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▼北陸への旅▼⑤:北陸新幹線開業に湧く、敦賀へ(前編:敦賀港への廃線跡を歩く)

3月末に訪れた、北陸への旅の記録の続き。前回までは富山県内を回っていました。富山市という場所が、とても興味深い発展を遂げていたことを改めて知ることができました。(前回の記事はこちら)

今回は、富山から「敦賀回り」で東京に戻るルートを用いた北陸の旅の一つのメインイベントとして、3月16日に開通した、北陸新幹線に乗車して敦賀の街を訪れた記録について書きたいと思います。

■北陸新幹線で敦賀駅へ

富山駅から、かがやき号に乗車。富山→金沢→敦賀の区間は、
新幹線でつながり、とても速くなりました。
福井駅に停車。えちぜん鉄道の高架駅が赤く彩られています。
あっという間に敦賀駅へ。
現時点の終点の風格漂う、立派な駅です。
3階レベルの見晴らしの良いところに到着する新幹線。
ホーム階はこんな感じ。
そして、話題の乗換ですが、この新幹線の2階コンコースから、
1階に降りたら乗換完了です。

敦賀駅の乗り換えですが、3階の新幹線ホームから、2階コンコースに行き、1階の在来線特急ホームを目指す、という動線です。正直なところ、そんなにしんどい乗換でないと思ったのは、恐らく旅慣れている身だからでしょうか。

在来線ホームに寄り道。34番線が、しらさぎ号(米原・名古屋行き)
33番線がサンダーバード号(京都・大阪行き)に分けています。
サンダーバード号が停車中。
ちなみに、31・32番線が降車ホームのようです。
かにめしと焼き鯖寿司の自販機がありました。
かにめしを購入(笑)。
新幹線ホーム+特急ホームと別の位置にある、
在来線ホームと、西口(市街地側)の改札。

敦賀駅ですが、新幹線と在来線の乗換は、多分そんなに混乱せずにできるのですが・・。恐らく大変なのは、新幹線から、新快速や小浜線の電車に乗り換えようとした場合、だと思います。意外とその案内はわかりにくい感じかもしれません。

敦賀駅の構内図(JR西日本HPより)。
特急と新幹線の乗換はシンプルですが、他の列車との乗換は結構面倒かも。
こちらは、特急以外の列車が停車する、従来通りの在来線ホーム。
特急列車がここに停車しないので、
敦賀市民にはちょっと利用しづらくなったか??
敦賀駅の出口に向かうエスカレータにも、歓迎ムードがありました。
敦賀駅の中に展示されているポスター。
在来線の駅改札前は、開業効果か、とても人が多く
ちょっと手狭かな?という感じでした。
開業に湧く、敦賀駅。
ちょうど敦賀気比高校も甲子園に行っていることでも湧いていました。

■敦賀駅って、実はすごい駅

敦賀駅って、鉄道の世界では、結構すごい場所なのです。敦賀駅が開業したのは、何と1882年(明治15年)のことでした。日本海側の敦賀港駅と琵琶湖畔の長浜駅を結ぶ目的で作られた北陸本線。日本初の鉄道連絡船であった琵琶湖の連絡船を経由し、すでに開業していた大津~大阪の鉄道を介して、日本海と関西を結ぶ輸送経路が作られました。東海道本線が全線開通するよりも早い開業です。

敦賀駅は、開通当時は今の位置には無く、もう少し市街地の中心部に近い、気比神社周辺に初代の駅が作られ、そこからさらに敦賀港(金ヶ崎)駅までまっすぐ線路が引かれました。しかし、福井・金沢方面に線路が延伸された際、この敦賀駅からだとスイッチバックする形になってしまうので、現在の敦賀駅の位置に移転し、新たに敦賀港線もこの駅から分岐する形に変更されました。その敦賀港線、欧亜連絡線の拠点として栄えたりした時期もありましたが、戦時中に旅客輸送が休止され、その後廃止、貨物線として2009年まで営業していましたが、2019年に廃止されました。そのあたりの経緯、こちらのサイトに詳しいですので、是非ご覧ください。

古い文章を探していたら、私の所属する土木学会の「デジタルアーカイブス」にある、土木学会の前身である、工学会が出していた、「工学会誌」の第1号第1刊の1ページが、何と「米原敦賀間鉄道建築景況」という記事!東海道本線の建設に先んじて、長浜~敦賀間の建設に当たり検討している状況が記されています。

「工学会誌」(明治14年11月発刊)(土木学会のデジタルライブラリーより)

■交流電化発祥の地

また、敦賀駅の両側の区間は、急峻な山を越える路線で、北陸本線の旧線がクネクネと山を越えていた難所であり、早くから電化がされた路線です。なので駅前にはこんなものが。

交流電化 発祥の地 の石碑があります。

北陸本線の交流電化は、1957年(昭和32年)の10月1日に米原(正式には酒田駅と田村駅の間)と敦賀の間で完成しました。この石碑は、北陸新幹線の開通を目指し、観光資源にするためにクラウドファンディングを募り、JRの敷地内から駅前に移設されたものなのだとか。

