殺した。

家治への執着

大義ももちろん定信を突き動かすひとつの要素だったが、彼がここまで大義に執着するようになったのは、家治の存在もあるだろう。
幼い頃から従兄弟という間柄なこともあり、ふたりはよく将棋を指したようだ。定信が1度も勝てたことは無いそうだけれど。「どうしても勝ちたい相手がおってな、日頃から鍛えておるのだ。勝てたことは1度も無いがな。」スピンオフドラマで定信は、前半ずっと将棋盤に向かっている。その姿はまさに“勝利への執着”だ。

家治の父家重と、定信の父宗武は、8代将軍吉宗公から生まれた兄弟である。家重は愚鈍な将軍とされていたのに対し、宗武は聡明だったという。だが吉宗公は“長子継承のならわし”を優先した。それがまた、宗武の思いを燻らせ、定信に呪いをかける一因となったのだろう。
同じ祖父から産まれたのに、片や将軍、片や三つ葉葵の紋所をつけることも許されない一藩の藩主。しかも武道においても将棋においても、1度も勝てたことが無い。そりゃあ執着するだろう。そして同時に、“1度でも勝てれば自分の方が将軍の座にふさわしいという証明になる”とすら思っていたんじゃあないだろうか。
定信は、何においても弱いわけではない。お梅と将棋を指して強いと評されているし、さすが宮舘涼太と感嘆するほどの殺陣を何度も魅せてくれている。それでも、将軍にはなれない。家治には勝てない。
ならば引きずり下ろしてやる。勝てないのなら負けさせればいい。でも汚いことはできないから、お前が自分から汚い自分をさらけ出せ。そうして画策した第10話での策も失敗し、最終話で暴走の一途を辿ったのだろう。

復讐

子どもができないように薬草を仕組んでいたことが露見した第6話。「世継ぎに公家の血が混じれば面倒」という大奥の総意を使い、「家治の血筋を根絶やしにする」定信。
「このまま誰にも悟られず、果たしてみせようぞ。」第7話冒頭、やや微笑みながらお梅の遺体の片付けを確認し、言いながら短刀の刃を見ていた定信の目に映っていたのは、大義だったのか、復讐だったのか。
“果たす”と言っている以上、やはり復讐なんだろうか。

お梅がおらずとも、お梅の死で心が痛もうと、定信の復讐の炎が消えることは無い。むしろお梅が失敗した際、「父上との約束があるというのに」の後に、定信はこうも言っている。「倫子殿の悲しむ顔は、見たくないのだがな」。
普通ならば支離滅裂な発言としか受け取れない、サイコパス的なこの発言。私は“定信は知らず知らずのうちに子ができない身体になっている方が、死産流産よりマシ=倫子殿が悲しまない”と思っているんじゃないかと感じた。だとしても激ヤバなことに代わりはないが。
でもその“激ヤバ”は、生来のものではない。子どもを殺したことでお品の情に絆されて恩人である定信に反旗を翻した猿吉も、生来は優しく人を思う人間だったように、きっと、定信だって。
そう思いたいし、そう思っているのに、固すぎる定信の感情の蓋は視聴者を嘲笑うように、悠々と罪に手を染める。

定信は心優しい倫子様を気遣うため、手紙とお菓子を定期的に贈っていた。その中に、倫子様の父からと称しても贈り物をしていた。
第7話では、倫子様の父からと称して幼なじみの特権を使い、倫子様は好物の白味噌煎餅を贈った。それによって、ようやく授かった倫子様の子は流れる。
「そうか、ほんによく効く、懐妊祝いだ。」第7話、家治様以外の大奥中の人間が倫子様の懐妊をよく思わず、服毒が画策される中、最後の最後白味噌煎餅を贈ったのが定信だったこと、そこに堕胎薬を含んでいたことがわかったのである。わかってしまったのである。
「残りは竹千代、そして家治か。」

定信の“大義”は、“天下太平の世をつくること”。定信の“復讐”は、“将軍になって家治の血筋を絶やすこと”
じゃあ“倫子様と一緒になること”は?

