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【節約生活#404】お金の浪費と疲れる前に休むことの類似性

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

節約思考だと浪費が悪になりがち

 節約技術を磨くには先人の知恵が必要である。
 そういうわけで、節約本を図書館で借りてはメモにしている。いつかまとめようとは思っているけれども、なかなか手をつけずにいる。もちろん、基本的には借りる。節約を勉強するのにお金を使ってはならないというルールを定めている。

 一般的に節約をしていると、無駄なものにお金を使わないようにしようということになる。そうすると、浪費というものは悪いものだという思考になる。というよりも「浪費」ということば自体、よくない文脈で使われることがほとんどである。
 ところが、節約を指南する本をみていくと、浪費を完全否定する立場は少ないようにみえる。浪費をしてしまうのは本能のようなものなので、コントロールしていきましょう、という論調が目につく。
 たとえば次のようなもの。ひとりだけではなく、多くの節約家が主張しているので、完全浪費否定派よりは現実的なので主流の考え方なのだろう。

疲れる前に休む

 節約思考が身についてくると、仕事をするのも家事をするのも節約的な考え方をするようになる。
 無駄なことをできるだけ減らしていく。

 仕事であれば、時間の使い方や作業の効果などを検討するようになる。できるだけシンプルに自分の力を使うようにしていく。
 ということは、意味の薄い仕事などは省いていく対象になる。

 そしてもっと時間の使い方を考えていくと「休む」をどうとらえるかを考えることにつながってくることに気づく。
 まだ若いころは、何もしていない時間やぼーっとしている時間というものが無駄に思えていた。大学受験をしようとするときなどは、そういう時間を減らそうと一生懸命であった気もするけれども、一度も成功することはなかった。

 最近では、パフォーマンスが落ちることを警戒して、疲れる前に休むようにしている。ちなみに、昨日は午前休にしてふだんよりも布団の上でだらだらしていた。もちろん、仕事をしている間も時折休憩を挟んでいる。

浪費をしてもよい過ごし方がある

 浪費をすることを人間の本能と考えると、お金も時間も浪費を完全に排除することは難しい。むしろ、心身の余裕を失うことになりかねない。

 そうやって考えていくと、疲れる前に休憩を挟むことは、時間の浪費でも、やってよい浪費に分類することができるのだと考えるようになった。

 人生は長く、毎日何かに打ち込む時間もまた長い。自分の能力を最大限活かしていくことは、毎日や人生の満足度に直結する。
 そういう意味では、心身に余裕が必要なので、お金や時間の使い方に浪費も必須になるのだと思う。

 大事なのは、節約の専門家が言うように、浪費で得られる心身の余裕を最大限にしつつ、浪費するお金や時間が過大にならないようにコントロールすることなのだと考える。

 上記のような思いつきを得たので、今日から時間の使い方でも浪費をコントロールするような工夫をしてみたい。

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