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中年の友情の終わりがキツい映画【Old Joy】

なんとなしにAmazonPrimeで観たアメリカ映画『Old Joy』が新しい感覚をもたらしてくれたので詳細にレビューしたいと思った。完全にネタバレ満載になるので既に映画を観た人に読んで欲しい内容です。
ストーリーはシンプル。30代後半に差し掛かったであろう、かつて友人だったが疎遠になってしまった2人。それが週末1日だけの温泉キャンプで時間を共にすることとなる。これから父親になる予定のマーク、そしてヒッピー的な生活をしてきたカート、再会の懐かしさの中に見え隠れする「中年の友情の終わり」が、こんなにも私の心を揺さぶるとは思わなかった。

瞑想的な映画である

映画そのものは70数分とすごく短く、無駄な音楽のない、ほとんどが自然の風景に満たされたシーンばかり。2人のオッサンが車に乗り、焚き火をし、ビールを飲み、山道を歩き、温泉に浸かる。
手ブレや近すぎる視点を含めたカメラワークの技がとても心地よくて、温泉のシーンは湯気で一層濃くなった森林の香りがこちらにまで伝わってくるようで、画面に引き込まれた。湯気につつまれるオッサン2人を観ながら、私自身も完全に同化したような気持ちになれた。
一種の瞑想映画だ。

スピリチュアルおじカート

さてこの映画、登場人物は冒頭で説明したオッサン2名とぎゃんカワな中型犬のルーシー1匹しかいないのだけど、私はこのオッサンのうちの1人、カート(ヒッピーの方)にとても感情移入したのであります。
おそらく昔はヒップスター的な感じで(そういえば舞台はオレゴン州)フリーセックス、ラブ&ピース、ネイチャーでエコでスピリチュアルな生活をしてきたんだろうけども、「何者にもなれない俺っち」「そして金もなく年老いていく俺っち」の現状に間違いなく焦燥感やモヤモヤとした気持ちを抱えていることは明らかなのだ。
マークとの久々の再会で、カートが『アッシュランド』という場所での体験を話すシーンもぎこちない。「Im at the whole new place now(俺は今違う世界を生きている)」なんて、アッシュランドの素晴らしいスピリチュアル経験でいかに自分の人生が変わったかを語る。それに対してマークが特に何も言わないのが…ジワる〜。このきまずさジワる〜。
あとどっかの野外レイブのような、「星空の下で太鼓を叩いて焚き火を囲んで踊り、美女が歌を歌い、最高な人たちがいるイベント」についても車内で熱弁するカート。対してマークは一言「No shit(すご)」だけ。何回私をジワらせるんや…!
この時点で2人が正反対の人生経験を積んできているのが分かる。「共通の友人が今なにをしているか」「お互いの両親は元気か」なんて話はできるけど、十数年の間に起きた異なる人生経験が2人を完全に違う道へ進ませ、もうその溝は戻らないことは明らか。こうなると昔話以外に盛り上がる話のネタはないのよね。大人になって、異なる価値観を持つ人に自分の人生について語ることは、こんなにも難しい。かつては分かり合えた友人だったとしても。

シーンを少し飛ばしてキャンプ中の2人。マークが「街を離れてたまに森に行くのは気分がいいね」なんてポロッと言うんだけど、それに対してカートは
「It's all one huge thing now, there's trees in the city, and garbage in the forest. What's the big difference?(今となってはどっちも同じだ、街には木があるし、森にはゴミがある、大きな違いはない)」って言うんだよね。
普通によ、森に行くのは気分がいいやんか!街と森は全然違うやんか!
てゆうか、こういう時に「そうだね、君と来られて良かったよ」等、気の利いたフレーズを返せるのが成熟したオトナなんだろうに、なんか捻くれちゃってんだよな〜カート。

そんな「スピリチュアルヒッピーおじ」なカートの「捻くれぶり」が随所で見え隠れして、それが私の心の痛いところを突いてくるの。なぜなら私は彼の気持ちが分かるからなのょ。。。。。。

しまいには「君のことが恋しかった。友達でいたいのに、君との間にどうしても溝を感じるんだ」と心のうちを吐露するカート。それに対してマークは「大丈夫さ」と返すのだけど、きっとマークは「旧友と気軽なキャンプに来ただけなのに、そんなこと言われてちょっと重いな」なんて感じている気がする。

フィジカルの接触と束の間の解放

ラストはオッサン2人の温泉シーン。こんな温泉入ってみたい〜と思わず画面に見惚れてしまう、大自然の真ん中にある天然の温泉だ。これ、きっとマジでオレゴンの森のどっかにあるんだろね。いつか行きたいな。
大自然の中で鳥のさえずりを聴きながら、あっつーい湯に浸かり放心状態のマーク。そんななか、はじまるのです。カートの夢と暗示の語りが…。
「Sorrow is nothing but worn out joy(悲しみは使い古された喜び)」という言葉がこの映画で一番頭に残るフレーズでした。でもよく意味が分からなかったな。
夢の暗示を語ったあと、マークの肩をおもむろにマッサージするカート。最初はぎこちなさそうなマークだったけど、次第に心がほぐれていく。目は潤み、遠くを見つめる。彼の思考と自然が一体化して、束の間のマインドトリップをしているのが伝わってくる私の好きなシーンだ。そこで画面にアップで映し出されるのが彼の左手と結婚指輪なんだけど、彼の心や思考はまた家庭の方に向かって戻っていくんだろうな…と思った。

帰路の会話のシーンはなく、温泉に入るという目的を終えた今、2人に残された次の予定はもう無いように思えた。

カートの気持ちがわかりすぎるんだ

友情の終わりというのは、とても切ない。特にそれが若くて社会を知らないころからの関係だと尚更だ。
友情の終わりには、他者が介入できない2人の間だけの溝がある。その溝が決して埋まらないと気がついた時に、傷つかないように自ら身を引くことは私も経験してきた。でもそれは私の思い込みで、ひょっとしたら相手は私との間に溝を感じていないのかもしれない。全ては思い込みで、しばらく時間が経ったら向こうから連絡が来るのかもしれない。
だから私はマークが父親になったとき、カートに電話をして、自分の子供をカートに会わせてくれる未来を想像した。そうじゃなきゃ救われないのよ。

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