CALL4 受刑者にも適切な医療を!刑務所医療過誤事件#刑事司法


はじめに

「刑務所は苦しくて不自由であたりまえ」あなたもそう思っていませんか。

「受刑者ならどんなに苦しい思いをしてもかまわない」

「受刑者なら適切な医療を受けられなくても仕方ない」

「受刑者なら医療を受けられずに死に至っても仕方ない」

こうした考えについてはいかがでしょうか。

自分には関係ない、と、なかなか刑務所について考える機会はないかもしれません。

南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策廃止に奔走したネルソン・マンデラは、こんな言葉を残しています。

- It is said that no one truly knows a nation until one has been inside its jails. A nation should not be judged by how it treats its highest citizens, but its lowest ones.

「こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国を真に理解することはできない。国は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ。」

私たちの国の刑務所のあり方について、今一度立ち止まって一緒に考えてみませんか。



事案の概要

20歳だったAさんは、罪を犯し、刑務所に入ることになりました。

友だちが多く、たくさんの人に慕われていたAさんは、きちんと罪を償い、社会復帰をした後は、犯罪により迷惑をかけてしまった人たちや、これまでお世話になった人たちのためにも生き直そうと、刑務所での日々を真面目に過ごしていました。



あるときAさんは体に異変を感じます。

刑務所の職員にそのことを訴えましたが、なかなか医者には診てもらえませんでした。

1週間後にようやく受診できましたが、限られた医師しかおらず、十分な医療設備のない刑務所内では適切な専門医による診断や検査を受けることができませんでした。その結果Aさんのがんは見過ごされてしまい、経過観察となってしまいました。

その後もAさんは体の異変を訴えましたが、なかなか医者に診てもらえませんでした。

最初の受診から1ヶ月後外部の専門医に診てもらい、検査を受けた結果、がんの疑いがあったとのことで、医療刑務所に移送され、すぐに手術となりました。Aさんのがんはセミノーマというステージ1であれば生存率が100%近い予後の良いがんでした。

医療刑務所にて手術および化学療法を終え、Aさんはまた一般の刑務所に戻されました。

そこで今度は発熱、腰の痛みを訴えます。

専門医であればがんの転移をすぐに疑うべき状況であるところ、単なる腰痛として扱われ、痛み止め軟膏を処方されただけでした。

その後、さらに喉の腫れなどが生じ、腰の痛みを訴えてから1ヶ月後に医療刑務所に移されますが、このときすでにがんの転移が複数見つかる状態でした。

進行の早い20代のAさんにとって1ヶ月の遅れが命取りとなりました。

医療刑務所内でも処置しきれないということで刑の執行停止を受け、出所後、7ヶ月ほどでAさんは亡くなりました。

まだ23歳でした。



Aさんは母とふたりの家庭で育ちました。

事件で多くの迷惑をかけた母に、刑務所を出た後は親孝行したいと考えていました。

Aさんの勤務先社長は、Aさんが罪を犯しても、刑期が終わったらまた戻って働けと、償いが終わるのを待っていました。

Aさんにはたくさんの友だちがいました。

道を踏み外してしまったAさんを見捨てることなく、友人として激励し、帰りを待っていました。



そしてAさんには結婚を約束した人がいました。

婚約者はAさんのために仕事を辞め、家を引き払い、Aさんと同居して懸命にAさんを支えました。

がんが治ったら入籍しよう、という夢は儚く散りました。





本訴訟の争点

本訴訟の争点は、Aさんの病状に対する刑事施設の対応は適切なものであったかどうか、ひいては、日本の刑事施設の医療体制は十分なものであるといえるかどうか、です。

Aさんは罪を犯しました。それは償うべきことです。

ただ、Aさんの刑は、刑務所に入り、自由を制限され、刑務所内で仕事をし、罪に向き合い、反省することであったはずです。

それを超えて、医療を制限され、命を落とさなければならなかったのでしょうか。

受刑者であっても、私たちと同じ人間です。

人としての基本的な権利は、どんな人にも、受刑者であっても守られるべきです。

そのことについて、改めて考えるきっかけとしたいと思います。



原告からのメッセージ

Aさんの母親からのメッセージ

私の息子は23才で亡くなりました。刑務所内でがんを発症した為です。

果たして私の息子は本当に死ななければならなかったのでしょうか?

