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9-7 お前からあの女を奪うやり方なんぞ決まっておる! 小説「女主人と下僕」

~敗戦奴隷に堕ちた若者の出世艶譚~

前話


女主人と下僕 ツタ


「わしが直接マーヤを抱く気などない。おい、まさか、まだ解らんのか?んん?わしが直接マーヤを抱くことなどよりもっともっと面白い遊戯があるだろうが」


つい先刻、あの、処女のマーヤを、あの生真面目なマーヤを、髪の毛一本舐め回すだけで、雌の声で泣かせた、ザレン爺。


チークの艶々とした大きな書き物机、その椅子から、ザレン爺はゆっくりと立ち上がった。老いたとはいえ、骨格からしてがっしりして厚みのある胸板の堂々たる体躯の爺いだ。


(あれだけやっておいて、マーヤにちょっかい出す気は毛頭ねえだと?うす汚ねえ嘘つき爺いめ、俺は絶対騙されねぇ)


ディミトリは真っ直ぐにザレンを睨んだ。


「わしがお前からマーヤを盗む遊びをするなら、わしがやる や り 方 は た だ ひ と つ !」


ザレン爺は残酷な喜びに目をぎらぎらさせて続けた。


「お前よりもっと、もっと頭のいい、もっと身分も上等な、しかも滴るような男前の、素晴らしい色男を何人も何人も見繕う!そしてその色男共にわしのありとあらゆる手練手管をマスターさせる!さっき、わしが指一本で、やすやすとマーヤを雌の声で泣かせたのを…見ただろう?見繕った素晴らしい色男共には、あんな小手先ではなくて、もっともっと、とてつもない技をありったけ仕込んでやろうではないか。そしてその色男を、マーヤの元に次々と送り込む!お前の目の前で、マーヤとその男達を気が狂うほどの恋をさせるのだ…マーヤはその男達に夢中になって…そしてマーヤはお前をこっぴどく棄てるだろう!…お前が本当に心配しなきゃならん相手とは、わしなどではなく、その、いつ、どこから、やってくるかわからない、次から次へと送り込まれて来る、その何人もの色男どもに決まっておるだろうが!」


「なっ....!」


女主人と下僕 タコ挿絵3


「…そうだいいぞ...いいぞ…いい表情になってきた…そして棄てられたお前、若い頃のわしにそっくりな顔のお前が、最高の女も、一度得た大金も、街一番の店二軒の総本店の店長の座も、生まれて初めてのとてつもない贅沢も、一度得た素晴らしい身分も、すべてを失って!冷たい路地に放り出されてぼろ雑巾のようになって気が狂ったように嘆き悲しみ狂うのだ…その様子は最高にそそる酒の肴になるだろう…わしは遠い昔のやけつくような悲恋を、若き日の胸が掻きむしられるような挫折を、鮮明に思い出すだろうよ...!」


ザレン爺は、いきり立つ逞しいディミトリを舐め回すように眺めていたが、そのまま感極まったようにわずかに目を細めて顎を上げ、ディミトリなど眼中にないように遠い目をして、甘くおぞましい官能のため息をついた。
ディミトリはぞっとした。


この爺...怒る俺を肴にして、恍惚を味わって、舌舐めずりして、愉んでいやがる…!!


はじめての感覚だった。


ディミトリは普段は、気が弱い穏やかな性格で通っているが、それは実は、自分が十分すぎるほど逞しい男であるからこその、余裕でもあった。威圧感を与えないための方便でもあった。


どんな男だって、本当に頭に来れば、こっそりふたりきりの場所に連れて行って、ひとたび吠えて見せればいいだけだった。どの男もびっくりして震え上がり、二度と歯向かわなくなった。


(この爺い...二人っきりのこの密室で、どれだけ睨みつけてやっても、砂一粒も、怯えていねえ...!)


「ま、選手交代はまずはしばらくは勘弁してやる。…ただし!お前があんまりぐずぐずとしょうもない仕事ばかり見せつけるなら、快進撃の出世劇から、残酷極まる失恋劇に、わしの観劇の内容を 即 座 に変更する!…これからはマーヤの近くに寄ってくる男達は、ひとりひとり、よくよく顔を覚えてせいぜい気をつけた方がよいなあ...。…覚えておけ!」


「…!!!」


「んんんん?なんだ?どうした?ピヨピヨ鳴いて歯向かう気かえ??本当にいいのか?本当にマーヤをわしに盗られたくなければ、そして今のザレン茶舗の店長という敗戦奴隷としては破格の境遇もすっかり取り上げられてまた冷たい牢屋だか雪の凍てつく冬の路上に転がされたく無ければ、それこそ、いま、わしから教えてもらえるものはな、何でもかんでもありがたく素直に受け取って、金を稼ぎまくり必死で男を磨き続けるより他には方法はないのでないかえ?…んん?…わしがこの手で最っ高に仕立て上げた、水も滴るような色男どもに、自分の女のあそこの奥の奥、○宮の入り口まで撫でくり回された挙句に女を掻っ攫われたくなければなぁ…!!ふ、ふ、ふ!は!は!」


