Meet James Ensor.(ジェームズ・アンソールに会いに行こう)

 小学生時代、学校が終わった後の僕が真っ先に向かう場所と言えば、親戚のおじさんが経営している土産物屋だった。友達は一人もいないし、結婚もしていないから家族もいないおじさんだったが、ゲームの腕は抜群だし、珍しい土産物をたくさん触らせてくれるし、僕はそんなおじさんが大好きだった。
「おじさーん、一狩り行こうよ。強い装備を作りたいんだ」
「おお、ボンか。別にええけどおじさんが手伝うとつまらんくならんか? ミーコ、ちょっと膝から降りてや」
 と言いながらおじさんは、膝の上で昼寝をしていた大きな三毛猫をどかして、外国の曲をかけていた古いCDラジカセを止めると、自分用の携帯ゲーム機を持ってきた。
「今日はどこ行く? 遺跡コースか? それとも密林コースか?」
「遺跡が良いな。飛龍の逆鱗と蒼玉がなかなか出ないんだ。ねえ、おじさんがいつも聴いているこの曲は、何てバンドが演奏しているの?」
「これか? They Might Be Giants (ゼイ マイト ビー ジャイアンツ)や。彼らはひょっとしたら大物かもしれないという意味やな。ボンもひょっとしたら将来大物になるかもしれんな?」
 この土産物屋兼自宅は、元々はおじさんの亡くなったお母さんが経営していた店で、若い頃のおじさんは、店の手伝いをしながら土産物屋の屋根裏にあるアトリエで、毎日絵の勉強と練習に明け暮れていたとうちの両親から聞かされた。
「アイツはなぁ、悪い奴じゃないんやけど、どうにも会社勤めが出来へん人間でなぁ。得意な絵を練習して、いつかはソシャゲの神絵師になって稼いで、絵に俺の生きていた証しを残したる! と言ってたときは、お父さんもおお、お前ならなれるわ、頑張れよ。と冷やかしではなくて本心から応援してたわ。人間、生きてくためには稼がんといかんからな」
 結局ソシャゲの神イラストレーターにはなれず土産物屋になったおじさんだが、絵は確かに上手く僕も夏休みの宿題で出たポスターの課題をおじさんに代わりに描いてもらって提出した事もあるが、同級生にはすぐお前が描いた物では無いと見抜かれた。
 そんなおじさんが、ホルモン焼きを肴にして梅サワーで酔っ払った時の口癖は
「ボン。わしな、金が貯まったら、ベルギーのジェームズ・アンソールに会いに行かないといかんねん。あいつ絵が上手いので有名な画家やけど、友達が一人もおらんから」
 だった。ジェームズ・アンソールという名前にピンとこなかった当時の僕は、オンラインゲームの知り合いかな? と思っていた。
 ある日の事だった。いつものように学校が終わった僕がおじさんの店に入ると、妙に生き物の気配が無いのに気がついた。
「ねえ、おじさん? おじさーん! ミーコは? ミーコ! どこに行ったの?」
 特に店の経営が苦しかった訳でも無く、結婚できない人生に悩んでいたとか、そういう解りやすい失踪の理由が何一つ無いのに、おじさんは突然三毛猫のミーコと一緒にいなくなってしまった。何か犯罪にでも巻き込まれたのじゃ無いかと心配したうちの両親が、警察に行方不明者届を出して探してもらったが、おじさんはついに見つからなかった。

 おじさんがいなくなって三年後くらいだっただろうか。僕がおじさんの土産物屋の前を通ると、巨大な鉄の爪を付けた重機が店を取り壊していたのだ。ビックリした僕が家に帰って母親に聞くと
「ああ、おじさんのお店? 誰もいないし、建物として残しておくと税務署に資産と数えられて固定資産税がかかるのよ。将来お前が大きくなったときに余計な税金を支払わずに済ませるには、お父さんとお母さんが生きているうちに更地にしておかないといけないのよ」
 僕は一目散に家を飛び出しておじさんの店に向かった。友達も家族もいないおじさんが生きていたという唯一の証しがあの店だったのに! 店が無くなったらおじさんという記憶もみんなから忘れられてしまうじゃないか! 
 おじさんの土産物屋に着いたときは、ちょうど取り壊し業者のお昼休みで重機も止まっていた。コッソリ店に忍び込むと、中の物は大半が運び出された後だったが、おじさんが愛用していたCDラジカセだけはゴミと間違われたのか残っていた。僕はラジカセの中に入っていたCDを取り出すと、取り壊し業者に見つからないようにそっと抜け出した。

 それからしばらくして僕は大学を卒業し、小さいながらも堅実な法律事務所に事務員として勤め、婚活パーティーで知り合った女性と結婚して一男一女に恵まれた。
 息子が五歳になった頃に日本でジェームズ・アンソールの個展が開かれた。家族を連れて見に行ってみると、パンフレットにはジェームズ・アンソールは生年一八六〇年四月一三日、没年一九四九年十一月十九日。生涯独身で友達もおらず、両親の営む土産物屋の屋根裏をアトリエとしていたと書かれていた。
 そして、個展会場に展示されていたジェームズ・アンソールの代表作「オルガンにむかうアンソール」を見たときに僕は
「おじさん? ミーコも! こんな所にいたんだね!」
 と思わず叫んでしまった。この絵だけではない。「仮面との自画像」「キリストのブリュッセル入城」のどの絵を見ても、隅っこにはしっかりと携帯ゲーム機を持ち、ミーコを抱きかかえた笑顔のおじさんが描かれていたのだ。
「おじさん。自分の描いた絵ではないけど、確かに絵の中におじさんが生きていたと言う証しが残っているね。ありがとう、ジェームズ・アンソール」
 その晩、クレヨンでお絵かきをする子供の面倒を見ながら、取り壊されたおじさんの土産物屋から持ち出したCDをパソコンで聞いてみた。
 They Might Be Giants のJohn Henryというアルバムのトラックナンバー15 Meet James Ensor(ジェームズ・アンソールに会いに行こう)を。

「おとうさん。これ、ひるまみた、おとうさんのおじさんをかいたえ」
「おおっ! お前絵が上手いなぁ! きっと大叔父さんの血が流れているんだな」
 

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