見出し画像

2023

箱根駅伝の特集が組まれているということ、即ちそれは年末を意味する。昨年もこうしてボサボサの頭を放置しながら箱根の特集を見ていた。高校野球児に向ける眼差しによく似て、未だ画面に映る彼らを歳上と思う感覚が抜けない。大掃除次いでに台所で長い間眠っていた珈琲豆を手動ミルで丹念に挽き、ドリップしたものを飲む。舌先で受け取る酸味が時間の経過を教えてくれる。どれだけ生活が煩雑になろうとも、日常の中に潜むこうした手間を大切にしている。少しずつではあるが、豆によって異なる食味やコクといった感覚が判るようになった。外食を我慢して冷蔵庫の中身を消費するのも、モカマタリが飲みたい衝動を我慢して無銘の珈琲で喉を潤すのも、年末ゆえに仕方の無いことだ。

大晦日となっても相も変わらず、やっとの思いで布団を出たのは午後13時のことだった。雨予報と聞いてしまったが最後、大晦日前日になってもなかなか寝付けなかったのである。インディポップのレコードは、買ってしばらくそのままだった。いくらヴァイナルに針を落としても、一年の終わりが腑に落ちないのは、こんな宙ぶらりんの生活を続けているからだろうか。

著名人の訃報がとにかく多い一年だった。年が明けてすぐのこと、YMO最年少だった高橋幸宏が虹の橋を渡った。それから程なくして、坂本龍一がその後を追うようにして橋を渡っていった。彼らは当時まだ新しかったポップチューンで世間を賑わせた反面、戦争反対、核根絶を楽曲に載せて訴えるという、極めて政治色の強い活動をしていた側面も持ち合わせている。とりわけ坂本龍一は東日本大震災直後に反原発を熱烈に訴えていた。もとより学生運動に精を出していた人間であるから、音楽思想のみならず、自己の信念に非常に忠実な人間であったらしい。そんな彼らが亡くなって尚、当時のバンド活動で大量に電力消費していたではないかと墓石を蹴る者もネット上では少なくなかった。無論、彼の死を悼む者は輩より遥かに多いし、私もまたその一人であるが、人が亡くなっても罵詈雑言は止まないことを悲しく思う。その当時はネットを見ることを辞めて、一日中彼らのソロレコードを聴いた。人の生死をベースに溜飲を下げるのは、生まれてこの方好きでは無い。

2023年も終わる。最後の最後で、ろくなことが書けない。いつもいつもこうなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?