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「ポストコロニアリズム」と日本

ポストコロニアリズムとは、西洋的な思想を相対化しようとする志向である。西洋的な思想は、自由主義を根本に持つ立憲主義や権利義務等の思考枠組みを指す。こういった概念は、民主主義や資本主義の最も初歩的な概念であり、今日の社会で支配的な思想であると言える。

西洋諸国は、大航海時代に、自国の技術的・武力的優位を用いて世界各地を植民地化した。植民地では、先住民を奴隷とし、天然資源を奪い取った。これらが西洋諸国で確立されつつあった資本主義を強化し、西洋諸国のさらなる発展に使われたのであった。また、植民地で行われたのは、人的・物的搾取だけではない。植民地にもとからあった文化や政治構造は未発展のものであり、西洋思想に劣るという前提のもと、現地住民の持つ精神性が破壊された。その代わり、西洋思想が強制的に取り入れられた。

その後、第2次大戦が終わり、植民地とされていた地域は徐々に国家として独立する。しかし、当時の西洋諸国などの経済先進国は、冷戦に注目しており、独立したばかりの国々は冷戦の戦場として扱われることとなった。資本主義諸国は、自らを第一世界と定義し、社会主義諸国を第二世界、独立したばかりの未選択の諸国を第三世界と定義した。第三世界では、資本主義と社会主義というイデオロギーのどちらを選択するか、経済的政治的競争が繰り広げられ、朝鮮半島やベトナムなどでは、悲惨な代理戦争が繰り広げられた。

植民地主義の歴史はこれで終わらない。現在も、私たちは植民地主義の根付いた社会で生きている。西洋思想に基づいた政治構造や経済構造を備えた国家を“発展している”と捉え、過去の植民地である経済途上国に対して、開発援助という名目で、西洋思想に基づいたシステムを提供している。開発援助では、物的支援だけでなく、人材派遣や専門技術的な事業実施などが行われる。そういった援助は、西洋的な(ウェストファリア体制的な)政治手続きのもと、西洋的な経済成長を目的として行われる。この開発援助は、他の選択肢を踏まえたうえで選ばれるものではない。他に選択肢はなく、経済先進国で用いられているシステムが経済途上国でも受け入れられる、という前提が無条件に設定されている。もちろん、これは代替の体系的なシステムが存在しないという実践的な理由もあるだろう。しかし、事実として、私たちは植民地主義的な発想の枠内で行動しているのだ。

ポストコロニアリズムは、こういった西洋思想が絶対的に優れているという前提を覆さなければいけないという問題意識に支えられている。人類は生存するため、地球上各地の風土に合わせた文化を生み出した。それらは、共通点はあるものの、多くの対立する価値基準を有する。また、全ての人を幸福にするような完璧な思想は存在しない。西洋思想に基づく政治や経済の形式は、地球社会を物質的に豊かにし、平均的な生活水準を格段に改善した点で評価できるものだ。しかし、その発展によってもたらされた環境問題に対応するに十分な構造の不在や理論的矛盾などの問題点があり、完全なものではない。

上記のような前提をもとに、各地の文化を尊重し、それに適した政治経済の構造を確立する必要がある。とはいえ、各地の文化に適した政治経済の構造を確立することには、さまざまな困難がある。ある地域の文化の何たるか、を厳密に定義することは、ほぼ不可能である。大枠において合意を取ることはできても、文化とは終局的に、その共同体の構成員が持つ価値基準の総体なので、人口統計による程度問題でしか定義できない部分が出てくるのだ。

また、ポストコロニアリズムは、「西洋思想の相対化をした世界において、世界中の人々がコミュニケーションを取り、協力していくための共通部分を設定するのか?するのであれば、どのようなものか?」という論点に向き合わなければならない。

イデオロギーは、その場において大多数が身につけているからこそ、実用的なものである。ポストコロニアリズムに基づく多元主義をむやみに推し進めれば、違ったイデオロギーを持った人々との間でディスコミュニケーションが起こる。それぞれのイデオロギー外との協力が無くなれば、本来可能であったはずの様々な発展の機会が損失することになる。

かといって、イデオロギー間の共通部分を大きくすることは、それだけ合意を取ることを難しくすることを意味する。各地の文化が尊重されたイデオロギーが、地域間で共通していること自体、現実には起こり得ないかもしれない。

もう一つの論点として、西洋思想と差別意識との関連性がある。西洋思想は、白人男性を優位に置き、他の人種やジェンダーを軽視しているとの批判が加えられる。この点において、西洋思想の枠内で個々人の持つ権利を根拠として批判することもできれば、西洋思想の枠外から、その矛盾として批判を加えることもできる。一つの事象に対する批判であっても、それが別のイデオロギーに基づきつつも、類似した批判である場合がある。レイシズムやフェミニズムでは、差別に対して、被差別者の尊厳を守るよう求めることができる。しかし、差別的思想の根本を西洋思想の枠組み自体に見出し、より平等で差別のない社会のためには、西洋思想から抜け出す必要があると主張することも可能である。これは、他のイデオロギーがそうであるように、西洋思想が矛盾を抱えているからであり、それは差別に関する点で顕著に見られる。ポストコロニアリズムに関する議論は、この点でとても複雑になっている。

