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自分の外見に苦しむ夜に読む話

平気で笑っていたけれど本当はしんどい1日だった。

私の友達はとても可愛い。
歩いている人もみんな可愛い。
テレビに映る芸能人は当たり前に可愛い。
みんな綺麗で、可愛くて、かっこよくて、羨ましい。

自分の見た目を好きになれないのは多くの人が抱える悩みらしい。
けれど私は本当に自分の見た目が嫌いだ。
せめてもと思い精一杯磨こうと頑張り続けている内面は、外見に自信がないせいですぐに卑屈になってしまう。
私がもっと可愛かったら、私がもっと綺麗だったら、目が二重だったら、目が大きかったら、鼻筋が通っていて、歯並びがよくて、肌が綺麗で、輪郭が整っていて、細くて、服を綺麗にこなせて・・・・鏡に映る自分を好きになることができたら。

外見より内面。
見せかけの美しさよりも中身の真の美しさ。
そんなこと言うけれど、ぱっと見た見た目が良い方がいいに決まっている。
美人とイケメンは得をするのだ。
どんな反論のデータを持ってこられても絶対に認めない。
私の人生が証明している。

すれ違う人は、私ではなく、可愛い友達の方を見るし、優しくされるのはいつだって見た目がいい人で、私が見た目を理由に大切にされる瞬間はない。
恋人を作ったり、就職の面談をすることだったり、色々な点で私は見た目が良い人よりも下の場所から上へいくための努力をしなければならない。

学生時代も可愛い人はそれだけでクラスの中心にいることが出来たし、どんなに頭が悪くてどれほど性格が悪くても、とびきり外見が良ければ外見でご飯を食べていくことができる。

そして何より、見た目の良さは生まれた時からどうしようも出来ない。
確かに、ダイエットをしたり、整形をしたり、昔よりも可愛くなる手段は増えたけれど、どうして私はもともと可愛い人よりも余分に努力して、痛い思いをして、お金を使わなければ元から見た目が良い人と同じ土俵にも立てないのだろうか。

私は、物心ついた頃から自分は外見がよくないのだと分かった。
だからこそ今ではある程度の諦めだってついてるし、可愛い人を見て可愛いなと純粋に思うこともできる。
だけれど年に数回、どうしても自分の外見の悪さに苛立って、どうディようもなく落ち込む夜がある。
もっと可愛く生まれていたら、少しだけ顔のパーツが違っていたら、もう少しだけ痩せて生まれていたら、私の人生はもっと良かっただろう。

何を言っても仕方がないことは分かっている。
だけれど本当にたまに、見た目を補うための努力が虚しく感じることがある。
元々見た目が良ければしなくて良いこと
、使わなくていいお金、その全てに嫌気がさしてしまうことがある。
毎日毎日変わることのない自分の顔を眺めては、どうしても苛立ちを感じてしまう夜がある。

これから先も私は努力すると思う。
自分を好きになるにはそうするしかないのだから。
だけれどやっぱり、すれ違う綺麗な人や、可愛い友達がどうしても羨ましい。
なんの躊躇もなく卒アルを見せることができる友達や、なんお躊躇もなくノーマルの写真をSNSにあげることができるインフルエンサー、そしてテレビに映る憧れの芸能人。
大好きなはずの人達がたまにどうしても妬ましく感じてしまう。
そしてそんな自分が嫌になる。
自分の外見が嫌いなこと、たったそれだけが原因で。

必死で努力する自分が、確かに馬鹿のように感じることもある。
食べたいものを必死で我慢している自分の無力さを感じることもある。
それでも私は、絶対に今よりも可愛くなりたい。
私はきっと自分に満足する日は来ないだろう。
どんなに人に褒められても自分の外見に自信を持つことができる日は来ないと思う。
それが私に残させた唯一の手段だから。

絶対に今よりも明日の自分の外見がよく見えるように、
そんなことのために私は今日も努力する。

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