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茶屋のお便り年末年始号《ハーフタイム》~年越しそばのアレコレ~

 こんにちは。茶屋ファームです。本日が仕事納めという方が多いのではないでしょうか。いよいよ今年も暮れも暮れですね。本稿では前後半を挟むハーフタイムとして、歳末の風物詩である年越しそばについて語ってみたいと思います。


■ 年越しそばの由来

 大晦日にそばを食べる理由としては説がいくつかあります。

  • そばのように細く長く生きられるように、という長寿を願って

  • 家運もそばみたく細く長く伸びますように、という運気上昇を願って

  • そばは切れやすいので、今年1年の災厄をさっぱり断ち切ってから新年を迎えたいという願いより

  • 金箔を使う細工師が飛び散った金粉を集めるときに練ったそば粉を使うことから、金運上昇を願って

 といったような感じで、縁起をかついで年越しそばが定着していったようです。


■ 年越しそばの起源

 年越しそばの起源は江戸時代と言われています。商家の主人が忙しい晦日(月末)に働いてくれた奉公人に「三十日(みそか)そば」を食わせて労っていました。この「三十日そば」が起源となったようです。

 ところで、当時の江戸の風習では掛け売り代金の集金日が盆暮れと大晦日の年2回だけだったため、一度取りっ逸れると次は半年後となります。そのため、何としてでも年内に支払ってもらわなければなりません。大晦日は貸し手と借り手の一大決戦の日で、その戦いは深夜にまで及びました。

 仮病や居留守を使ってやり過ごそうとする者もいるなか、ひたすら駆けずり回って集金してきた奉公人に「そばくらい食わせてやろうか」と主人が思うのも無理からぬことですよね。

 この貸し手と借り手の攻防は江戸の江戸の大晦日の風物詩で、冬の季語となっていたり、「掛取万歳」という落語にもなっています。


■ 江戸でそばが流行った理由

 当時、「江戸煩い」といって脚気が流行しました。脚気は重症化すると心不全を起こして死に至ることもある病です。江戸に住む人々に大流行したからことから、脚気が江戸煩いを呼ばれるようになりました。玄米ではなく白米を食べるようになったため、ビタミンB1が不足してしまったことが原因です。 

 そんな中、そば好きは江戸煩いに罹りにくいという噂がまことしやかに囁かれるようになりました。実際、そばにはビタミンB群が豊富に含まれており、噂は正しかったのです。脚気の原因もビタミンの存在も知られていなかった時代に、そばが脚気に効果があることを見つけ出したのは画期的なことだと言えます。

 他にも色々な理由があると思いますが、そんなこんなで将軍様から庶民まで江戸の人々の間でそばが広く親しまれるようになっていきました。


 以上、簡単ではありますが年越しそばや江戸にそばが広まった経緯などについて語らせていただきました。一旦ハーフタイムを挟みましたが、次回に茶屋ファーム産のそば粉を使用した年越しそばのレビューをお届けします。(年が明けてからの予定です。)

 今年は本誌をご愛読いただき誠にありがとうございました。来年もよろしくお願いします。どうぞ良いお年をお迎えください。


 私ども茶屋ファームは富山県南砺市利賀村で主にソバの栽培をしている農業法人です。日頃の農作業や六次産業化の過程、そばを使った料理、蕎麦についての豆知識など色々と発信していこうと思っています。

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