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高校生の頃の自分まじでありがとう

LGBTQというワードを耳にする機会が増え、誰を好きになってもいい、愛のカタチはさまざまであるという世間の風潮が強くなってきた世の中。

同性が好きであることは大したことではない。

そんなことはない、と私は思う。
レズビアンとして生まれてこんなにつらいんです、とかそんなことを伝えたいわけではない。このnoteを書こうと思った一番の理由は、高校生だったころの自分を抱きしめてあげたいと思ったからである。

現在大学生である私は、高校生のときに初めての恋をした。
大の仲良しである女の子に恋をしたことを周りの誰にも言えなかった。これは別に、周りの人に打ち明けたら差別的なことを言われるかもしれないと怯えたからというわけではない。

自分が自分をレズビアンだと認めてしまうのが怖かったのだ。彼女のことを好きになったのは何かの間違いで、時が経てば男の子を好きになれると信じたかった。社会にある常識から外れない人生、この人が私の好きな人ですと大きな声で言える人生を歩みたかったから。

この気持ちを人に一度でも打ち明けてしまえば彼女への思いは本物になってしまう、それが怖かった。

家族にも友達にも本当の自分を見せることができなかった。
インターネットに答えを求めても、どこにも欲しい答えはなかった。

「同性を好きになってしまった」
ドラマや映画の中で人々は恋に落ち、多くのアーティストが愛や恋を歌う。人を好きになることは素晴らしいものであるはずなのに、自分はどうしてこんなネガティブな言葉を使っているのだろう。無性に悲しくなったことを鮮明に覚えている。

レズビアンバーもマッチングアプリも年齢制限があるから使えない、ツイッターでコミュニティを作るのはなんだか怖くて私は手が出せなかった。
高校生の私にはどこにも気持ちを吐き出せる場所はなかった。
1人で抱えるには大きすぎる気持ちを、大切に大切に心の中で育て続けた。


もちろん探せば居場所はきっとあったし、少しの勇気を出せば息をしやすい場所を見つけることだって出来たはずである。

だけど私にはできなった。
自分という小さな殻の中に閉じこもる選択をした。
「男の子を好きなふりをして生きていこう」と自分と約束した16歳の日のこと、忘れることはないと思う。

高校生活がひたすら苦しかったわけではない。高校はとてもいい学校で人にも恵まれた。毎日が楽しかったし、まさに青春という学生時代を過ごした。

でも夜は毎日泣いていた。「好きな子を想って泣く」と言葉にすればかわいいが、そんなにかわいい感情ではなかったと言える。
自分や未来への絶望、親への申し訳なさ、自分を偽らないといけない痛み、どうしようもない孤独感。

「孤独感」というのは人の心に大きな影を落とすということを学んだ。
ずっと世界から仲間外れにされている感覚だった。自分以外のみんなが持っている共通項を自分だけが持っていなくて、この世界のことが分からない、そんな感覚。
大きな孤独感に心が蝕まれることを止めることができなかった。


大丈夫だよ、と言ってあげたい。

みんなが好きな人とどうやってLINEを始めようかと悩んでいるときに、「同性 好きになりたくない 方法」と泣きながら調べた夜、死にたくなったね。
好きな子と遊んだ日の帰り道、もし自分が男だったらと考えて、でも女だからこうやって一緒にいられることを思い出してどうしようもない気持ちになったね。
彼女と遊ぶ日のため服を一式買ったと言ったときに、彼女との関係を冷やかしてくれる人が一人くらいいてもいいのにと思ったりもしたね。
家族に彼氏がどうとか言われたとき、心臓がおかしくなりそうになりながら、必死に笑ってごまかしたね。

全部の感情が無駄だと思っていた。どれだけ苦しい思いをしても、この気持ちは外に出ることはなく、誰に知られることもなく、だけど静かに確かに心に傷をつけるんだと。

だけどね何も無駄なことなんてないんだよ、と言いたい。
誰に話すこともできなかったからずっと自分と話し続けたこと、自分がどういった人間なのか考え続けたこと、言わないだけでみんな様々な苦しみを持っていると思えたこと。

そのすべてが今の自分を作っていて、そんな私の考え方や私自身を好きだと言ってくれる人がいる。
悩んだこと、苦しんだこと、全部きっと無駄にならないよと。
自分の生きたいように生きたいと思い考え続けてくれてありがとう、と過去の自分を抱きしめてあげたい。


今でもどうしようもなくなりそうな日がある。カミングアウトしているのはほんの少しの大学の友人だけである。高校時代の友人には打ち明けられていなくて、彼女たちと会うことが少しづつ怖くなってしまっている。
家族にももちろん話せていない。家族にいつ恋愛の話や将来の話をされるのだろうと思うと、うまく話せなくなった。家に帰りたくなくて、ガストでひたすら時間をつぶす日だってある。お正月は親戚の集まりを避けるために朝から晩までバイトを入れてしまう。

左利きの人が駅の改札を通るときや習字をするときにやりにくさを感じるように、性的マイノリティであることで生きにくさを感じることは仕方のないことだ。
少数派であるということには何かしらの苦難が付きまとう、もうそういうものなのである。

私は今、海外で生活をしている。
自分が生きる場所はここだったのかと毎日感じている。

高校生の自分に伝えたい。世界は広くて、自分が今いる場所だけが生きる場所じゃないよと。生まれてくる場所を間違えたと思うのなら、正解だと思える場所を探せばいいからねと。
今はたくさんの弊害が生きる場所を探すことを妨害するかもしれないけど、きっとその時は来るからと。

とにかくがんばってくれてありがとうね。



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