私は、息子が刑務所に入ってから、月に2〜3回の面会と手紙のやり取りを続けて来ました。息子は罪を償い社会復帰をする事を目標に日々過ごしていました。

体調不良を刑務所職員に何度も何度も訴えてもなかなか対応して貰えず、やっと外の病院に受診した時には、すぐに手術を受けなければいけないほど進行していました。医療刑務所で手術、抗がん剤治療を2クール受けてからの再発。腰の痛みを訴えてもロキソニンの処方のみでがんは進行し全身に転移して亡くなりました。

息子は刑務所内での職員の対応に納得しておらず、手紙で病状と刑務所の対応を記録として残していました。

今回の訴訟は、生前息子が納得出来ない、国を訴えたいといっていた思いを私が引き継ぎ、職員の対応など真実を知りたい、今後は受刑者の方々が適切な医療が受けられる様に国に考えて頂きたいという思いで起こしました。

どうか息子の遺志を支援していただきますようお願いいたします。



Aさんの婚約者からのメッセージ

Aは確かに犯罪を犯しました。被害者の方には大変申し訳なく思っています。

彼は刑務所にいる間とても反省し真面目に生活を送っていました。彼の犯罪は命を犠牲にしてでも償うものだったとは思いません。

彼は「痛い。病院に連れてってくれ。いつになったら医師に会えるんだ。」など施設の職員に沢山訴えてきました。でも、一言も聞いて貰えず刑務所の中で末期がんになってしまいました。初期段階でしっかりと医師に診てもらえれば、がんが完治ししっかりと罪を償っていたと思います。そして、彼と私は普通の生活を送れていたと思います。

お金持ちになりたいなど豪華な生活は望んでいません。2人で仕事をして、2人でご飯を食べて、2人で寝てという普通の生活をしたかった。結婚して子どもを育てて、2人でおじいちゃんおばあちゃんになりたかった。ただただ普通の生活を送りたかったのにそれが叶わず23歳の若さで亡くなってしまいました。

彼のがんは治らない病気ではなかったはずです。初期段階で治療してもらえれば8割以上は完治するがんでした。何故彼は死ななければならなかったのか。がんと診断されて1年も経たずに亡くならなければならなかったのか。

刑務所ではどういう判断で彼を受診させなかったのか。事実や現実を知りたいです。

私は看護師として働きながら、看病をしました。最期は仕事も辞めて看取りました。

その後半年間働けず、自分の衣食住もままならない生活を送っていました。それくらい彼を愛し、彼中心の生活を送っていました。彼の死を無駄にしたくありません。

「刑務所には人権はない。外の病院で診てくれれば生きられたのに。」という言葉は忘れません。

生前の彼も刑務所医療の実態を知って欲しくてこの裁判を望んでいました。

ご支援をどうかよろしくお願いします。



担当弁護士

海渡 雄一(東京共同法律事務所)
小竹 広子(東京共同法律事務所)
髙遠 あゆ子(クラルテ法律事務所)



資金の使途

・裁判の手数料 
 被害者が亡くなった医療過誤事件で多額の慰謝料を請求するために訴訟提起のために多くの印紙代がかかります。

・意見書費用 
 医師の意見書が必須となります。医学的な争点のため、複数の十分な意見書作成が必要です。

・弁護士費用

・その他(通信費・裁判記録コピー代・交通費等)



弁護団連絡先

弁護士 髙遠 あゆ子
クラルテ法律事務所
東京都文京区本郷1−22−6 本郷ハイホーム3階
03-6801-5602

受刑者にも適切な医療を!刑務所医療過誤事件

#刑事司法