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「80年 躍進する敦賀」は今 賀春CMの企業を見に行く

 YouTubeには古いCMの録画がたくさん投稿されていますが、最近目にした動画の中でもひときわ、珍しいと感じるものがありました。

 内容はいずれも、敦賀市関連企業による賀春のあいさつ。登場するのは各企業の幹部。アナウンサーではありませんから、どうも喋りがたどたどしく、これが今となっては趣の深い映像になっています。

 果たしてこれらの企業は今もあるのだろうか――。今回は、回数が余っている青春18きっぷを使って敦賀を訪ね、「80年 躍進する敦賀」に登場した各企業が今どうなっているかを見に行った記録です。

石油危機の時代、元日深夜の放送

 動画によれば、これらのCMが流れた番組は、福井放送(FBC)の「新春深夜映画劇場『がんばれ若大将』」であるようです。福井新聞の縮刷版を確認したところ、確かに1980年1月1日深夜(2日午前)2時35分から放送されていました。

 当時の福井放送テレビは日本テレビ系列の単独ネット局。しかし長らく朝日新聞の資本参加を受けていることもあり、平成の新局ブーム前夜には珍しく、1989年にはテレビ朝日系列とのクロスネット局へ移行しています。

 1980年4月には北陸自動車道の敦賀IC~米原JCT間の開通が迫る中、経済は、前年のイラン革命を端緒に起こった第2次オイルショック(石油危機)の影響を受けていました。高度経済成長はいよいよ終焉し、低成長の時代が始まります。

平和堂敦賀店(現アル・プラザ敦賀)

 1973年に北陸1号店としてオープンした平和堂敦賀店。CMの中では婦人衣料品コーナーが目玉になっていました。同店は2000年の建て替え時に「アル・プラザ敦賀」に店舗ブランドをリニューアルし、現在も営業を継続。ことし、開店50年を迎えました。

 地下1階、地上6階建てで、地階と屋上の他に4階、5階が駐車場になっています。6階は自社系のシネコン「敦賀アレックスシネマ」が入り、同階と1階にフードコートがあります。

 最近は、総合スーパーでも衣料品コーナーは自前では設けず、ユニクロなどがテナントで入ることがよくあります。しかし、同店は現在も家電や衣料品を自社コーナーとして販売しています。

6階のフードコートにて。開店50周年と北陸新幹線敦賀延伸にちなんだ横断幕

 イメージソング「かけっことびっこ」は滋賀県民にはおなじみですが、CM中の歌詞が「かけっこ とびっこ いじめっこ」と、現在とは異なるフレーズになっています。学校でのいじめが社会問題として広く認知されるようになったのは、1980年代は半ばと言われています。

 のちに「いじめっこ」から「げんきっこ」に改められるなど、いくつかの歌詞が変更され、現在親しまれているものになっています。

 2022年、創業65周年記念で同県野洲市出身のミュージシャン西川貴教さんが歌うバージョンが制作されました。同年末で一旦店内での使用を終了したものの、好評のためことし2月から使用が再開されており、この日の店内でもしっかり西川さんの歌声で流れていました。

敦賀ヨーロッパ軒

 コック帽の社長と、蝶ネクタイの専務が印象的なCMの敦賀ヨーロッパ軒はソースカツ丼で有名な洋食店。本店は、現在もCM当時と同じ場所、同じ建物で営業中です。この立派な建物は「味のお城」と銘打っています。

 店内の解説ボードによると、ベルリンで修業した料理人高畠増太郎が1913(大正2)年、本場のウスターソースを持ち帰り、東京で創業したのが「ヨーロッパ軒」だそうです。関東大震災で、郷里・福井に移り、以来、福井県人のソウルフードとなっています。

 敦賀のヨーロッパ軒は1939年にのれん分けされたものです。CM当時は本店のほかにも「三島店」「駅前店」「金山店」があり、市内に計4店舗を構えていたようですが、三島店はその後移転して「岡山店」となり、市役所近くの「中央店」と合わせ、現在は計5店舗となっています。

歴史とともに書き直されていく年数

 CMで当時の専務が各階の案内をしていましたが、現在も2階がレストラン、3階が結婚披露宴会場、5階が日本間の小宴会場、6階がしゃぶしゃぶ・すき焼きの「いろはにほへと」でした。ただ、CMで「ステーキハウス赤坂」と案内されていた7階は、現在のフロア案内図では「宴会場」となっています。

 2階の来店リストに名前を書いて、1階ロビーで待機します。日曜日のお昼時でもあり、入店時には10組待ちで、その後も続々と来店する混雑ぶりでした。ただ回転率は高く、20分ほどで着席できました。

カツ丼セット

 注文したのは「カツ丼セット」です。丼には大きなソースカツが3枚が載り、味噌汁、サラダ、たくあん漬けが付きます。

 以前、別の土地で食べたソースカツ丼は、食べ進めるにつれてソースのしつこさが気になって食べるペースが落ちていく、ということがありました。

 事前の調べで量がたっぷりあると聞いていたので、不安でしたが、敦賀ヨーロッパ軒のソースカツ丼は、甘さと酸味のバランスがちょうどよいコクを生み出していて最後まで一気に食べることができました。また食べたくなる一品です。

