見出し画像

不健康だが文化的な、最低の生活

足元がびしょびしょになった小便器を見つめながら、来世は女性がいい、と思う夜がある。ネットを開いて下スワイプを繰り返すと、振袖の着付けにあえぐ若い子たちの呟きがこちらまで漏れてきた。このことについて毎シーズン、一瞬でも頭を巡らせたかと思えば一瞬でこれらの労苦を忘れている気がする。安易に " 女性になりたい " なんて言うものじゃないかもしれない。きらきらと光る人の塊を目に入れる度に、成人の日をすごく遠くに感じるのは、今も昔も感覚としては変わらない。私が先輩だと思って見つめていた数多のアニメや映画のヒロインの年齢は、とうの昔に超えてしまった。
眠れなかったから、眠ることを辞めて、言葉を綴るために外へ出た。時計を見やると午前四時。明るくもなく、また暗くもない冬の朝は下手な不安に駆られるから嫌いだった。今眠ったところで、目を覚ます頃には夕陽が照っていることが容易に想像できたから、眠ることを諦めた。眠らない自分を否定しながら外に出て、コンビニの光を探す。こんな時間に人間が発している光を見ると、ほんの一瞬でも許されたような気持ちになる。都会に於いては、いつ何時も街が明るい。ともなると、いつだか東京へ行って感じた、深夜のあの高揚感は明かりによるものではないだろうか、と今更在りし日の記憶を反芻してみる。

自室の壁を埋め尽くすものたち。昼時は木漏れ日をいっぱいに浴びて、レシートなんかは段々と色が褪せてきている。このままここに貼っておいたらいつの間にか印字も何も、無くなってしまうんだろうか。
新千歳空港発 羽田行 の航空券を壁面から外して、しげしげと眺める。日本航空156便。いつか北海道へ訪れた日のことを思い出しながら、燃え滓になってしまった機体のことを思う。泣きながら飛行機のシートを探し、腰掛けてもう一度泣いたことを忘れもしない。東北上空を通過する折には深い眠りに付き、行き場を無くした涙をエコノミークラスのシートが吸い尽くした。目を覚ます頃には猛烈なドライアイに襲われて、目の乾きを癒すためだけに、悲しかった時のことを思い出してもう一度、申し訳程度の涙を流した。

取り込む洗濯物は冷たいが、衣類から春の匂いがした。これは気の所為かもしれないが、きっとすぐに春は来る。田舎の生活はやっぱり詰まらない。帰郷時に感じていた息苦しさを、二年経った今でも払拭することはできず、無言で家を出ていく父親の背中をベランダ越しに見つめながら、ネルシャツの毛玉を払った。
二月、私はもう一度北海道へ行くと決めている。少し前まで、こんな私が旅に出かけて良いのだろうかと一頻り悩んだ。しかし、あんまり人は私に興味を抱いていないということが、氷が溶けるくらいの速度で分かって来た。

成人式のふりかえりを眺めていても、皆逃げるように帰ってきたくらいの人ばかりで安心してしまった自分がいる。少なくとも、私のコミュニティには二次会まで行って飲み明かすような人間は存在していないようで、妙な満足感がある。明日から労働、非常に残念だ。私、まだまだ休めます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?