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【節約生活#537】仕事の節約〜今を生きるために削ぎ落とす

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康的で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦している。

可哀想な人たちはかつての自分でもあった

 一般的な休日に仕事を頼まれることが多い。
 昨日は朝から一日仕事であった。最近は疲労しているので20時に就寝して朝までぐっすりコースである。

 昨日一緒に仕事をしていた人が、21時からまた別の仕事があるのだという話をしていた。こちらは寝ている時間である。心身が心配になるが、そういう可哀想な人たちは周りにたくさんいる。
 昨日仕事をした別の人ですでに70歳近いが、ずっと仕事を振られて過労の人がいる。最近は徹夜がきついと訴えている。何年寝ていないのだろうか・・・。

 そういうひどい仕事が蔓延していて、心配になる。それと同時に、自分のあちら側の人間であったことを思い出すことにもなる。あちら側にいた時は、他の人のことも自分のことも心配していなかった。もしかしたらできなかったのかもしれない。

たくさん働けばたくさんの仕事ができるわけではない

 生産性という言葉が流行った時期があった。
 今でもそうかもしれない。日本は世界的にみて生産性が低いのだという。

 周囲や昔の自分と今の自分を比較してみると確かにと思うことがある。
 過労で身体を壊して、運良く復帰できた自分は、以前のような長時間労働を断るようにした。会議でも夜9時になったら、寝るので帰りますと宣言して出ていくようにしている。大事な話なのでと言われることもあるが、動画にしておいてくださいと返している。
 命の方が大事である。

 実際にやってみるとわかるけれども、たくさん働いている人と、あまり働いていない自分とでそれほどの差が開いてこない。

 過労ははじめに睡眠が落ちる。そして体力も落ちて耐久力が低下する。そうなってくると集中力も続かない。
 平均能力が100とすると、もともとの能力の低い自分が80くらいでも、睡眠をとり、準備する時間をとれるなら100までもっていくことは可能である。
 逆にもともとの能力が高くても、毎日睡眠時間を3、4時間で働く周囲の人たちは50も力を発揮することができない。昨日の仕事ぶりを見ても小さなミスが多く、その対処に時間をかけていた。

 彼らからすると私は頭の良い部類らしい。本当はそうでもない。単に寝不足でないだけである。時間の余裕もあるのでインプットの量にも差が出てくる。

今を生きるために削ぎ落とす

 たくさんの仕事をしている人たちは、自分にしかできないと思いこんでいる。もしくは誰もやってくれないから仕方なく・・・と被害妄想を感じている。
 かつての自分がそうであった。

 仕事も無駄を省かなくてはいけない。
 意味のない報告や書類はしなくてよい。やったという見せかけのための仕事に時間をとられるのも無駄である。
 ブルシット・ジョブという本を1年くらい前に読んだ。
 無意味な仕事は心身を病む。さっさと手放してしまうと良い。

 そういう思いもあって仕事の節約というマガジンを7か月前から時々書いていた。
 結果、半年で今の職場を辞めることを決意した。ほとんどが無駄であることがわかってしまった。意味のある仕事は世の中にたくさんある(お金にはならないけれども)。
 今を生きるためにはたくさんのものを削ぎ落とさないといけない。

 生産性という言葉を使ったけれども、自分のできることは意味のあることに向けて使いたいと思うのは当然のことである。

 周囲の人たちは確かに意味のあることをたくさんしている。しかし、あまりに多量に仕事をしているので、低い能力でしか働けていない。むしろミスをカバーすることに大半の時間をついやしている。暇があったら愚痴か悪口しか言わないし。

 たまに自分でもマガジンを読み直して、また新たな発見をメモしている。自分にとって意味のあること、社会的に意味のあること、小さな環境にとって意味があるようにみえる意味のないこと……。
 ひとつひとつ分けて整理をすると、心身は軽やかになる。

 削ぎ落とすことのできない(しない)人たちは整理することもない。他の人を可哀想だと思い、心配もするが、コントロールすることはできない。かろうじてコントロールできるのは自分だけである。

 自分の役目を果たせるように、今を大事にして無駄を削ぎ落として生きたい。

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