100日後におでかけする大学院生【#70】面倒は希死念慮の元
こんにちは。おでかけ志願者のちゃんたです。
今日は一歩も家から出ることなく一日が終わりました。最近はもっぱら、麻雀ゲームと刺繍ばかりしています。
家で自由に過ごしている私ですが、本当はやらなければならないことも多くあります。
休学に関して教務に問い合わせること、指導教員の先生と話し合い、奨学金のこと、下宿先の光熱費の支払いなど…。
どれも面倒なことばかりです。
うつになる前は、こういった面倒な作業は先に終わらせてしまうか、期日を決めてリマインダーに残しておくことが多かったです。
しかし、今の思考は違います。
(面倒だなぁ…こんな面倒なことしなきゃいけないなら、もういっそのこと、しにたいな)
『面倒』という感情に『しにたい』が必ず付け加えられるようになってしまいました。
面倒なことをするぐらいなら、しぬ方がラク
こんな思考は、普通なら非難されるかもしれません。
しかし、死という選択肢が常に頭の中にあるうつ患者において、『面倒』は希死念慮のトリガーになり得ます。
そもそも、生活の中では面倒が溢れています。
食事、お風呂、トイレ、洗濯、掃除、
起き上がり、立ち上がりすらも面倒。
全ての動作がだんだんと面倒になり、
やがて生きることが面倒と思えてしまいます。
人間が面倒なことをわざわざ行うモチベーションは、それが生きるために必要なことだからです。
でも、生きる意欲を失ったうつ患者にとって、もはや面倒なことをするモチベーションはありません。
では、どうすればいいのか?
面倒なことをせずに生きられないのならば、しぬ以外でどんな解決策があるというのか?
最近になって、その答えに気付きました。
それは、他人の力を借りることです。
お風呂やトイレなんかはどうしようもないですが、洗濯や掃除などの家事は、家族に任せられます。
とはいっても、家族にやってもらうのは、どうにも気が引けるというか、罪悪感があります。
でも、最近ちょっと思い直しました。
私はこれまで研究室で、誰も嫌がってやらないような面倒なことを引き受け続けていたから、うつになったのです。
面倒なことを、しこたま頑張ったのです。
それならば、少しの間くらいは面倒をお休みしてもいいかもな。
こんな風に考えられるようになりました。
そして、少しずつですが、家族に甘えられるようになりました。
「面倒を押し付ける」というよりも、今は「面倒の肩代わり」をしてもらっている感じです。
私が元気になれば、返済するつもりです。
ものは言いようかもしれませんが、希死念慮から逃れるのにゴチャゴチャ言ってられませんからね。
今は『面倒』から少しだけ、逃げたいと思います。
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