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中高の友達との時間が苦痛になった瞬間

こんにちは。今回は、大学4年になった私が感じた、感じてはいけない【違和感】についてお話します。

思い返すと中学・高校時代は思春期ゆえの葛藤や将来への期待感や不安などが交錯し辛い時もありますが、友だちと過ごした時間は永遠に輝いているのではないでしょうか。


私は中高6年間都内の私立女子校に通い、大学からは共学に進学しました。

先日、中学の友達と4人でご飯に行ったのですが、これが最高に退屈で今すぐにでも帰りたい気持ちになったのです。私は驚きました。だって、あんなに中学時代は仲が良く、話も合っていたから。

なぜ退屈に感じたのかというと、その場が愚痴大会になったから。私は性質上、他人の悪口で友達と盛り上がることが好きではないんです。憂さ晴らし程度に家族に愚痴ることはあるけれど、友だちとならもっと楽しい話題を共有したいし、何より悪口を言っている時の人の顔って、総じてブスなんです。

私は、そんなブスな顔を友達に晒したくないし、友だちのそんな顔見たくない。そんな訳で、終始悪口大会の場がとっても居心地悪くなったのです。

「一緒に国内旅行しようね~~」とその時は盛り上がったけど、まあ一生いかないかな。

この感じ取ってしまった違和感、心の変化、気づいたときは本当に悲しかった。私は、「あ、この人合わないわ」と思ったら、その後は一生会わないと決めているのです。というか、冷静に時間がもったいないと思ってしまう。だったら、家でぬくぬくしてたほうがいい。そう考えてまうのおおおお


だからこそ、その違和感を感じた時、「あ、もう一生会えないのか」と思って悲しくなったわけです。


この悲しき変化は、卒業後にそれぞれ生きる道が違う中で、別のコミュニティに所属し、価値観を刷新していく中で起こったことだと思います。この現象は、意外にもいろんな所で起こっているんじゃないかな~と思ったり。

でも、一方で思うことは、

この昔の友人と合わないなと感じる事象は、【しょうがない】ことであり、そこまで悲観する必要はないということです。


だって、ただ中高時代に仲良くなった、ということを過大評価しなければいいだけのことです。もちろん、学生時代に仲良くしていた事実が無くなる訳ではないし、誰かに否定される訳でもない。その時の青春は、誰にも奪えない大切な思い出。おそらく永遠にキラキラしている記憶だと思います。



その青春の思い出と、今感じた違和感は、どちらも大切にすべきです。だって昔の思い出に縛られていてもいいことなんて何もない。

人間の人生の目的は結局、「幸せを感じながら暮らす」ことだと思います。(高校生の時に好きだった男の子がそう言ってた)(私もそうだと思うから押し売りではない)であるならば、今の自分の心の声を大切にしていくべき。自分が成長すると、その分新たに見えるものもあるし、見えなくなるものもある、それでいいんです。両方を抱えながら生きるなんて、難しい話です。


なぜか学生時代の友情を特別視する人がいます。もちろん気があえば最高ですね。ただ、気が合う人との出会いは正直なんでもいいとも思います。たとえば、たまたま電車で席が隣になった人と何らかの縁で接点を持つことになり、親友になる場合もある。そういうことです。学生時代の友達だから、という理由だけでつるんでいるのは、いかがなものでしょうか。


総じて、最新の自分の、心の声に従うことこそ、幸せの秘訣だと思います。


旧友の呪縛に縛られている方がいらしゃったら、少しでも救いになれば幸いです。


日々進化しながら、離れた場所でもお互い頑張って、いつかお会いしましょう🌟楽しみにしています。(謎の〆)


最後まで読んでくださったあなた、本当にありがとうございます。

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