田沼意次との対比

田沼意次は人の感情を操って全てを道具とし、幕政の実権を握ることに留意した。家治の出自が正真正銘の将軍家の血筋だと知りながら、事実と嘘を織りまぜ、家治の弱みを握ったかのように見せかけ、幕政の実権を掌握した。そうすることで国を守り、発展のために命を賭した。
“事実と嘘を織り交ぜ”。これが第10話で判明する。
“家治様とそっくりな歌舞伎役者がいる”。これが復讐の突破口になると考えた定信は、倫子様へのお手紙で報告する。あくまで倫子様に伝えるのが定信らしい。
家治と幸次郎(かの歌舞伎役者、演:亀梨和也)は邂逅する。そこで全てを明らかにしてやる、家治はお幸の方(家治の実母)が不貞を働いてできた、将軍家の血筋を持たない人間なのだと、“将軍としてふさわしくないのだ”という現実を白日のもとにさらしてやる! そんなつもりだったんだろう。
だが、定信の目論見は失敗に終わる。お幸の方が不貞を働いたのは家治を産んだもっと後の話であり、家治と瓜二つの幸次郎は父親違いの兄弟でしかなかった。つまり家治は正真正銘の“将軍家の血筋の子ども”。10代将軍としてこれ以上ないほどふさわしい人間だったのだ。定信よりも。
田沼意次という男は、賄賂を行っていたり、一部の人間だけを重宝していたりと、黒い噂が絶えない老中であった。「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という言葉があるほど、濁りある黒い政治だった。
田沼意次という政治家が黒い政治を横行させられていたのは、将軍の弱みを握っていたから。このドラマはそう解釈した。
自分の思い通りに政治を行い、国を少しでも豊かにしようと尽力した。そのためならばと、人の感情を踏みにじるような非倫理的な行為も厭わなかった。
相手は家治だけではない。倫子様が1番信頼して信頼していた付き人、お品に対しても、その純情を蹂躙した。細かい話はぜひ本編を視聴してほしいが、大奥の女中でありながら将軍である家治以外の男と恋に落ちたのである。それが田沼に露呈し、相手の葉山貞之助(演:小関裕太)を牢に監禁し、“葉山殿の命が惜しければ家治の側室になれ”と迫る。結局貞之助は衰弱死し、お品は思惑通りに側室に。貞次郎を産んだ。
非道だ、人間とは思えない。でもそれもこれも、“公家の血の入っていない、将軍家の子どもを時期将軍にする”ため。公家の血が入れば幕政は思い通りにならない。幕政を武士ができなければ、民にまで目が回らなくなる。
単純な話、田沼意次が目指した政治は民主主義だったのだ。優秀な人材を重宝し、町人からも税を取ることで幕政を回した。貧しい民百姓に関しては家治様の方が目にかけていたが、決して悪政とは言い切れないのだ。

対して定信の行った政治は、共産主義だった。全ての人が最低限の生活を行える。貧富の差をなくす。そのために富んだ人にも節制を強いた。
他にも、田沼と定信の対比はある。田沼が“人の感情を操って全てを道具とし、国のために幕政の実権を握ることに留意した”のに対し、定信は“人に絶望させず運命を勝手に操ることで、倫子殿と一緒になることを優先した”定信。
真実を歪曲することはせず、人を故意に傷付けようとはしない。どこまでも誠実なのだ。道は誤っているけれど。

最終話、燃え盛る江戸城の中、田沼は自害する。家治様が死に、最期に政を託されたものの、定信の手によって追い出され、絶望に繋がったのだ。
田沼の息子、意知の件(殿中で斬り殺される)を皮切りに、定信は田沼意次を幕政から退けることに成功。「この国難を乗り越えることは、上様に託された最後のお役目なのです。」と反論しても、定信は毅然と言い放ち、書物を見せつける。「そなたはもう用済みだと申しているのです。」
徳川御三家御三卿の協議により、そう決まりましてございます。そこにはもちろん、田安の名前もあった。
「幼い頃、私はあなたによってこの城を追われました。そして今日、ここを去るのはあなたです。」

絶望して生きる意味をなくした田沼は、その間際こう唸った。「あなたさまは天国に、某は地獄に……!やはり上様と某は、表裏一体……!」
それで言うならば、定信は倫子様と表裏一体だったのだろう。表裏一体じゃなくて、共に歩きたかっただけなのに。

定信とかんざし

定信様は、手紙やお菓子を倫子様に贈り、初恋の相手を気遣った。好物に堕胎薬を入れた白味噌煎餅は“父から”と称して贈った。自分の気遣いは全て自分の名前で、そこに服毒はしなかった。必死に清廉に生きようとしている定信らしさが滲み出てしまっている。
「倫子殿はわしが書いた上辺だけの言葉を信じ、喜んでおる。わしのせいで子ができぬとも知らずに。」時系列的には恐らく6話中盤、子ができずに思い悩む倫子様からの手紙に、定信は独りごちる。
「それでもわしは少しも心が痛まぬのだ。やはりおかしいのかのう……。」お梅はそんな定信を肯定するが、彼女も倫子様も知っていたのだ。“定信は自身の優しい本質に硬く蓋をして、復讐を果たすために修羅となった人”なのだと。

定信は第4話の代参の逢瀬の折、かんざしを倫子様に贈った。物欲しそうに眺めながらも「大奥では着けられないから」と諦めようとする倫子様に。
それを最終話、定信の裏切りを知った倫子様は投げ捨てる。それが唯一の、穢れなき純愛の証だっただろうに。

純愛

「御台様のことは、この身に代えても、お守りいたします」。第4話、本当の意味で“倫子殿”と再会を果たした定信は、純愛を思い出した優しい笑顔で昔のように名前を呼ぶ。「倫子殿」。併せて倫子様も、昔のように定信のことを「賢丸」と呼んだ。
つかの間の逢瀬を楽しむかのように、定信は倫子様が「かわいい……」と声を漏らした朱色のかんざしを購入し、彼女の髪に挿す。
「お似合いになると思いますよ。……ほら。」鏡を見せてお似合いですよ、と言うのではなく、自分の目に映ってその表情で“お似合い”だと示す。どれだけ愛おしく思っているのか、たったこれだけのシーンでわかる。なんていじらしいんだ、定信。
この後かんざしは貧しい幼子に盗られてしまうのだが、それを追いかけるくらい、倫子様も定信の“愛”を心地よく感じている。このときはまだ、恋愛だとは思っていないだろうけれど。
そこで倫子様は貧富の差のひどさを目の当たりにし、その現実を見過ごして田沼意次に政治を任せきっていることも知り、家治様がなじられたことに憤る。そうやって“好きな男を庇う姿を見て”惚れ直したような表情を見せる定信。純愛すぎるだろ。

