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嫌われ者たちの青春「喫茶店での思い出」

高校時代、私は人気者ではありませんでした。
それどころか、机に油性ペンで悪口を書かれたり、授業中に私のことを貶めるような発言を大声でする生徒がいたりしても、先生が注意をすることができないくらい、私のことを嫌っている人が多くいる環境で過ごしていました。

正直、とても治安の悪い高校でした。
全校集会では、毎回、生徒指導の先生が怒鳴り散らし、「この学校では停学処分を受けていいる生徒がいない日が365日中1日もない」と嘆いていました。

カオスとは、まさに、この状態を表現するためにある言葉なのではないかと思うくらい、毎日、誰かが傷ついたり、傷つけられたり、傷つけあったりしていました。

高校を辞めたいと思ったことは、一度や二度ではありません。

しかし、私はその高校に3年間通い続け、首席で卒業を果たしました。

超、超、超、超、超、ガンバリマシタ。

でも、それは、自分一人の力ではありません。

いつも味方でいてくれた数人の友達のおかげといっても過言ではないくらい、友達に助けられた高校生活でした。

実は、その高校で激しく嫌われていたくのは、私だけではなかったのです。

ほかにも、数名の生徒が、複数の生徒や不特定多数の生徒から、日常的に差別のような扱いを受け、とても苦しんでいました。

攻撃的な言動を頻繁にする生徒が多くいる中で、攻撃的な言動を自らしないという逆の特性を持つタイプの生徒の数はとても少なく、その数少ない特性を持つ少数派の生徒たちは、お互いに惹かれ合い、時間の経過ともに、どんどん親密になっていきました。

それが、私と私の友人たちとの出会いです。

この「嫌われ者同盟」とでもいうような仲間の絆は、とても強く、私たちはほかの生徒に隠れて、自分たちだけで過すわずかな時間に、大きな幸せを感じていました。

なかでも、学校の近くにある、レトロな雰囲気が漂っていて、若者があまり足を運ぶことがない喫茶店に、放課後に集まることを、私たちはとても楽しみにしていました。

あの頃に通っていた喫茶店は、私たちにとって、最高の秘密基地だったのです。
そこで過ごす時間はいつも楽しく、私たちは、自分を傷つけてくる者から隔離された空間で、ささやかな青春を謳歌していました。

そんな嫌われてばかりいた私たちの青春を照らしてくれた昔ながらの雰囲気を持つ喫茶店が、最近はチェーン店の増加により、減ってきています。

高校卒業から10年以上が経過したいま、あの頃に通っていた喫茶店で、現在も営業しているお店は、1店舗だけになってしまいました。

あの頃に通っていた喫茶店は、理不尽なことばかりが起こる混沌だらけの日々に格闘していた私たちの青春の一部でした。

そんな青春を過ごした喫茶店が、閉店してしまうのは、どしようもないことなのだけれど、とても悲しく、寂しいです。

だからこそ、いまも営業が続いているお店には、これからも通い続けたいと思っています。 

そして、あの頃の思い出を大切にしながら、相変わらず理不尽な社会で、これからも、私たちらしく生きぬいていきたいです。

もう三十代になった私たちの悩みごとは、あの頃とは大きく内容が変わったのに、それでも、ときどき集まって、楽しく賑やかなひとときが過ごせることが、本当に幸せです。

あの頃の友達も、思い出の場所も、これからも、ずっと大切にしていきたいです。


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