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やさしくない / 創作

「優しいばっかりが愛じゃないと思うんだよね、俺は」

そう友人に忠告された時点でもう遅く、彼女と別れてから早くも2年の月日が経っていた。ラストオーダーの時間も過ぎたグラスの中身も、氷がそのほとんどを埋め尽くす。中に注がれるのは烏龍茶のままで、至って素面にも関わらず、裏腹に顔が紅潮しているのが分かる。人が少しづつ散り散りに消えていき、その度に友人の声が繊細に耳を擽った。隣の宅に聳えていたジョッキの塊もひと息に下げられたところで、そろそろ店を出るべきなんだ、そう思う。ただ、足だけが上手く動かない。最終回の再放送はないというが、流行りものの昼ドラなんて10年を超えても地上波に躍り出ているところを見ると 「もう一度」があるような気がしている。今も、これからも、それは変わらない。
話の帰結もないまま、帰る場所だけはずっと同じだ。助手席でうわ言を吐く友人を家の前まで送り届けて、明け方にほど近いコンビニの駐車場にて、朝日が差すのを待ってみる。

優しさが何よりの愛情だと思っていた。昔から事ある毎に癇癪を起こして不平を漏らす父親を眺めて育ってきたから、というと上手い言い訳に聞こえるだろうか。どれだけの不満があっても、どれだけの嫉妬心があっても、あんまり口に出してこなかった。人と人との繋がりなんて言わば " 綿あめ " のように感じていて、触れすぎてしまえば消えてしまう。そう思うと、彼女の横顔を見ても何も言えなかった。
人生のほんの僅かな時間、頻りに買っていたジャスミン茶の手を止めて、烏龍茶ばかりを籠に積めた。ひとりでいる時には水道水だけで十分だと思っていた私が何故そこまでしたのかを考えると、家に烏龍茶があればいつでも貴女が帰ってくる。と考えていたのが最もなところかもしれない。

アラームが鳴ってもなかなか起き出せない私が、朝ごはんを作るためなら布団を出た。隣ですやすやと眠る貴女を起こさないように、できるだけ静かに布団を抜け出す。白米と僅かなおかずで育ってきた身体で、手際よく味噌汁を準備する。何を食べても美味しそうな表情を浮かべるのを眺めることが、ひとときの至福だった。
駅から遠くに在る貴女の家まで、よく自転車で通った。行き着くまでに、信号を11回超える。脇に眺める高圧電線の通う鉄塔は5、6本で、それこそが私にとっての旅路だった。長い時が経った今も、目を瞑ったまま君のもとへ行けるんじゃないか、そう思うんだ。

きっかけにきっかけが重なって連絡を取っていると、一瞬でもあの頃に戻れたような気持ちになる。しかし切り取れる幸せは過去のあれこれを追懐しないと得られない。気を抜いて生きていたら全てが届かなくなっていたし、貴女からの連絡も待てど暮らせど返ってこなくなっている。無邪気に教えた数ある音楽は、他人事として呑み込めなくなり、偶発を元手にしなければ自分から聴きに行けなくなってしまった。
2人で聴いていた音楽を、ほぼ同時に思い出してカバーしているこの状況もさ、戻れるってことなんじゃないの。忘れられないなんてきっと嘘で、全部忘れちゃうんじゃないの。そう言いたくも、もう伝えられない。

20センチ四方のアクリル板に宇宙飛行士を刻んでから早くも4ヶ月が経とうとしている。やはり私は宇宙を愛していて、どれだけ調べ尽くしても掴み所の無い存在に長らく思いを馳せているらしい。" 人間は死ぬと星になる " という言説。5歳の頃にグリム童話か何かの端書きで読んでからというもの、サンタの正体を早くに知ってもその話ばかりは信じていた。もし仮にこれが本当ならば、たちまち夜空は眩いほどに光を放っているに違いない。
今思えばそれらの信頼は祈りから来るようなもので、人が居なくなってからのそれからを悲しいものにしたくないという思い、故だと思う。

月では夜が2週間続くという。次に夜明けが来るのは今月中旬のことで、約一年前に地球を飛び立った月面探査機は頭を垂れてクレーターに落ちたまま、やがて息をしなくなった。およそマイナス170度にもなる苛烈な寒さの中、呼吸を止めるその数秒前まで、果たしてどんな景色を見ていたのだろうということを、夜が来る度に考えている。
互いに夜更かしを得意としていても、貴女は決まって私より早く眠る。私の番を皮切りに切れるメッセージを読み返しながら、カップの水滴ごと烏龍茶を飲み干した。もし仮に夜という存在が月と同じだけの時を刻むのだとすればもう少しだけ長く、会えていただろうか。もう少し長く、話が出来ているだろうか。満天の星を、ひとつ残らず見つめるだけの時間が残されているだろうか。貴女は電話に出てくれるだろうか。私だけが、出られない部屋の中にいる。






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