第7話、代参で会いたいという手紙に微笑む。竹千代を消す決意もするけれど。

第8話、久しぶりの再会でも、定信は嬉しそうな顔を見せる。猿吉が竹千代(家治とお知保の方との間の子)を殺害する時間を確保するためでもあったけれど。

「今日はいい息抜きになりました、ありがとう。」手紙で勇気づけられ続けた倫子様は、定信に向かって柔らかく微笑む。「またしばらく会えなくなってしまうのですね。」耳の垂れた犬のように、純粋な表情を見せる定信。
「わたくしは上様が憎いです。倫子殿につらい想いばかりさせて……。この際、離縁なさってはいかがでしょうか。」久しぶりの再会に対し、あまりに嬉しくなったのか、とんでも発言もぶちかますが。「あなた様が一番苦しんでいるときにそばにいない者と夫婦でいる必要があるのですか。他のおなごと過ごすような者を愛する必要があるのですか。」
バッグハグまでして、長年培った純愛をようやく言葉にして告げる。「私ならば、あなたさまにそのような想いはさせません。倫子殿ひとりを愛してみせます。……ずっと、お慕いしておりました。」

定信は、ずっとずっと倫子様を慕っていた。お梅を殺した後も、痛んだ良心という感情の蓋を締め直し、「わしにはどうしても手に入れねばならぬものがある。天下人の座と……」という言葉と共に、初恋の人の顔を思い浮かべた。「定信の恋」と名付けられたスピンオフドラマで描かれたシーンだ。なにがあっても立ち止まらない。復讐のため、大義のため、……愛という、夢のため。

しかし、第10話。家治様と幸次郎の一件の後、定信のもとに倫子様から手紙が贈られてくる。「こたびは上様のことで貴重な報せを賜り、ありがとう存じます。おかげでようやく大きな山を乗り越えられたように思います。
「代参の折、浜御殿でおっしゃっていただいたことですが、私はやはりこれからも上様と添い遂げたいと」定信は、その文を最後まで読めなかった。文末に書かれた“倫子”の名前をぐしゃりと握り潰し、復讐の意思を新たに固める。
「こうなったら、力ずくで奪うまでだ。……待っておれ、家治。」定信が抜いた刃は、三つ葉葵が入った短刀だった。

優しさ


第9話とスピンオフドラマでは、定信の心優しい一面が描かれた。
「住むところがないのか。ならばわしと一緒に参るが良い。」行き場を失った猿吉を救ったように、定信は孤児を救う運動に励んでいた。孤児や罪人の子どもを集めて僧と住まわせ、その家で自身の藩で納めた米のおにぎりを恵み、住む場所も与えていた。
大義を語って救いの手を差し出し、猿吉とお梅を仲間にし、復讐を進め、失敗し、孤独になった。でも彼の行動に優しさがなかったとは、とても思えないのだ。推しの贔屓目、楽観主義を抜きにしても、だ。

まず、猿吉やお梅は基本的に自分から協力を申し出ている。猿吉も隠密として大奥に潜入させたものの、第7話までは殺害や堕胎に関与させてはいない。お梅は完全に自ら大奥への潜入を申し出たし、その上で「失敗すれば命はない」と約束(脅し)してもいる。
それに、どちらも“施しをしたからその対価を払え”と定信が迫ったわけでもない。ただ大義を語り、人の心を掴んだ。彼もまた、たしかに人の上に立つ器ではあるのだ。だが、弱った心は簡単に優しさを吸い込んでしまうのだけれど。賢丸が倫子様という光に強く惹かれたように。

定信の施しは、打算的なものではなかっただろう。打算であれば、子どもを集めて住まわせて食糧を施しはしない。それも未来の駒に育て上げるつもりだったと言われればそうかもしれないが、少なくとも定信の表情から打算は感じ取れなかったのだ。
定信が打算的な人物で、一点の優しさすらも存在しない完全悪ならば、そういう描き方をするはずだ。“優しい定信様”の場面でにやりと暗い笑いを浮かばせたり、お梅や猿吉が協力を申し出たとき悪い笑いをさせたりするだろう。だが彼は一貫して、柔らかく朗らかな笑顔であった。天下太平の世をつくりたい、そのための同志がほしい。少なくとも、お梅や猿吉と出会ったときの定信はそうだったのだろう。
「十分、お優しいではないですか。」スピンオフドラマで何度も将棋盤に向かう定信は、お梅と指したとき、“わざと”価値を譲っている。そこに下心はなく、ただ純粋な優しさだった。それをお梅は悟り、ひとり涙を流す。優しい人が「わしは人の心がわからぬ」と言うに至ってしまった、それまでの過去を想って。
定信は優しい、優しいんだよ。彼は自分が優しくない、人の心がない、と自覚しているが、生来の本質の部分だけはたしかに優しいのだ。だからこそ、お梅を殺した後に心を痛めるし、猿吉を殺したことで後に戻れないと覚悟を決める。罪を背負って、向き合って、彼らの命に恥じない世をつくらねばと覚悟を新たにしている。
だからといって、ゆるされるわけではないが。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をご存知だろうか。かのドラマの中で大泉洋が演じた源頼朝、彼にこそ、定信は似ていると思った。
頼朝は作中、自分の命令で弟義経(演:菅田将暉)を殺害させる。その上で持ち帰られた首桶を、泣きながら抱き締めるのだ。あのシーンが忘れられない。
人の心を忘れたわけではない。忘れられるはずもない。ただ忘れたを思い込ませなければ、生きられなかったのだ。

