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人間は身体で経験するために生まれてくる。AIと人間の違い。

おはようございます、茶素です。昨日のnoteで、人間の身体とはどういうものなのかという話を書きました。それについてもう少し具体的にお話しします。

昨日、どんな話をしたかと言うと、人の体というのは、その人が今までしてきた経験の総体であって、今までその人がどういう経験をして今ここにいるのかということが、身体から発される色々な情報によって表現されているんじゃないかという話をしました。

例えば、その人の顔色とか、筋肉の硬さとか、姿勢とか、表情とか、目の輝きとか肌の艶とか、私たちは色々な情報を人を見た時に受け取っているわけですが、それは何によって形成されるものなんでしょうか。

生まれつきのものも多少はあると思うんですが、私はその人の過去の経験というのが大きな影響を与えているなんじゃないかなと思うのです。

人の身体って今その瞬間のその人というよりは、その人が過去にどういう経験をしてきて、どういうふうに物事を考えて、どういうことを乗り越えてきて、今ここに存在しているのかという、 その人の歴史の蓄積がその人自身に現れていると思うんです。

もちろん、その自分が経験してきた過去をリセットすることもできます。
例えばすごく大きなトラウマを持って生きてきたけれども、それを一度リセットして新しい自分として生きていくということはできます。ただ、そういう経験をした場合にも、そんな大きなハードルを乗り越えて来た人だという、その実績がまたその人の身体に表現されています。

これが、オーラというものなんでしょうか。

そういう意味で、人の身体というのは、経験の総体だなという風に思いますし、身体を見れば人生がわかるというのはある程度あるんじゃないかなと私は思っています。

昨日は生成AIについてのお話をしたのですが、それと絡めてもう少し詳しく お話していくと、生成AIというのは、今すごいスピードで賢くなっていて、 あたかも人間のように人間の言葉を操ることができるようになってきています。そして人間よりもはるかに膨大な知識を持っていて、人間が今まで蓄積してきた膨大な知識の中から最もそれっぽいことを言ってくれるという、すごい発明です。

それなら、そのAIがあたかも人間のように喋れるようになったとして、AIと人間の最も大きな違いは何なのかと言うと、それはA Iには経験をすることができないというところだと思うんです。

例えば、 梅干しを食べた時に酸っぱいと思うっていうことは、人間なら体感としてわかりますよね。

でも、AIはその、「酸っぱい」っていうものが何なのかというのは理解していないんですね。ただ、酸っぱいということに関する様々な文献を読み込んでいるので、酸っぱいということが どういうことなのかを説明することができます。人間よりももしかしたらうまく説明できるかもしれません。

けれども、酸っぱいというのがどういうことなのかというのはAIには分からないわけです。

これは多くの研究者の人も言っているんですが、経験ができるかどうかというところが人間とAIの大きな違いだと思っていて、逆に言うと、人間は経験をすることができるからこそ人間である意味があると私は思うんですね。

じゃあ、体が全然動かなくて 脳死状態の人は生きている意味がないのか。みたいな話になってくると、ちょっと踏み込んだ難しい話になっちゃうんですが、身体が動かない状態になってしまうということも、また身体を持ったからこそできる経験だといえると思います。
身体を持っているからこそ、その身体を使って色々な経験をすることができるという、すごい特権が人間にはあるわけです。

そして、これは結構スピリチュアルの界隈では 当たり前のように言われている話もあります。

人間というのは元々生まれる前は魂だけの存在だった。魂だけの存在だから体を持たないし、自由にいろんなところを行き来できるし、しがらみもなくて、思考に制限もなくて、なんでも思ったことはイメージの中で実現できるみたいな存在だったんですが、それでも魂が身体を持ってこの地球に生まれてきた意味は、身体があるからこそ、色々なことを経験できるからなんです。

クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』という映画も、身体という物質的な制限を受けた人間の世界と魂の自由な世界を表現したものなんじゃないかと言われています。

身体という物理的な制限があるからこそ、色々な痛みを知ったり、その制限を乗り越えて自由になっていく過程というのを経験していくことができる。それが、その魂自体にとっての成長にも繋がっていく。

魂というのは、身体で経験するためにこの世界に降りてきているんだという話が、スピリチュアルの界隈の中ではスタンダードな話です。
そして、それがAIの登場によって、より人々に自覚されるようになってくるんじゃないかなと私は思います。

だからこそ、このAIが発達した世界の中で、自分自身がどういう経験を積みたいのかということがすごく重要になってくると思います。

なぜかというと、ただ知識を話すだけの存在というのは、AIでいいじゃんという話になってくると思うので、自分は何を思って、何を感じて、何を乗り越えて今まで来たのかという、その人自身の歴史みたいなのが、その人にしか出せない価値というか、魅力になっていくんじゃないかなと思うんです。

だからこそ、 今一度自分の身体を見つめ直して、自分の身体にはどういう習慣が染みついていて、どういう癖があって、 どういう時にどういう反応が起こるのか、みたいなことを細かく客観的に見ていくっていうことがすごく大事なんじゃないかなと私は思います。

それは、コロナの頃ぐらいからすごく流行っている「マインドフルネス」みたいなところとも繋がっていると思います。
自分の心を静かにして、自分の体の状態を見てみる。そのことによって、自分が今までとらわれてきたものであったり、経験の蓄積っていうのをからから読み取ることができる。

それによって、これからどういうふうに生きていきたいのかとか、 今までのことをリセットして新しいものをどのように取り込んでいきたいのかということを考えることができるようになると思うんですね。

AIの時代だからこそ、身体が見直される時代になってくると私は思います。

なんだか取り留めのない話になってしまいましたが、まとめると、人の身体は経験をするための器であるという話と、AIが発達した時代において、身体との向き合い方をを見直していくというのがすごく大切なんじゃないかなという話をしました。

どうもありがとうございました。


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