女主人と下僕 タコ赤


ディミトリは押し黙ったまま、俯いて、しかしその眼は見開き、磨き抜かれたチークの床を、刺すように睨んでいる。


「忘れていただろう。お前はわしの部下ではない。ましてや孫でも息子でもない。お前はわしの奴隷なのだ!お前は国が取り付けた首輪のせいで奴隷なのはない。圧倒的な力の差によってわしの奴隷なのだ。お前自身の所有者も、お前の女の所有者も、いまはこのわしだ。ほうれ!ひれ伏せ!わしに跪け!」


ザレン爺も、杖をつきながらも、すっくと背筋を伸ばして、ディミトリに負けぬほどのガッチリした骨格の長身で立ちはだかり、ディミトリが次にどう出るか、ギラギラした眼で見つめている。


ようやく、ディミトリは顔を上げて、今度は、ザレンを眼光だけで射殺そうというほど瞳を光らし、しっかと見つめ、そうやって、ザレンの両の眼を睨みつけたまま、まずは立ったまま一歩あとずさった。そしてやはり睨みつけたまま、ゆっくりと跪き、床に両手をついて、土下座に近いような平伏する姿勢をとり、しかし顔は上げたままで立ったザレンをぎらぎらと睨みつけつつ、低い声で言った。



「…ザレン様…承知したしました。必ず…!ザレン様のご期待にそって、必ずザレン様をご満足させて見せましょうぞ!このザレン茶舗をお望みのように大きくして見せます!ですから、ですからまずは…まずは他の男ではなく、どうか、どうかこの俺に、商売と、色事の両方のお導きを下さいませ。…どうか!…完敗としか言いようがねえ」


ディミトリは言葉をきったが、立ったザレン爺と跪くディミトリはまだ無言で睨みあったまま動かない。


そしてザレンが口を開こうとした瞬間、ディミトリが搾り出すような声で唸った。


「…ただし!ザレンよ、この、ど変態のクソ爺よ!ようっく聞け。もし俺のマーヤをどうかしたらただじゃおかねえ!俺ァこの通り、貴様のような財産も、地位も、店も、なにひとつ持たねえ、身一つの奴隷よ。だがな。何も持たねえからこそ、その気になりゃあ、どんな事だって出来るんだぜ。もし、貴様がマーヤをどうかしたらな。そんな歳になるまでチンタラ長生きしていた事をよ。心の!底から!後悔させてやる!なぁにが記憶だ、昔の思い出だ。くッだらねえにも程がある!もしそうなったら、新しく極上の思い出を俺が貴様に呉れてやる!墓の中で腐り果てても憎しみでひいひい悶え苦しむような、あじわい深い、最ッ高の思い出をな!」


ところが、ザレン爺は、ギラギラした瞳のまま、皺だらけの顔をクシャクシャとさせて満面の笑みを浮かべた。


「ようし!やっと言った!やっと言ったか!」


ディミトリの肩がびくっとする。


その時ザレン爺の顔に浮かんでいたのは、歓喜であった。ザレン爺は歓喜していた。冷えた体でマーヤをこねくり回した時などとは比べ物にならないような、奇妙な誇りと喜びに打ち震えていた。

女主人と下僕 タコ赤


「可愛や…!可愛や…!お前…ひよっこなりに久し振りに吠えて見せたのう…!ほんに、お前を煽るのには骨が折れたわい!うむ、ぎりぎりの、情けないほど少ない切り札しかない割には、いちおう駆け引きをして見せたか。で?もしわしが本当にお前に手を下したならば、お前が全てを棄ててわしに復讐する、というのは大嘘だな?いきりたった馬鹿のフリをして、そんな風にわしを油断させておき、もし本当にわしに捨てられた暁には、わしに教えてもらった全てを手土産に、わしの商売がたきに取り入って寝返ってそいつの懐刀となり、そこでおもむろにわしに徹底的な復讐を仕掛けるという、そういう算段だ…うむ、茶商…ではないな、新興の珈琲商の知り合いかなにかだろう。既にお前と仲がいい珈琲商といえば…うむ。あいつか。あいつに深く取り入って珈琲の店を立て続けに開店しまくって、汚い手をも使って、わしの店を徹底的に潰しながらわしに復讐を仕掛けようとでも思っているんだな。…よし。65点。まあ、ギリギリ及第点だ!

ディミトリ?そろそろ思い出して来たかな…?