定信は、最終話で倫子様に刃を向ける。父宗武に託された、三つ葉葵の紋が入った短刀だ。護身用か、自害用。用途がどちらかでしかない短刀を抜いておきながら、その肌どころか着物にすら触れられない切っ先。
自分の意思よりも向こう側にある、無自覚の優しい純愛に気付いた定信は、初めて涙を流すのだった。

憧れ

定信の倫子様への恋は、純愛だけではない。大義と復讐を果たすために、傷から目をそらすために、優しさに蓋をしないと良心の呵責に耐えられないと本能で悟っていた定信は、倫子様という光に憧れてもいた。
散々そう言ってきたが、その証拠は定信の政治にこそあると思う。「わしは人足寄場をつくるぞ」。スピンオフドラマで猿吉に誓っていたように、定信は罪人が社会復帰できるような更生施設の設立等に尽力した。
天明の大飢饉の折には、領内の窮民を救済するため、藩の財政支出を抑えるため、食糧を緊急輸送して徹底した倹約令を発した。老中になってからは蔓延っていた賄賂政治を厳しく批判、出版・思想の統制や、さらに荒廃した農村の再建と都市秩序の維持のためと、改革政策を多く断行した。ロシア船の来航を機に、海防にも尽力としたという。これらが世にいう「寛政の改革」である。
罪をゆるさず、でも更生の機会を与え、民のために働いた。「寛政の改革」は財政の建て直しや民の暮らしの安定に、一定度の成果を見せた。
清廉に、穢れなく。一点のシミすらゆるさず、清く正しく政治を行った。高潔な魂で地獄を跳ね返し、気高く大奥の頂点に立った倫子様のようになりたい、そう生きたらいつか認めて、振り向いてくれるのではないか。彼の政治を思い返せば、そんないじらしさすら見えてくる。

だが政治は、純白ではいられない。そして罪を背負ったまま清廉に生きようとしても、人間として評価されるのは罪悪感の方で。だからこそ定信の政治は、周囲から評価されなかったのだろうか。
定信は将軍家斉や一橋治済らと対立したり,その厳しすぎる緊縮な政治に人心が離れたりしたため、たった6年で老中首座を罷免されたとされる。「大奥」というドラマでは、最終話でその様子が描かれたが、定信の罷免を求めたのは倫子様を筆頭とした大奥の女たち。そしてそれを認めたのは、田安家含む、徳川御三家御三卿の協議によって、であった。
清く正しく、倫子様のように生きていればいつか報われる。いつか初恋の夢が現実になる。そう願った定信の想いは、倫子様によって千々に破れたのである。

純愛が故の、清廉という生き地獄

「倫子殿の悲しみ顔は、見たくないのだがなぁ。」“定信の想いは歪んでいる”。そんな意見が散見するが、私はそうは思わない。むしろ痛々しいほどにまっすぐだったのだと思う。
子どもを亡くしたと涙を流すくらいなら、いつの間にか子ができない身体になっている方が幸せだ。そりゃあそんなことしない方がより一層幸せなんだうけれど、それじゃあ大義や復讐が果たせない。大義や復讐と同じくらい、彼には家治に勝ちたいという執着もあるのだから。
唯一の光である初恋の人が、忌み嫌う宿敵の妻になり、相思相愛になった。じゃあ“できるだけ初恋の人を悲しませず、宿敵を将軍の座から引きずり下ろす”と考えた。それが松平定信という男である。
そして自分が幕政の実権を握った後、彼は何を思ったのだろう。実際のところ、家治は定信に負けを認めて政治を託したわけではない。むしろ国難と死が重なった惨事でさえ、家治が頼ったのは恨んでいたはずの田沼意次だった。負けを認めるどころか、同じ土俵にすら立てていない。頼る相手の候補にすら挙がらない。そんな現実から目を逸らし、ただひたすらに清廉な政治を試みた。
倫子殿、見ておられますか。そうとすら思っていたかもしれない。「そなたには天罰が下りましょう! いずれ、必ず!」倫子様に投げつけられた言葉を思い出しながらも、いや、唯一の光の倫子様にそう言われたからこそ、天罰に怯えつつ、憧れの人のように清廉に生きたのかもしれない。
名前という羽をもがれ、愛と呪いという地獄に閉じ込められ、それでもなお飛びたいと羽をばたつかせた定信というトンボは、愛する人によって居場所を失う。

