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その一瞬のかがやき

この日のために、一年待った。使い古したカーペットを物置にしまって置いたのも、こんな時間からヒートテックに袖を通したのも、この夜のためだ。夕飯は早くに食べたから、今しがた消化が始まると中途半端に腹が減る。デスクチェアの上でクルクルと廻りながら空を眺めていても、一向に雲がそこを退かなかった。仕事のみを生きがいにしてそうな同僚も、堅物な先輩も、「流星群」と1度は呟いて家へと帰った。

半分ほど開いた小窓に向かい、窓の外へと吹き流すように煙を吐いた。縛れるような寒さのお陰で、この頃は室内で煙草を吸っている。それも、5日に1回と決めているのは、室内に残置されているもの達への、ほんの気遣いだ。
半年前に空にしたピースの空き缶にドリップした珈琲の出涸らしを入れ、これを灰皿とする。入れ物としての憧れから、苦しい顔をして吸いきった金属製の筒も、結局はこうして灰皿と化している。

四季の中で、著しく冬が苦手だ。さむしく降る雪、ダウンを着込むタイミング、こうして夜中に待つ流星を含めたあれこれが握る、実に予測不可能な感覚は、24年経った今でも順応する兆しがない。その中でも唯一、流星群という存在は私の中で一縷の希望に均しい存在だ。だからこれを、避けられずに来たる冬のために待っていたというのに、こちらの期待感など露知らずして、曇天模様の空を見るだけに留まる。小一時間粘って諦め、コンビニで買ったチョコレートケーキを肴に、煎り大豆のような匂いのするコーヒーを飲む。この頃はいくらカフェインを摂っても眠気が取れることはなく、解像度が極端に低い日常を送っている。

思えばいつからか、邦ロックなんかで泣かなくなった。「もうあの人は私のために歌を歌ってくれなくなった、」というネットの言葉を夜毎拾い集めて、それらを粉々に砕いて全部飲み干す。酒で壊れる人間を嫌という程見てからというもの、勢いに任せて酒を飲まなくなった。自分が思っているよりも遥かに、酔いに任せる薄情さが嫌いらしい。待てど暮らせど、振り向いてくれない人に執着することを辞めた。ついでに、埋め合わせと間に合わせを探すことを辞めてみる。
今朝飲んだ古いお茶は飲まずとも分かるくらい傷んでいたようで、粘膜がピリピリと痛んだ。さすれども内蔵は私に「吐け」とは言わない。コーヒーを飲む前にみかんを食べれば良かった、そう思いながらゆっくりみかんの皮を剥く。日常のあれこれ、胃袋に収まれば皆同じだ。

開け放った窓を硬く閉めて、今夜1枚目のレコードをテーブルに乗せる。ノイズの塊が苦味ばしっているのを聴く限り、そろそろ針を変えなければならないらしい。眠っているうちに空が晴れてしまったとしたら、それは勿体ないとは思うこそすれ、年末に向けた労働の上にひとたび寝転んだ後に、改めて自身の生活に寝転ぶほどの余裕はない。明朝に消化しなければならない仕事のことを頭に浮かべながら、静かに目を閉じる。

仮に小惑星が地球の表面に衝突する時、空には沢山の星が流れるという。大量の流星と引き換えに、地球は終わりを迎える。現在の軌道から予想すると、今から数億年先にとある惑星と地球が衝突するそうだ。太陽はそのもっと先、エネルギーを失って宇宙の塵と化す。私たちは生きている、その一瞬のかがやきのために。

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