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AI時代の未来予測。何があっても裏切らないもの。

生成AIはエイリアン

 来月から生成AIの仕事をさせてもらえることになったので、生成AIの勉強をはじめました。

ここ数年は百姓とマッサージ屋さんみたいなことばかりやっていたため、デスクワークの仕事というのを全くというほどやってこなかったので、生成AIを使う機会もそんなになかったんですが、
・・・あ、大学のレポートでめっちゃ使いましたね(笑)

大学のレポートとか、どうなっていくんでしょうか。期末レポートのレベルだと流石に自分で理解して考えないと書けないものも多かったですが、授業の感想とか簡単な論述問題とかなら自分で書くより圧倒的に上手い答えを返してくれていました。あとは、授業で聞いてもよくわからなかったところをGPTに聞くと解説してくれるみたいなこともよくありました。

まだまだ初心者なんですが、自分なりの爆速で情報をキャッチアップしつつあります。
そんな中で思うのは、これは本当にみんなが言っていることでありきたりな感想なんですが、生成AIというのはもうとにかくすごい発明らしいっていうことですね。
東大でAIの研究をしている今井翔太さんという方が、生成AIが全世界に公開されたというのは、この地球にエイリアンが来たのと同じぐらいの衝撃だっていう風に表現いたんですが、まさにその通りなんじゃないかと思いました。(https://www.youtube.com/watch?v=rtQfoUSt1o4)

スマホを一人一台持っている時代に、スマホの中で、自然言語を人間のように扱えるめちゃくちゃ賢いロボットになんでも要求することができる。文章だけではなくて、絵を描いたり、動画を作ったり、クリエイティブっぽいことまでできてしまう。

一人でいろんなことができる時代になる

生成AIの分野はとにかく変化が速いです。今までであれば何かを勉強しようと思った時に、 それ関連の本をとりあえず読み漁って全体像を掴むみたいなことをしていたんですが、 生成AIについては本だとちょっと遅すぎますね。今起こっていることが本になるのを待っている間に技術が大きく進歩しているという。

変化が速すぎるから追っても仕方がないのか、というとそうでもない気がしていて、知らないうちに、自分が頑張ってやっていたことが生成AIなら簡単にできました、というようなことになっていても悲しいので、全体感を掴めるくらいには追っていたら面白いんじゃないかなと思っています。

こんなにも人間の能力を拡張してくれるものが身近に登場したならば、使えるものは使った方がいいんじゃないかと思います。
これからは、同時並行でいろんなことができる時代になっていくんじゃないかと思います。

私の場合は、森の開拓と整体の仕事を今はしていて、来年には就職も控えているので、自分が何者なのかと言われるとよく分からない感じになってきていますが、AIの力を借りたら、やりたいことは結構なんでもできるようになってくるんじゃないかと思います。

森の開拓をしながらオンラインでビジネスもできて、AI先生の力で整体の勉強もめっちゃ捗る、集客のアドバイスもAIにしてもらう、みたいな感じになったら、森の開拓者にも、ビジネスパーソンにも、整体師にもなれるんじゃないかと思っています。

生成AIについて勉強したいなと思ったのは、私自身、やりたいことが多すぎて、猫の手でも借りたい!と思っているからです。

とはいえ、ファストな情報を追いすぎるとなんだか全体感がつかめなくなったり、自分がしんどくなってしまったりっていうのもあると思うので、ほどほどに、楽しいなとか面白そうだなという好奇心が続く範囲で、試行錯誤してみようかなと思います。

面白くないことはやらない

私たちがどれだけ抵抗したとしても時間の問題で、人間の仕事はこれからかなりAIに代替されていくと思います。今はまだ大丈夫みたいなことであっても、数年後にはわからないぞっていう意識を持ち続けていた方がいいのかなと思います。

今はまだ大丈夫だから、これからも大丈夫だろうっていう風に思っていると、いざAIにとって変わられるという風になった時に、心の準備ができていなくて、これからどうしようと露頭に迷ってしまいますよね。まして、その仕事に自分や家族の生活がかかっていると、なおさら気持ちの余裕がなくなってしまうと思います。

安定なんてない世の中に突入したんだなと思います。「AIを活用した仕事術」とかよりも、「ミニマムに生きるライフハック」の方を学んでおいた方がいいかもしれません。

生成AIが登場したことによって、「今までやってきたことって無駄だったのかな」みたいな感じになってしまったりもするかもしれません。
私の場合、例えば受験勉強とか、めちゃくちゃAIの得意分野で、意味あったのかな?ってちょっと思ったりもしました。