地獄には行けなかった

最終話、田沼を追い出し、遂に老中首座となって幕政の実権を握った定信。「これまで田沼がなしてきた政を一掃する。新しい世をつくるのだ。異論はゆるさん! 」声高にそう家臣へ叫び、意気揚々と気合いを新たにした。
そこへ、松平武元(演:橋本じゅん)が倫子様が定信様にお会いしたい、と定信を呼びに来る。「倫子殿が……! 」あのときの定信の喜びようったら。目が爛々と輝いていた。冷たく鉄槌を下すように田沼を罷免した人物とは別人のようだった。ずっと人がいる前では“御台様”と呼んでいたのに、宿敵もいないからタガが外れたのだろうか。安心したような“倫子殿”であり、定信はにやりと笑う。ようやく倫子様と一緒になれると、そう思ったのだろう。

「この定信が、しかと政の主導を務めさせていただきます。」意気揚々と、気品に溢れた、精悍で雅で凛々しい。第1話の出会いを彷彿とさせるような、それでいてもう戻れない暗さが宿る“誓いの言葉”であった。
「そうやって政の要に立つためにそなたは……!」対する倫子様の声は、怒りに満ち満ちていたが。「賢丸は優しい人でした。されど時折、どうしようもなく恐ろしい面があったことを思い出したのです。」ここのカットが本当に好きで。文を送り合い、会ったときは並んで歩いていたふたりが、向き合っている。その間には城を支える柱。分断されたようなふたりの“立場”が視覚化されたようで、“このふたりが隣り合わせになることは無い”という暗示かのようであった。
定信が斬り殺した猿吉は、遺書を残していた。貞次郎を殺せなかった時点で、彼はもう命を諦めていたのかもしれない。
そしてその遺書には、自分が今までしてきた罪が書かれており、全て松平定信の命令であったと記されていた。猿吉の手紙で、定信の罪が露呈したのである。
「猿吉?何者にございましょう。どこの馬の骨ともわからぬ者の言うことなど、真に受ける必要はございません。」定信はしらを切る。あの日優しいと言ってくれた倫子様が、自分を恐ろしいと言った。その事実は、彼を深く傷付けたのかもしれない。
“誓いの言葉”を発したような柔らかさは微塵も無く、ただ嘲笑と余裕だけが定信の声帯を震わせる。「賢丸は、恐ろしくもありましたが、それでも心の優しい人だと信じておりました。」「上様がどんな想いで亡くなったか、大奥のおなごたちがどれほどの涙を流したか。」
倫子様の言葉は、定信に届いたのだろうか。がらんどうな目で倫子様を一瞥すらせず、ただ流れゆく時間だけを見つめて心を殺しているような、そんな表情だった。彼が倫子様を見ないのは、初めてのことかもしれないとすら思った
「もし、これがまことならば、そなたには天罰が下りましょう! いずれ、必ず! 」
天罰は下った。倫子様という、定信にとっての光によって。定信にとって憧れで夢で恋で愛だった、高潔な太陽によって。

ただ、共に生きたかった

ここもまた史実とは異なるが、倫子様は落飾して大御台となり、大奥を束ねた。実に6年。江戸城が焼け落ちたあの夜、定信の優しさが全て嘘だったのだとかんざしを投げ捨て、家治様がいない世界に絶望した倫子様は、初めて命を諦めかける。お知保の方とお品、そして家治様の遺言によって生きる糧を見つけるのだが、かんざしは燃え盛る江戸城に捨て置かれたままだった。
贈られてきたお菓子や文は、上辺だったかもしれない。優しさではなく計算だったかもしれない。でもあのかんざしだけは、子どもが抱えるような純愛だっただろうに。その唯一の純愛“だけ”が燃え捨てられる世界に、定信の罪の深さを見た気がした。

「行き過ぎた質素倹約は貧しい国を生むだけです!」
街には松平定信の政治を批判する声が溢れていた。そしてその声を上げていたのは、家治が建てた寺子屋出身の者であった。

