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#140字のつぶやき

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この地に転居したばかりの頃あちこちのご近所さんからたくさんの野菜が届けられた。われ先にとたくさん抱えてやってきて他のお宅から頂いたばかりの野菜を見て「あれ、あるか」とひと言呟いて置いていく。だから我が家は作らない。育てる楽しみの後は我が家に任せて!頂戴する事に徹すると決めたから。

偉そうに口上垂れるのは本当に向き合わなければならない事から逃げる言い訳だ。第三者として傍観者としてならいくらでも綺麗事を並べられる。でも、だってと不甲斐なさを正当化しても解消されない厄介事。でも、ああ、だからね、腹を括る時が必ずやって来るから何もせずに通り過ぎるのを待つのは無し。

「どんなに素晴らしいピアノの音色でも聴きたくない時はただの騒音でしかない」に肩の力が抜けたことを覚えている。演奏者と聴衆の気持ちが1つになり生まれる感動。退屈な演奏会で周囲がどれだけ絶賛しても皆が素晴らしさを理解しているかは別の話だ。だからつまらないと感じても少しも恥ずかしくない

お互い様の世の中だ。反応しないと弾かれる不安が付いてくる。本物かどうかは問題ではない。時流に乗れているのか興味を引けているのかそこが大事。でも、より大事なことは同調圧力が味方になる実状を理解することだった。本物の才能など必要ないのではないかとは言い過ぎだろうか。必要なのは柔軟な心

ホントここは気兼ねなくつぶやけてストレス発散、こんな所があるなんて有り難い。読まれる事もないけれどそれはそれで言いたい放題できるでしょ。どれだけぼやいたって勝手気ままでいい感じ。知らなかったなnoteの役割。しばらく前、noteにnoteにって言ってた人たちここに参加してるかな。

「わたし、いつまでここに居るの?」やっぱり住み慣れた自分の家がいいよね。
臨床死生学を教授いただいた恩師は体験から、患者が言う「家に帰りたい」は、「自宅で最期を迎えたい」とは違う。少しだけ家で過ごせば納得し、また入院生活に戻れると。そうか、納得了解するための意思表示なんだ。

ただ会いに行く。特別に用事がなくても会いに行く。「お父さん待ってるから。きょうは何話そうかなって病院までの道のりを考えながら歩いてるの。」そう話してくれたのは、末期ガンで入院中の夫の元へ毎日通う82歳のご婦人だ。雨降る今日も彼女は夫に会いに行く。

83歳のイト子さんが救急搬送された。しばらく入院することになり着替えを取りに部屋に入ると、そこはいつも身綺麗にしているイト子さんからは想像できない悲惨な状態だった。1人暮らしの高齢者の部屋は物で溢れていると聞いていたが、現実は予想を遥かに超えていた。近くにいながら気付かなかった。

「人生バラ色より色々」なんて素敵な言葉。なんの心配もないバラ色の人生を羨ましいと思っていたけれど、バラ色だけの人生よりカラフルな人生の方がどれだけ輝いていることか。
島倉千代子の「人生いろいろ」は、人間の本質を突いているから心に響くんだな。生きているうちに気づいて良かったよ。

「人生観」はどう生きようかと生きることに夢中な時に当たり前に見えている。
「死生観」は死の存在を意識できるようになった人が、生と死を並列に考えられるようになった時にようやく見えてくる。あなたの死生観は?と問われても即答できる人はいないんじゃないかな。なぜなら分からないから。


終活というと物理的な整理や資産管理ばかりに焦点を当てて、ついでに延命は要らないよとか。でも、意思表示ができる今だからこそ大事なことがあるはずだ。医療・ケアに留まらず自分らしさや価値観など周囲の人たちと話し合っておくべきことはたくさんある。これが、本来あるべき「人生会議」の意義だ。

「死なない程度に生かしとけばいい」非情とも取れるが関白亭主に仕えたセンちゃんの持論だ。関白亭主を介護し看取り、ホームに入居したのは90歳の時。日を追うごとに衰弱が見られたが「皇◯でも飲んでみるか」と前向きだった。ある日「もう終わりにするだ」そう言った3日後センちゃんは星になった。

いつものように夫を見舞った妻は、嬉しそうな夫の様子に違和感を覚えた。妻「なんだか嬉しそうだね」夫「今日はね、食事が出たんだ。おいしかったね」と夫は笑顔で言った。妻は腰が抜けるほど驚いた。夫は胃瘻造設で食事はできないはずだった。病院側の手違いだ。妻は面会時間が過ぎても帰らなかった。

「人生会議」とは「人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」Advance ・Care ・Planning を広く国民にも啓発・普及していくために名付けられた日本語の愛称」だ(厚生労働省HP)。でも、知らない人の方が多い。