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映画『成功したオタク』

(オ・セヨン監督/2021年/韓国/85分/カラー)

 韓国では、2019年頃から男性のトップアイドルによる性犯罪が立て続けに明るみになり大きな社会問題になったそうだ。当時のニュース記事をネットで拾ってみたが、性的暴行や売春斡旋、性行為の盗撮動画の拡散など、ひどい話が次々に出てくる。

 このドキュメンタリー映画の監督や登場人物たちは、そうしたアイドルたちをかつて「推し」ていた女性たちである。

 アイドル本人が手を下した悪質極まりない犯行であり、事件報道が、彼らを「推し」ていたファンたちをも厳しい立場に追い込んだだろうことは容易に想像できる。彼女たちはその後何を思い、どのように受け止めたのか。同じような傷を抱えた人たちに、監督は当事者として話を聞きに行く。

 ところで私はもともと「推し活」に良い印象を持っていない。とりわけ実在の人物を「推す」という行動には拒否感がある。友達には「推し活」をしている者も多いが、私自身は、ミュージシャンや俳優の技能だとか作品だとかに惹かれることはあっても、技能や作品を抜きにして、たとえば「眼の前に現れただけで元気になる」というような意味でタレントを好きになるという感覚がよくわからない。

 一方で、私は10年以上、山下達郎の楽曲を愛聴してきており、氏のライブツアーにも毎回足を運んできた身でもある。彼が昨年、ジャニーズ問題の最中にとった態度は役割に背を向けたものであって、論難されて当然だし、ファンとして複雑な気持ちを持ったこともまだ記憶に新しい。

 だから、少しは共通する感情があるだろうかと思って見に行ったのだが、やはり単なるファンと「推し活」との間には大きな断崖がありそうだ。監督や登場人物の語りに全く共感ができない。

 彼女たちは二次加害に加担したことへの罪悪感を認識しつつも、基本的には事件によって「傷付けられた人たち」としてお互いを認識しお互いの傷を舐め合うような格好になっている。あるいは、彼女たちは、かつて「推し」ていたアイドルたちについて、非常に辛辣な物言いをする。

 それだけ彼女たちへの風当たりも強かったのだろうことは理解したい。だが、彼女たち自身が勝手に傷付いたのではなく、あくまでもアイドルたちに裏切られ、傷付けられたという加害・被害の構造による語りには、共感が難しい。

 ひょっとすると彼女たちの辛辣な物言い自体も、それが自身に対する「ケア」なのかもしれない。しかし、そもそも「推し活」も自らを「ケア」する営みだったのだとしたら(そういう示唆は劇中にもある)、やはり一人の実在する人間の、ある側面だけを見せられて、自他の境界も曖昧になるほど愛好する「推し活」の在り方そのものに無理があったのではないか。

 実際、彼女たちにも「推し活」への懐疑が生じる場面がないではない。しかしこの映画の結論として、彼女たちは「推し活」自体を否定することはない。むしろそうした懐疑を振り切ろうとするかのように、別のアイドルを「推し」始めていく。このアイドルにもいつか裏切られるのではないかという不安を横に携えつつ、である。

 そこまでして人を「推し」ていてよいのか。半ば恐怖すら感じるのが、「推し活」から距離を置いている側から見えるこの映画の世界だが、果たして「推し活」当事者からはどう見えるのだろう。

=2024年4月23日、シネマート心斎橋で鑑賞


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