「行き過ぎた質素倹約は町に銭が回らなくなり、不景気に陥る。吉宗公の政の際、そのことに気付かれた田沼殿はそれを変えようと尽力されておりました。民もそのことに気付き始めたのでしょう。」倫子様に呼び出されたであろう定信は、江戸城で倫子様と向き合う。6年前のあの日は立ったまま視線を交わらせなかったふたりが、6年経った今、無事に再建された江戸城で上座と下座に分かれて座り、冷静に話をする。
「私どもからも、そなたの罷免を求める意見書を、御三家御三卿の皆様に提出し、本日お聞き届けいただけることに相成りました。」倫子様が言うその書。あぁ、わかっている。わかっちゃいるんだけど、あるんだよ。そこには田安の名前が。定信が奪われ、名乗れなかった名前が。定信も徳川の血筋ではあるから、彼の親戚たちが彼を罷免する意見を肯定し、後押ししたんだよ。
どこまでも、なにをしても、定信は孤独になっていく。
「大奥のおなごたちの声を侮らないでいただきたい!将軍家を誰よりも近くでお支えし、同じときを過ごす“家族”なのですから。
家族、家族。定信は父の本懐を遂げるため、血にふさわしい立場を得るため、天下太平の世をつくるため、貧しい人や孤児をなくすため、従兄弟である家治に1度でも勝つため、倫子と共に、生きるため。大きく言えば、彼も日本中の家族を守りたくて、徳川の人間だと認められたくて、倫子様と家族になりたかったのに、その全てから“お前はいらない”“家族じゃない”と突きつけられるのか。
「そなたには、この城から出て行っていただきます。」定信は笑った。あの日のようながらんどうな目ではない。涙を溜め、上座にいる倫子様を見下すようにして絶望に笑い、全身で泣いていた。
「倫子殿から、引導を渡される日が来ようとは……!」泣き笑いながら定信が手に取ったのは、あの短刀だった。自分は“徳川にふさわしい人間だ”と、“家族”と認めなかったと知ったとき、縋るように三つ葉葵の紋が入った短刀を手に取ったのだ。まるでライナスの毛布じゃないかとすら思った。
「ライナスの毛布」とは別名「安心毛布」。「スヌーピー」に出てくるキャラクター、ルーシーの弟ライナスがいつ何時も毛布を握っていることから、“子どもが心の支えとして特定のものを握っている姿”を表す、心理学用語でもある。
定信にとって、この短刀は心の支えだったのだ。そしてもうひとつの支えは倫子様だった。
短刀は、“護身用”か“自害用”にしか使われない。きっと倫子様の“護身用の懐刀”になりたかっただけの定信は、その短刀の鞘を抜き、倫子様に斬りかかる。
あぁでも、やっぱり倫子様と家治は表裏一体ではないのかもしれない。だってここで傷のひとつでもつけられなかったのだから。もし傷付けられていたら、家治と田沼のように表裏一体にはなれたのかもしれないが。倫子様は眉ひとつ動かさず、定信の短刀はその着物(尼僧頭巾)に触れることすらできなかった。

「もし私が、世継ぎに選ばれていたら、もっと違う未来になっていたのでしょうか。」定信が泣きながら零したのは、涙ではなく欲しかった未来であった。「倫子殿とも……!」「私の夫はなにがあろうと、家治公おひとりです。」だが、倫子様は残酷なほど美しく晴れやかな表情で微笑んだ。
その太陽を直接浴びた定信は、涙に震えながら自分の短刀が倫子様に触れられてすらいないことに気付く。地獄に堕ちたと思っていたのに、罪で手を染めて、修羅として生きて父の本懐を遂げたと思っていたのに、自分は結局優しさを、この人への愛を忘れられていなかったのか。そんな表情に見えた。
腹心を殺そうとも、最愛の人の子を葬ろうとも、定信の優しさが残っていたことは“よかった”と言っていいことなんだろうか。なんにせよ、タイミングが最悪すぎた。定信が倫子様にこれまで渡してきた愛の数々は偽物だったと思われたまま、当の本人もそう思っていたのに、そうじゃなかったのだと定信だけが知る。できるだけ傷付けたくなかった。自分の手では悲しませることすらしたくなかった。人の心がないのではない、人の心を忘れただけ。そして人は忘れることはできない、思い出せないだけ。定信はもう、人の愛し方も自分の愛し方もわからないのだ。自分の愛し方がわからない人間が、他人を愛せるはずもない。
自分の中の愛が本物だったと知った定信は絶望し、城を去った。ドラマでの彼の物語は、ここで終わる。

白日(King Gnu)


King Gnuの楽曲に「白日」という作品がある。元はドラマの主題歌だが、私はこのドラマの松平定信のイメージソングなのではないかと思いながら、日々聴いている。


時には誰かを、知らず知らずのうちに
傷つけてしまったり、失ったりして初めて 犯した罪を知る

「白日/King Gnu」


「人の心がわからぬのだ」と言っていた定信が、お梅や猿吉を殺し、倫子様の信頼を失い、初めて犯した罪の重さを知ってもう戻れないことを知る。「知らず知らずのうちに」というにはあまりにも面の皮が厚すぎるが、それくらい彼の感情の蓋は硬く締められており、自分でも開け方がわからなくなっていたのだろう。

戻れないよ 昔のようには
煌めいて見えたとしても
明日へと歩き出さなきゃ
雪が降り頻ろうとも
今の僕には、何ができるの? 何になれるの?
誰かのために生きるなら
正しいことばかり 言ってらんないよな

「白日/King Gnu」

「白日」の中の「雪」は、“真っ白に気高く生きた倫子様”のことだと思う。いや、もっと言えば“倫子様に憧れた定信が持つ良心”かもしれない。蓋をしたはずの良心が、お梅や猿吉、倫子様によってたまにゆるむ。でも復讐を留まるほどではない。それよりも愛という呪いの方が強く、とうに人の心を忘れた(と思っている)定信が足を止めることなどないのだから。
大義を、復讐を、勝利への執着を果たすためには、恋という夢を叶えるためには、正しさばかりで生きてはいけないのだから。