もういっそのこと、面白ければやるけど、面白くなかったらやらないぐらいの気持ちでいた方がいいのかなと思います。なぜかというと、 その自分の仕事がAIにとって変わられたときに、 それでも自分がやることが楽しいからやるという風に思えていたら、まだ救われると思うんですね。

でもそうじゃなくて、今までいやいややって、いやいやながらにもスキルを獲得していたのに、それがAIにとって代わられてしまって、スキルも陳腐化してしまって、 でもAIがやってくれるぐらいなら別に自分がやりたくないという感じになってしまったら、それまで自分がいやいややってきた時間ってなんだったんだという風になると思います。

たとえ身につけてきたスキルが陳腐化したとしても、自分の中で充実した思い出として残るのであれば、意味のあることだったと思えると思います。AIなら3秒でできるけど、楽しくて自力でやっちゃう、みたいな人ってそれだけでなんだか魅力的ですよね。そういう情熱が人の心を打つ時代になっていくかもしれません。

財産がほしいとか、地位がほしいとか、あるいは名誉なんてものは、ぼくは少しもほしくない。ほしいのは、マグマのように噴出するエネルギーだ。
ー岡本太郎ー

自分がやっていて、それ自体が楽しいを思えるようなことをやってるっていうのがいうのが後悔しないための1番のリスクヘッジなのかなという風にも思います。

一ヶ月後に2.5kg痩せている茶素

ちょっと(というかだいぶ)話が変わりますが、ダイエットについての話をします。

最近、「4月中に2.5kg減らす」という目標を書いて、冷蔵庫の上に貼りました。

結構自分の中ではその体重を切ったことが今まで人生で2回ぐらいしかなかったので、結構高い目標だなと思うんですが、 冷蔵庫の上に文字にして貼ることによって、自分の中で意志が固まってきた気がします。

きょう、美味しそうなお店が立ち並ぶ駅前を通っているときに「なんかスイーツでも食べたいな〜」って思ったのですが、そのときにふと、「その行為は、4月中に2.5kg痩せる人がする行為なのだろうか。」っていう風に、一歩引いて見ている自分がいることに気がつきました。

今までは今日無理でも明日やればいいやとか、こんぐらいは大丈夫だろうみたいな感じでなあなあでやってしまうことが多かったんですけど、そうじゃなくて、「この行為は1ヶ月後に2.5キロ痩せている人がする行為だろうか」という、 自分をあたかも他人のように客観的に見て、行為と結果、現在と未来の関係性を見てみるということをやっていたのです。今までなぜそれができなかったのだろうか。私は本日、メタ視点というものを獲得しました。

「今それを食ってる人が明日はそれを食わないとは限らないし、今それを食おうとしている人は、1か月後に2.5キロ痩せてる っていうことにはならないだろう」という、当たり前のことに気づいたのでした。

他の目標に関しては割とストイックにできることもあるのですが、ダイエットは本当に苦手です。

ダイエットは小学生の時からほぼ失敗してきたので、失敗癖がついているというか、自分にはできるというセルフイメージがあんまりないんだろうなと思います。

まあいいや、で失敗することが習慣になってしました。思考の深くまで入り込んだ習慣をメタ認知するって結構大変なことなんだなと思いました。

なんの話だったっけ?っていう感じですが、AIの話をしていましたね。
この先の未来、何をやってもAIに取って代わられる可能性はありますが、身体を大事にするということは絶対に無駄にならないんじゃないかと思うのです。

整体の仕事をしていて、1日何人もの人の身体に触れるのですが、人の身体には、その人の生き様というか、今までの人生の全てが全てが現れているんじゃないかなと思うんです。身体を見ると、その人がどんなライフスタイルを送っているかや、どんな性格をしているかもなんとなく想像がつくし、身体から表現される微細な情報がオーラとなってその人の個性を作っているんだなと思います。人の身体には、AIには発揮できない深みというか、趣深さが表現されていると思います。

人の「身体」から出てくる「深み」みたいなものにこそ、AIに取って代わられない魅力があるんじゃないでしょうか。その深みというのは、つまりは「その人がどういう経験をしてきて今ここにいるのか」ということなのかもしれません。

私は10年後、20年後に、どういう経験の総体になっていたいのかな、なんて考えるこの頃です。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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