また、この交流電化開通当日の貴重な映像を、NPO法人科学映像館さんがアップしてくださっています。昭和32年当時の敦賀の熱狂ぶりが伝わってきます。

■敦賀港線の廃線跡を歩く

さて、すっかり前置きが長くなってしまいましたが(笑)、2019年に廃止された敦賀港線の廃線跡を歩きたいと思います。1970年代の敦賀の航空写真から。南にある敦賀駅から、東にある山沿いの市街地の縁部をなぞるように線路がつながっていました。

1970年代の航空写真(国土地理院HPより)
市街地の東縁にクネクネと廃線跡が通っています。
敦賀駅の北東側。すぐにこんな新しい住宅地になります。
しばらく歩くと、新幹線が在来線(今ははぴライン福井鉄道)を跨ぐ場所に。

新幹線のこの高架橋、「舞崎線路橋」という橋で、土木学会関西支部の技術賞を受賞した構造物です。

そして、その北陸新幹線の高架橋に沿う形に、廃線跡と思しき空間が出現します。

こんな形で、境界杭があり、側道が。恐らくこのあたりは
廃線跡に高架橋が建っていると思われます。
敦賀駅は鉄道関連の施設が多かったので、
跡地が様々な用途で利用されている感じです。
そして、いよいよ敦賀港線の廃線跡が新幹線から分岐していきます。
小さな水路を越える鉄道橋の遺構。
線路は無いですが、これだけは残っています。
列車が走って来そうな感じがする曲線を描いた廃線跡。
そして、この道路の踏切跡から、線路が残る区間が出現しました。
ここ以降は、こんな感じの廃線跡が続いています。

廃線跡と言っても、基本的には無断で立ち入ってはいけませんので、踏切など道路と交差する所を中心に見て回りました。

JR貨物の用地であることを示す看板です。
まだ現役っぽく見える線路跡。おそらく多少手入れもされているのでしょう。
信号は、横を向けています。
踏切は、列車が来ないので柵が付けられています。
「第一瓜割踏切」という名前です。
踏切の警報器は倒されたままです。
まっすぐ続く線路跡。
国道の陸橋が見えてきました。
線路内立入禁止の看板。廃線前のものでしょうか?
国道476号の陸橋近くに、やはり線路と違う方向を向けた信号機の残骸が。
国道476号との交差部には、恐らく将来の車線増に向けて作られた未成橋脚が。
そして、次の踏切が出現。線路の左にあるのは、
敦賀市天筒浄化センターです。
そして、この踏切は、曙踏切。
ここからしばらくは、こんな感じで、
住宅地に近い所を走る廃線跡。
踏切ではない場所のようですが、民家と往来がありそうな場所も。
こちらは、奥のお宅のための専用踏切のような感じです。
そして、この踏切跡から見えてきたのが、
国道8号の下を行くカルバート。
そして、住宅地の道路を越していく国道8号。
こちらは結構古そうなカルバート。
こちらのカルバートは、改良が加えられたのか、
目新しいものになっていました。
そして、このあたりから、線路が分岐している気配が。
やはり、線路が分岐していたのですね。
線路が残る部分と、線路が剥がされた部分が。
そして、ここにも外された踏切の警戒標識の残骸が。
こちらは警報器無しの第4種踏切だったようです。
踏切の名前は、湧水踏切、といったようです。
味わい深い小径にある踏切。
2種類の信号が建つ場所に来ました。ということは、
敦賀港駅がもうすぐ来た、ということのようです。
その手前に、踏切があり、奥にはお寺が。
ちょっと行ってみることにしましょう。
お寺の名前は、永巖寺という、古くて立派そうなお寺。
国道8号に分断されている参道。とても縦長なカルバートが印象的。
こうすることで、参道の見通しをするための工夫なのでしょうか。
先人たちの苦労が何となく思い起こされる感じです。
立派な石段のあるお寺。
こちらは、お寺の発展に貢献した方の頌徳碑のようですが、
昭和20年の大空襲で焼けてしまったことが書かれています。
まっすぐの線路と、左に曲がっていく別の線路。
左に行くのは、敦賀新港駅に向かう廃線跡のようです。

敦賀新港駅は、今でいう赤レンガ倉庫や鉄道記念館などがあったエリア。そちらにも線路が伸びていました。1975年の航空写真では、しっかり残っています。

1975年時代の航空写真。大きくカーブして
湾の手前に伸びていくのが、敦賀新港駅への線路です。
色々な線路が分岐する部分。そこに来たかと思ったら・・、
何やら、急にお祭りを開催している賑やかな場所に到着。
線路も分岐し、いよいよ敦賀港駅(金ヶ崎駅)に到着です。
そして、ガードマンがいるような、賑やかなお祭り会場に到着。
廃線マニアとは全く違う、春休みのレジャー客が多いです(笑)。

前編はここまで。後編では、金ヶ崎駅跡付近のことや、赤レンガ倉庫、鉄道資料館など、敦賀港周辺や市内中心部の魅力をお伝えします。(※ここからが、マニアックでなく、「一般の人の」敦賀の街の楽しみ方、ともいうかも(笑))

■終わりに

新幹線開業に湧く敦賀駅から、敦賀港線の廃線跡を歩きました。新幹線開通だけでなく、敦賀は昔から鉄道の町として栄えた場所。交流電化発祥の地でもあり、とても興味深い見どころたっぷりのところでした。後半戦も、勿論とても面白い場所がありますのでお楽しみに。

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