どこかの街で また出逢えたら
僕の名前を 覚えていますか?
その頃にはきっと 春風が吹くだろう

「白日/King Gnu」

ここがあくまでも“定信の希望”なのが辛い。春風は吹かなかった。それどころか、倫子様は定信を覚えてすらいなかった。「覚えていらっしゃいますか? 」と問うことすらできなかった。

真っ新に生まれ変わって 人生一から始めようが
へばりついて離れない 地続きの今を歩いているんだ

真っ白に全てさよなら
降りしきる雪よ 全てを包み込んでくれ
今日だけは 全てを隠してくれ

「白日/King Gnu」

「心を入れ替えた」だのなんだの言っても、結局人生は地続きだ。それまで積んできた歴史が消えることは無いし、無かったことにして一から築き上げることもできない。
定信がどれだけ清廉潔白な政治を行っても、人心がついてこなかったように。
ただどれだけ人心がついてこなくとも、倫子様への愛という純真無垢な“雪”だけが全てを包み隠してくれる。そうでないといけない。いつか倫子様が隣で笑ってくれるはずだから、自分を慕っている人や罪のない子どもを殺そうとも、倫子様の隣に立つためなら、いつかそんな未来を手に入れるためなら。
そんな未来、来ないのだとどこかで勘づきなからも、生き地獄を歩む足を止められなかったのだろう。

もう戻れないよ、昔のようには
羨んでしまったとしても
明日へと歩き出さなきゃ 雪が降り頻ろうとも

「白日/King Gnu」

もう戻れない、定信が最初にそう思ったのはいつだろうか。少なくとも、お梅を殺したときは「わしにはどうしても手に入れねばならぬものがある。そのためならば、立ち止まってる暇などないのだ」「死を無駄にしない。それが唯一の罪滅ぼしであろう」と話していた。心を痛めながらも、どこかで倫子様とは一緒になれない、1度汚れた手は闇に染まったままだと知りながらも、“明日”という未来に歩き出し続けたのだろう。歩き出すしかなかったのだ。

いつものように笑ってたんだ
分かり合えると思ってたんだ
曖昧なサインを見落として 途方のない間違い探し
季節を越えて また出逢えたら
君の名前を 呼んでもいいかな
その頃にはきっと 春風が吹くだろう

「白日/King Gnu」

春風、吹かなかったよ定信。
作中で定信と倫子様が出会えたのは、数えるほどしかない。彼の策略がバレる前だと、たったの3回。うち1回は倫子様が定信を思い出していない頃だ。
2度目の再会で定信を思い出した倫子様は定信を賢丸と呼び、定信は“御台様”や“倫子様”から、昔と同じ“倫子殿”になった。ようやく呼べた愛称。大奥ではお品以外皆倫子様を“御台”の名前で呼ぶからこそ、倫子様にとっても大切な絆に感じられたのだろう。
そうだよ、それを裏切ったのは定信だよ。そうだけど、思い出されても全く会えず、会えても家治様のことしか想っていない倫子様を見るのは、辛かっただろうよ……。

真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが
首の皮一枚繋がった
如何しようも無い今を 生きていくんだ

真っ白に全てさよなら
降りしきる雪よ
今だけはこの心を凍らせてくれ
全てを忘れさせてくれよ

「白日/King Gnu」

しんどい。倫子様に会っている間だけは全てを忘れられたのか、とっくに地獄行きが決まった定信という魂が浄化されていたのか。
それとも倫子様を思わせるような良心が顔を出したとき、今だけは心を凍らせてくれと懇願して、またきつく感情の蓋を締め直したのか。
誰かに目論見がバレれば一巻の終わり。将軍の座どころか松平の名前まで奪われかねない。そんな綱渡りの中、定信の安寧はやはり倫子様への想いだけだったのだろう。
呪いとなった父の愛も、家治様への執着も、大きすぎて重荷になりつつあった大義も、終わりの見えない復讐も。いつか、いつかきっと将軍になって倫子様と夫婦になれば、すべて報われると、そう信じて夢見て心を殺してきたんだろう。
だが第11代将軍となったのは、定信が殺し損ねた家治様とお品の息子、貞次郎もとい家斉だった。

