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欠落

少し前に購入した自家用車は生産から15年経っているオンボロ車で、外装の加工に縋って外面だけは新品同様、この年を生き延びている。純正品のカーナビは2006年を最期に時が止まっていて、4年前に開通した道路の存在を彼はまだ知らず、延々と田園地帯の上を走らせる。近隣にはその昔、由緒正しき日本家屋を基調とした割烹居酒屋が建っていた。まともな人間であれば確実に寝静まるような夜更けの街に、飴色の光を煌々と差し出していたことをよく覚えている。誘蛾灯に吸い寄せられるように店先まで辿り着いたかと思えば、母はもう一度私の手を握って 「ここは大人になったら来る場所なの」と呟いた。
それから程なくして店の光もじわじわと消えてなくなり、由緒正しく見えた建物の正体は継ぎ接ぎだらけの貧相な箱であった。後にアパートとマンションが一棟ずつ居座ることとなる。再開発の手が駅周辺より同心円状に加わったとしても、私の住まう地域周辺は一向に肌色を変えない。子供でないにしろ、一帯に人が増えていくのは明らかであっても、この街は一向に明るさを増すことはないのだった。

24年というスケールで綴られる紗幕の中で幾度となく物を落としてくる癖があった。鉄道会社には5本ばかり雨傘を献上し、扉が閉まると同時に右手の円柱の不在に気が付き、薄らいだ眼で電車のテールライトを見送った。しとしとと降る雨の中を濡れて帰り、それから決まって風邪を患うような生活を送っていた。大人と目される今となっても、通り過ぎる警察車輌を見て胸が竦むのは過去に犯した罪と罰がもたらす常同行動と似た存在であるが、拾得物の処理に至っては数え切れないくらい警察の世話になっている。拾い零した何かを取りに帰る時間と財を掻き集めれば、今頃中古車1台くらいはやすやすと買えてしまうのではないだろうか。

学生時代に週に一度という頻度で足繁く通っていたラーメン屋にも、もう行けない。8階建ての高層マンションを舞台とする借りぐらしを捨て、再訪を果たしたのは大家に鍵を返してから実に一年後のことだった。カウンターに山盛りのそれが置かれるまで、割り箸を2つに分けながら嬉々として待ち受けていたというのに、口に含んだ途端に過去の記憶との整合性がとれず、戸惑った分を皿の上に遺して店を出た。
同じような筋書きで、ここ最近好んで通っていたラーメン屋に足が向かなくなってしまった。長くそれを口にしない間に、味わい方というものを何処かへ置いてきてしまったような感覚である。脂で緩くなった腹中に虚しさを覚えながら、愛情を織るには日常の蓄積が不可欠であるように思えた。今の私には隣町のラーメンより徒歩3分で食べられるブリトーの方が、何かと理由を付けてひとりで居る方が、遥かに魅力的に感じられる。無理をして口に含んだニンニクの塊が喉にべったりと貼り付いて、今夜はなんだか眠れなかった。音が引いたり寄せたりする具合で、新聞を運ぶスーパーカブが細路地のどの辺りを走っているのかよく分かるようになった。


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