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Beluga. / 創作

1957年11月3日ーーー。
この日はソ連がスプートニク2号を打ち上げた日であり、世界初の人工衛星として大きな注目を集めた。搭乗していたのは人間では無く、一匹の犬だった。その名をライカという。
ライカはもともとモスクワ生まれの野良犬で、数ある動物の中から適応能力の高い犬が選ばれ、数頭ばかり、宇宙への渡航を担われたうちの一頭だった。
有人飛行を目指した地球の周回軌道を巡る旅行は当時の技術では片道切符に等しく、打ち上げから4日後に狭い船内で息を引き取る。それから100日あまりして、大気圏に突入した同号は灼熱に巻かれて塵となった。

40年代以降、数々の国が宇宙への渡航を果たすべく熱烈な競争を繰り広げていて、ライカに限らず、この他にもネコやサルを初めとした哺乳類からカメやハエに至るまで、数々の生命体が地球の外側へと旅立った。無事生還を果たしたものもいるこそすれ、打ち上げたトータルの回数から考えてみれば、その数も大したものではない。人間すらも例外ではなく、確認されているだけでものべ20数人が生命を落としていることを考えると、どれほど困難な道のりであるか、またあったかと思い知らされる。まあもっとも、そんなに宇宙を目指すことが容易いと言うなら、今頃私も月くらいには行けているはずである。

現在までに1万を超える機体が羽ばたき、宇宙へ居を移しているものも多く存在するが、その衛生達は今でも宇宙の音を拾っている。それは主に非生命活動によるごく自然かつコンスタントな音の集約であるが、生命活動が示唆されるような音が新たに観測されたのは、つい2日前のこと、50年代後半にソ連から打ち上げられた「ベルーガ」という衛生内から観測された音であった。ベルーガは数十年間、打ち上げすらも秘匿とされていて、今日まで何を載せ、どのような目的で作られたものなのかははっきりしていない。然しながら調査の結果、何らかの生命活動が確認されている。これまでうんともすんとも言わなかった一時代を彩るうちの小さな産物が、新たに産声を上げている。数千にも連なる宇宙ゴミの溜りの中で今なお息づく、たった一つの宇宙船。
打ち上げ当初は地球の周回軌道上を航行していたというが、時が経つごとに楕円を描くように軌道にズレが生じたと見えて、今日では太陽圏を緩やかに突破しつつ、ボイジャー1号同様に星間飛行の領域へと展開している。

派遣契約が切れてから暫く、潔く無職という身になって、何もかもが社会から遠くなった自由の身を考えると、自身もベルーガと同じく社会の枠から飛び出ているように感じる。この頃は私らしくなく、日夜創作に力を入れるようになった。学生時代は図工美術にどれだけ果敢に挑んでも最悪の成績しか取れなかった私が、社会から放逐された期間を経てF20号のカンヴァスに描くのは、音のない宙間を悠々と漂う宇宙飛行士の姿だった。近所に立つ画廊から二束三文で買ったテレピンは布目への乗りが悪く、一日極わずかな時間だけ、こうしてカンヴァスの表面を硬い筆で撫でている。

やはり私は宇宙を愛していて、どれだけ調べ尽くしても掴み所の無い存在に長らく思いを馳せているらしい。" 人間は死ぬと星になる " という言説。5歳の頃にグリム童話か何かの端書きで、そんなものに出会った。それからというもの、サンタの正体を早くに知ってもこの話ばかりは一切の疑いもなく信じていた。もし仮にこれが真実ならば、たちまち夜空は、昼間と変わらぬほどの眩い光を放っているに違いない。
今思えばそれらの信頼は祈りから来るようなもので、人が居なくなってからのそれからを悲しいものにしたくないという思いがあったからなのかもしれない。

10代の頃よく夢に見ていた光景は20代へ足を運んだ頃からパタリと見られなくなった。同じように、20代の頃足繁く通っていた夢の景色は30代を皮切りに見られなくなっている。しかし年に一度だけ、幼少の頃から必ず見ている夢がある。それというのが宇宙服に身を包み、何処か判然としない荒野を永遠に漂う夢だ。目下に広がるガラクタの中央には丸く抉りとったようなクレーターと、更にその中央には上を向いて鈴なりになるミモザの花々。死後の世界を大して信じてもいない、宗教じみた文化に対しては反駁すら厭わない私が、泉下の客となった折には宇宙服を身にまとって、重さも軽さも感じえない身体で終わりのない荒野を漂いたいと願っている。


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