朝目覚めたら どっかの誰かに
なってやしないかな なれやしないよな
聞き流してくれ

忙しない日常の中で歳だけを重ねた
その向こう側に 待ち受けるのは
天国か地獄か

「白日/King Gnu」

私は散々、定信が歩んだのは“生き地獄”だと称してきた。地獄を歩んだのは田沼意次、天国へ旅立ったのは家治様、天国に住まう人のように気高く生きたのは倫子様。
定信は生きたかった。夢を諦めきれず、11代将軍になれずとも、倫子様が落飾しようとも、家斉様と対立しようとも、いつか倫子様が認めてくれると、あの日唯一「賢丸は優しい」と言ってくれた倫子様が、またそう言ってくれると信じて、清廉潔白な政治で人生を巻き返そうとした。その道は茨だっただろう。
定信がなりたかった「どっかの誰か」は、やはり家治様だろう。最愛の人と相思相愛になり、将軍になった男。現に定信は、「私ならば、あなたさまにそのような想いはさせません。倫子殿ひとりを愛してみせます。」と明言している。たしかに定信と倫子様が夫婦だったならば、子ができずとも側室は持たず、田沼の策略も跳ね除けただろう。
でも「なれやしない」。「私の夫はなにがあろうと、家治公おひとりです。」気高く心を決めた倫子様の視界にすら、入ることはできない。
生き地獄を歩んだ果て、老中を追いやられて70歳で生涯を終えた定信を待ち受けたのは、どんな地獄だったのか。
史実では、死の間際定信は風邪をこじらせる。そんな折屋敷が火事に遭って焼失し、身に覚えのない悪い噂も流布され、定信はひっそりと松山藩の中屋敷に移る。歌会を開くなどの穏やかさも見せたものの、最期は苦しみ呻き声を上げながら死んでいったという。

いつだって人は鈍感だもの
わかりゃしないんだ肚の中
それでも愛し愛され 生きて行くのが定めと知って

後悔ばかりの人生だ
取り返しのつかない過ちの 一つや二つくらい
誰にでもあるよな そんなんもんだろう
うんざりするよ

「白日/King Gnu」

「愛し愛され生きていくのが定め」とか定信に言わせるなよ、まったくよ。
愛し愛されたかったよ。何かで読んだ本に書いてあった、“愛は鏡”なんだと。人をとことん愛して愛し抜く人は、愛されたくて堪らない人なんだと。だから“恋人”という関係が奇跡的に成立するんだと。
定信が欲しかったのは光ある愛だった。呪いに繋がる愛じゃなくて、「賢丸は優しい子よ、私は知ってるわ」と笑顔で肯定してくれた、倫子様という光から与えられる愛だった。
お梅も猿吉も、定信の優しさには気付いていた。でも盲信的に追い求めてきた定信に、他の形の愛は届かなかった。“鈍感”だった。
“後悔”したんだろうか、定信は。このドラマの松平定信は、自分のことになるととことん視界が狭くなりやすい性質だったように思う。倫子殿への愛しかない、家治に勝つしかない、父上の無念を果たさなければならない、大義を、復讐を。
きっと彼はもっと大きな空に飛べたはずなのだ。それなのに、自分で羽をもいでしまった。優しくて聡明で、飛ぼうと思えばどれだけでも飛べたはずの定信という清い魂が、自ら羽をもぎ、地獄に閉じこもり、それでももがいて清く正しく生きた。
最後までそれは報われず、それでもあのドラマで描かれなかっただけで、その後の彼の人生にも安寧があったと、優しさに見合う価値があったと、私は信じたい。

最後に松平定信の辞世の句を、自分勝手な口語訳と一緒に掲載しておく。

今更に何かうらみむうき事も
楽しき事も見はてつる身は

松平定信 Wikipediaより

「今になって、なにかしら残念だと思ったり辛かったりすることも、楽しいことも、残らず見てきた身(だと感じる)。」

最後に

無我夢中で書いてしまった。無我夢中で書いてしまって今文字数を確認したら、2万5千字だった。……いや、でも岸圭吾くん(「春になったら」)は3万字だったから、平均平均、そんなもんだよ、うん。……ごめんなさい、こんなにたくさんの文字数を読ませてしまって。
いつも「読むのをはばかるような文字数になりたくはないな」と思っているのに、結局長くなっちゃうや。放送開始当時は、こんなにも松平定信を愛おしく感じるとは思っていなかったなぁ。
自分から地獄を選び、それなのに清廉潔白に生きようとするどこかちぐはぐなこの無垢な少年が、私は愛おしくて仕方がない。優しいのに、優しいだけでは物事を達成できないということがわかるくらいの賢さはあったから、早々に優しい感情に蓋をして、いつしか自分自身も心がわからなくなってしまった松平定信。第1話での精悍で穏やかでどこか艶然とした優美さを持つ彼も、最終話で全身を震わせながら絶望に泣きながらも人らしく愛に打ちひしがれた彼も、全部が“松平定信”だったし、彼を演じ切ってくれた宮舘涼太という“俳優”にスタンディングオベーションを贈りたい。ありがとう、舘様。

舘様は個人のInstagramアカウントを持っているんだけど、恐らく撮影当時ちょっとセンチメンタルなストーリーをあげていた。「自分を見失いそうになる時に見る、俺の居場所はここなのかもしれない」。そんな言葉と共に上げた写真は、SnowMan ドームツアー「iDOME」の円盤だった。
自分を強く持っている舘様が、定信を演じている中で、自分の足場がぐらついたと感じた瞬間があったのかもしれない。それを手放しに喜べはしないけれど、それほどまでに定信という人間に向き合ってくれたことを、私は嬉しく思ってしまう。
宮舘涼太ならではの殺陣も、静謐で優雅な発声も、誰よりも自分に怒っているかのような怒号も。どれもこれも、舘様じゃないと魅せられない“松平定信”だった。

ありがとう舘様。これからも、あなたの俳優としての活躍も、心から応援しています。

もうひとつの松平定信イメージソング。


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