こういったポストコロニアリズムの議論状況において、日本ないし日本人はとてもユニークな立場にある。日本は、世界各地が植民地化されていった時代に、唯一、西洋思想を学び、民主的制度を取り入れた地域であり、西洋諸国による人的・物質的搾取が行われることはなかった。不平等な国際条約締結など、不利な状況には置かれたが、様々な欧化政策により、西洋諸国に並ぶほどの経済力や武力を持つようになった。こういった欧化政策は、江戸時代のエリートである藩士が主導し、さらに政治家や官僚としてその後の政治行政を担った。ここに、日本のユニークな点がある。

当時から西洋諸国の主流である代議制民主主義は、国王による専制的な支配から脱却するため、貴族が自分たちの主張を受け入れるよう求めたことから始まった。もともとは、国王が経済的に力を持つ貴族の主張であったため、受け入れる必要があったが、それが議会へと発展した。さらに、技術が発展する中で、石油を用いた蒸気機関が完成し、都市部に工場が多数建設されるようになったことで、都市部に仕事を失った農民が集まった。それにより、労働者階級が生まれ、労働者による民主的運動が活発になった。結果として、労働者階級も含めた普通選挙が始まり、初めて全ての国民が議会の意思決定に参加することのできる民主主義が確立した。また、マルクス主義やフェビアン主義などの理論が発達し、労働者政党が生まれるなど、都市部への人口集中は政治的に様々な結果をもたらした。

このように、西洋諸国において、民主的制度は、民主的精神を持った国民が明確な自己主張を行うことによって確立された。そのため、制度と精神が、まとまりを持った体系として存在している。しかし、日本は上記のように確立された民主的制度をトップダウン的に取り入れたため、精神は日本的なものを維持している。日本以外でも、このように民主的制度のみを取り入れた国々は存在するが、それらの国の多くは、経済的に発展途上であり、植民地主義における搾取される側の国々である。日本は、民主的制度を後から取り入れた国であるにも関わらず、植民地主義における搾取する側にある国なのだ。

また、日本には歴史的にもう一つユニークな点がある。日本は、第1次大戦から第2次大戦にかけて、太平洋戦争での神風特攻隊に象徴される強烈なナショナリズムに染まった。天皇に対する恩を強調し、国家(天皇)に対する忠誠を強化する政策が日本人の精神性を大きく変えたのだ。このナショナリズムは、他国のナショナリズムと同様、排外主義などの危険視される思想を包含していた。日本におけるナショナリズムの特徴をまとめ、天皇ファシズムと呼ぶが、この思想は当時に限ったものではない。GHQは、戦争のもとになった構造を改めるため、財閥解体や政治体制の再構築などを行った。しかし、冷戦の影響でアメリカで拡がった赤狩りなどのあおりを受け、占領下の日本でも逆コースと呼ばれる政策転換が起きた。それにより、戦後も、天皇ファシズムを支えた政治家や財閥役員などは政治的経済的権力を持ち続けたのだ。また、もちろん天皇ファシズムほどの過激さはないものの、現在でも、日本会議での国会議員による様々な発言や平成24年の自民党憲法改正案など、純粋なナショナリズムが垣間見える。

こういった、日本文化や日本国を最優先する思想は本当に日本固有のものなのだろうか。歴史を振り返れば、日本は中国などの周辺各国から言語・技術・思想などの面で多大な影響を受けつつ、独自の文化を醸成した。自然の一部として人間を捉える自然観や、わびさびという繊細な美的感性を生み出した。また、地震に耐える木造建築、寿司などの口内調理、動きだけで様々な表現を行う舞台芸能など、職人的な工夫によって驚くべき技術・手法を編み出した。日本文化は、こういった職人性や美的感性に特徴を持つのであり、決して攻撃的なナショナリズムに特徴を持つのではない。先人は、もともと持っていた神道と外来の仏教を合わせた神仏習合といった考え方も生み出すほど、柔軟な思想を持っていた。

しかし、こういった思想は太平洋戦争に向けた国家政策により歪められたのだ。江戸時代、日本は鎖国政策を取っており、当時の中国や朝鮮半島の国々と戦争を起こすこともあったが、戦時中のような攻撃的かつ熱狂的な排外主義的な思想を持っていなかったはずである。強烈な戦争経験により、日本人の精神性は、古来から大きく変化した。そして、その精神性は今でも影響を残している。

同じように第2次大戦中にファシズムに染まったドイツやイタリアには、これほど顕著な影響は見られないのであり、現代で言う極右思想がこれだけ政治に根付いているのは、日本の特徴と言ってよいだろう。この極右思想という言葉自体も、西洋的な政治枠組み(民主主義)における位置づけであり、表現が適切であるかは議論の余地がある。各国において右翼思想は、その土地の宗教や文化を基礎として、国家や国民の利益を優先する部分で共通する。もともと存在する宗教や文化を保持しようとする点で、保守主義と名付けることができるのだ。それに対し、左翼思想は、西洋的な自由主義(リベラリズム)を支配的なイデオロギーに持つ。また、政治的な議論の際に、個々人の尊厳擁護や幸福追求権を最大化することを目的として政策を考える。このように、現代政治における右翼と左翼の対立構造は、現地の精神性と西洋的精神性の対立と捉えられる。

ポストコロニアリズムは、コロニアリズムが強制的に資源を奪い、現地の生態系や地域住民の生活様式を回復不可能なものとした。また、現地に根付いていた精神性を破壊した。その一度破壊された環境のうえでポストコロニアリズムを唱えることには多くの困難があるだろう。これは、現在の経済途上国のみに当てはまることではない。上述のように、日本にこそ当てはまるものである。私たち日本人は、コロニアリズムの受益者として、また、被害者として、これからの国内政治・国際政治に向き合わなければならないのだ。

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