この10年間の生ぬるい待遇ですっかり忘れていたろうが…このわしはお前と血が繋がった優しいお爺さんでもなんでもないのだぞ…?そして冷たい牢屋で転がっていたお前をわざわざ選んで拾って来たのは慈善事業が好きだからでもなんでもないのだぞ…


わしは奴隷市場の中でまず、お前の、ランスの兵隊に捕まるまでの逃走劇、少年兵とは思えぬ沈着冷静な策士じみた暴れっぷりを伝え聞いてお前に非常に興味を持ったのだ…。そしてわしに瓜二つの顔と体格を見たとき、わしの頭に妖しい計画が閃いたので、試しにお前を拾って見ようと思った。まぁお前が役立たずならまた即座に売り飛ばせばいいだけだったしな。そして試しにお前を茶舗で働かせてみたら、わしは驚いたぞ…お前のなかなかの仕事ぶりに。愚鈍そうな顔してなかなか商才を見せるよる。


そうなのだ、わしはこれで10年も20年も、長い、長い間、探していたのだよ、お前のような可愛い可愛い操り人形を。


お前という操り人形を使って、わしは死ぬ前にもう一度この街中の男達を蹴落とす成り上がり劇を再び演じる。そしてこの街の男どもにわしの力をまざまざと見せつけて平伏させてやるのだ…!

今度のわしは平民から成りあがるのではなく、敗戦奴隷から出発だ。

敗戦奴隷の赤く錆びた鉄の首輪をつけた奴隷上がりのお前になり替わって、元奴隷というハンデ付きの姿で出世劇を演じ、もう一度このランスの男どもをざわつかせてやるのさ!

…ほんに可愛や、…やはりお前のその顔、燃えるような黒い瞳、やはりわしの若い頃に瓜二つ…!!…ふ、ふ、ふ…今日はいつもの間抜けなアホ面よりも数段は男前ではないか…!…今日の凛々しい表情は中々気に入った!じつに、じつに可愛ゆい!」

場違いなタイミングで愉悦する薄気味の悪いザレンを見て、虚を突かれ、ディミトリの顔は、徐々に威嚇から、怯えと当惑の表情に変わっていった。するとザレンは、ディミトリが戦意喪失しそうになるのをむしろたしなめるように、突然、老人とは思えない、床に穴が開きそうな、物凄い力で、


ダン!


と杖で床を打ち鳴らし、自分はチークの床に仁王立ちしたまま、床に両膝ついて跪くディミトリを見下ろし、続けた。


「いいか、ディミトリ。さっきの気持ちを忘れるな。自分の親だろうが兄弟だろうが子だろうが、過去にどんなに良くしてくれた相手だろうが、なんぴとたりとも信用するな。男たるもの、誰をも信用せずに、しかしこの世のすべての人間の懐に深く深く飛び込まねばならんのだ。…もちろん常にキャンキャン吠えろという気はない。それこそ愚の骨頂よ。それ位ならまだいっそいつものお前のように、ひたすらへらへらしながら徹底的に牙を隠す策を取る方がよほどましだ。…わしが言いたいのは、あらゆる相手といつでも闘えるように必要な瞬間に即座に意味のある形で牙を出せるよう、牙は日々こっそりと磨いておけということよ。…相手と戦う時、自分はどう出るか、どうやれば渡り合えるか、平和なうちから、常に、常に、策を練って置くのだ」


平伏の姿勢のままザレンを下から睨みあげていたディミトリから、いまさらぶわっと汗が噴き出し、こめかみに熱い水滴が、ひとすじ伝った。


「まぁ、仕方がないのう、お前を叩き潰すのも、マーヤに間男達を送り込むのも、まずはもうしばらくだけ待ってやる…もうしばらくはな!…んん?いい働きを、期待しているぞ?…ようし。ディミトリ。もう今日はこれで下がれ。わしはこれからひとりでさっきのお前のかわゆいかわゆい表情をな、ひとつひとつ、ゆっくりと思い出して、それを肴に酒を舐めるのだ…。う、ふ、は!は!はは!は!は!」


そして、ディミトリにはとても推し量ることなどできなかったが、ザレン爺は決してくだらない功名心などでディミトリを出世させようとたくらんでいるのではなかったのだった。

そもそも、ザレン爺にはーーー表面上はいつもわざとこうやって俗物ぶっているがーーーじつはたいした功名心も金銭欲も無い。

だが、こうやって裸一貫から大きな店の経営者になっている。

老人なのに、妻も、子供も、親戚も、居ない。

確かに数年前までは無口な妻がたった一人だけいたが…よくよく考えると街の誰もザレンの出自を正確に遡ることができない。

ディミトリは気づいていないが、ザレン爺を突き動かしている煮えたぎる動機とは、けっして幼稚な功名心などではなくーーーーおそらく、それは、何かわけのわからないものに対する、復讐心、だ。

だがそんな事は、今のディミトリに、解る訳も無いのであった。



女主人と下僕 ツタ


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昔々ロシアっぽい架空の国=ゾーヤ帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…

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