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読書記録57『チキンライスと旅の空』

池波正太郎
『チキンライスと旅の空』
(中公文庫 2022年)


池波正太郎のエッセイを読むのは何冊目だろうか。自分自身かなりお気に入りの作家なのだろうと思う。

あまり理解されないのだが、「好きなアーティストのCDは飽きてしまうのが怖くて、勿体無くてあまり聞くことができない」現象が起きてしまう。

池波正太郎のエッセイを読む時も、雑に読みたくないという心持ちになる。
「深夜」「寝る直前」「ふと手にとりたくなった瞬間で」「1〜2編だけ読む」そんな自分自身への縛りがあった気がする。

そんなに難しくもなく、厚くもない本一冊をようやく読み終えた。

古き良き情景や習慣。「粋」のようなものを描くので、コスパ&タイパが叫ばれる令和に生きる私にとってとてもうらやましい生活のように映る。
70年代から80年代に書かれたこのエッセイの文章は、まだまだかつての景色が残ってはいるが変わっていく景色や日本の変化に警鐘をならしている。

「情緒を失った町は[廃墟]にすぎない。」(「家」p48)
「四季のない町は、日本の町ではない。」(「家」p49)
「水と日光と土への恩恵を忘れた都市は、かならず、大自然の報復を受ける」(「家」p57)
「ちかごろの日本は、何事にも。「白」でなければ、「黒」である。その中間の色合が、まったく消えてしまった。その色合こそ「融通」というものである。戦後輸入された自由主義、民主主義はかつての日本の融通の利いた世の中を、たちまちにもふみつぶしてしまった。皮肉なことではある。」(「家」p57)

まったく同じことを思う。私はバブルははじけていたが大量消費の中、その価値観で育った世代である。
便利さを享受しながら、昔もよかったんだろうと想像するがじゃあ明日から携帯を捨てる。原子力でつくられた電気は使わないなんていうことは無理だ。
「中間の色合」=「融通」にもっと気をつけて生活していけたらと思う。

私は田舎に住んでいるが、もうそろそろジオパークにも登録されている地域に洋上風力発電が設置される。
休耕田には所狭しと気味の悪い太陽光パネルがいつのまにか設置されている。
「白」か「黒」か。ではなく、儲けることと守ることの「融通」はならないものなのか。
もうどうしようもないよなとだけはならないよう、変わる景色を見続けていこう。

以下は、池波正太郎の興味深かったことば。自分自身の備忘録。
1、「そのかわり、現代の女も男も、ほんとうのたのしみどころを味わう術をうしなってしまった。あるものは、どこまで行っても尽きることのない不満ごころのみの日本になってしまった」(「京都・南座界隈」p153)
2、「近い将来に、時代は、また激しく変わって行くであろうが、いまのところ、日本は退屈な単一化を目ざしてすすむだけなのだ。」(「東京の下町」p256)
3、「立ち入らなくとも、たがいに、わかり合っていたのだ。人情というものは、いまでいう連帯感のことなのである。」(「東京の下町」p261)
4、「子供のころの……ことに、生まれてから五、六歳までの環境が、人の一生にもたらす影響は、むしろ、そらおそろしく……なってくる」(「子供のころ」p270)
5、「大人の世界が充実しない世の中が、子供の不幸を生むのは当然なのである。…こんな、わびしい大人たちのまねを子供はしたがらない。」(「子供のころ」p274)

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