 聞くところによると、福井市のヨーロッパ軒とは味付けが違うとの声もあり、機会があれば福井市のほうも食べてみたいものです。

高橋商店(現ヤマトタカハシ)

 昆布加工食品メーカーの高橋商店は、現在「ヤマトタカハシ」に商号を変更しています。

 敦賀は昆布加工業の集積地です。北前船でおろされた北海道の一級品の昆布を加工して関西へ出荷するという産業が、18世紀半ばから成立しました。

工場の隣にある、閉館した昆布館

 日本経済新聞によるとヤマトタカハシは、ピーク時には売上高が約60億円に達し、敦賀市と北海道七飯町に観光施設「昆布館」を設けていましたが、昆布の価格高騰や新型コロナウイルス禍で経営が悪化。昆布館は北海道が2020年、敦賀が2022年に閉館しました。

 同年6月には福井市のわたやグループの「駒屋」が事業承継し、その子会社「ヤマトタカハシ」として再出発しています。

ヤマトタカハシの製品=2023年9月9日撮影

グリーンプラザホテル

 気比神宮のすぐ近くにあったグリーンプラザホテルは、既に更地になっていました。口コミサイトの情報などを見ると、2016年頃にはまだあったようです。

 CMの中でアピールされていた「美しい日本庭園」にあったものでしょうか。土地の隅に灯籠が残されていました。

朱塗りの鳥居が立派な気比神宮はすぐ近くにあった

敦賀海陸運輸

本社

 敦賀海陸運輸は、今も健在です。同社ウェブサイトによると1943年設立で、ことし80周年を迎えました。敦賀港での荷役、貨物運送のほか、タクシーや観光バスなども運営しています。

 『敦賀海陸運輸70年史』などによると、写真の本社は1982年に完成したもので、CM当時はありませんでした。ほぼ同時期に有馬義夫社長は退任して会長になっており、1987年に84歳で亡くなっています。

 日本経済新聞によると、敦賀港の取扱貨物量は1,639万トンで、日本海側では新潟港に次ぐ2位。苫小牧港や博多港との間にRORO(ローロー)船航路を結んでいます。RORO船とは、トラックやトレーラーが自走して乗り込み、荷台だけを積み降ろすことが可能な貨物船のことです。

 ことし8月に福井テレビが放送した番組で、敦賀海陸運輸がRORO船の荷物の積み下ろしを担っている様子を見ることができます。

トラック部門とタクシー・バス部門がある長沢事業所

 またCMにあった海陸タクシーも現存しています。北陸新幹線の敦賀延伸が迫る中、観光需要に備えているようです。

日本ピー・エス・コンクリート(現日本ピー・エス)

 日本ピー・エス・コンクリートは、1992年に「日本ピーエス」に名称を変更し、現在も健在です。昨年、創業70周年を迎えました。

 創業者は敦賀海陸運輸のCMでも登場した有馬義夫氏で、現在も敦賀海陸運輸ウェブサイトでは、関連会社一覧に日本ピーエスが挙げられています。

 近年では、新幹線と道路が橋脚を共有する全国初の一体橋「新九頭竜橋」(福井市)の建設を手掛けるなど、全国の橋や道路・公共施設などの工事を担っています。

 JR北陸線沿い、敦賀駅南のすぐ近くに位置する本社は広大です。本社正門の脇には、旧社名時代の看板が残っていました。

あみや

 旅館のあみやは現在も同じ場所で営業中です。同社ウェブサイトによると創業は1670年。江戸時代には回船問屋、明治時代には農地地主を兼ねていたようですが、戦後は旅館業に専念したそうです。

 旅館のすぐ近くには敦賀水産卸売市場があり、朝に水揚げされたばかりの海産物でつくった京風懐石料理を提供しているとのこと。市場では競りの見学もできるそうで、一度は泊まってみたいものです。

2023年、敦賀は躍進するか

 CM登場の7企業は、グリーンプラザホテルが惜しくも廃業したほかは、みな存続して地元経済を支えていました。

 来年春、北陸新幹線の金沢―敦賀間が開業し、東京からアクセスは便利になります。その一方、大阪までの延伸に関する整備事業費は国の来年度予算案にも盛り込まれず、来年度中の着工は見送られることになりました。依然、敦賀以西の整備は不透明です。

 「原発銀座」と呼ばれることもある敦賀には4基の原発がありますが、うち3基は廃炉が決定しています。残る日本原電敦賀発電所2号機も現在停止中。度重なる資料ミスで原子力規制委による審査が中断し、再稼働の見通しは立っていません。

 そんな中、若狭湾の海産物を武器に、いわゆる「ふるさと納税」の返礼品開発に取り組んだことで、2021年度の寄付額が全国8位の約77億円に達し、電源3法交付金などの電力関連収入を初めて上回る結果を出しました。また水素エネルギーのサプライチェーン構築などにも乗り出しています。

 北陸新幹線の延伸と大阪延伸の難航、敦賀港の拡張、観光需要の創出とさまざまなアプローチで街の発展を図る敦賀。1980年当時とは「躍進」を下支えした産業構造が変わりつつあるのかもしれません。

 CMから43年、変わらず残り続ける企業と、変わる街の経済を感じる敦賀訪問でした。

(CMのキャプチャー画像以外、特記なき限り2023年8月20日撮影。ヘッダーの市役所は2023年9月9日撮影)

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