10月を期首とするアメリカの会計年度で、2023年度にメキシコ国境でアメリカ当局に拘束された中国人は2万4314人。データがある2007年度以降で最多だった2016年度を、10倍以上更新した。その後も増え続け、昨年12月だけで6千人近くに上った。中国人移民希望者を顧客とする中国系アメリカ人弁護士、黄笑生によると、多くは自由や職を求めて米国を目指す。
▽11カ国の旅路の果てに
私が出会った張一家は祖国を離れた後、タイやトルコなどを経由した。入国にビザが不要な南米エクアドルに到着し、その後は主に陸路で北上。計11カ国、50日超の長旅だった。中国系動画アプリTikTok(ティックトック)を見て、初めて具体的な渡航方法を知った。3人で30万元(約620万円)かかったという。
道中では、コロンビアとパナマにまたがり、アメリカを目指す多くの人が命を落としているジャングル地帯「ダリエン地峡」も通った。危険を覚悟でアメリカを目指したのは「経済的な苦境に加え、長女の教育と健康のため」。中国の習近平指導部は思想統制の一環で愛国教育を実施しているが、張は「娘は学校で共産党や政府への忠誠心を育てるスローガンを復唱させられるが、そんなものは学んでほしくない」と強調した。
▽長女の夢
汚染された中国の水や空気が長女の身体に与える影響も心配だったという。決断に拍車をかけたのが、中国の新型コロナウイルス対策「ゼロコロナ政策」だった。感染拡大を封じ込めるため、ロックダウン(都市封鎖)や集中隔離などの強制措置が実施され、経済は停滞。自営業者だった一家は「多大な影響」を受けた。ゼロコロナ政策は2022年末ごろ、事実上崩壊。張一家はその後、北京に移ったが、事態は好転しなかったという。
祖国は既に捨てた。親族や友人にはもう会えないが、張は「きっと決断を理解してくれる」と語った。一家はアメリカのどこに居を構えるか決めていない。だが長女の夢は明確だった。「ハーバード大に入学して、研究者になりたい」
「国境の壁」に沿って歩く不法移民=1月23日、米カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)
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〈取材を終えて〉
私は中国語を話せない。英語ができない張一家と私の橋渡し役を担ってくれたのは、台湾への留学経験がある支局助手のジャマール・ボンズ(28)だ。一家は、中国語を繰り出す長身の黒人男性に初めは驚いていたが、すぐに親しみに変わったようだった。取材中、張の方からボンズに話しかけたことがあった。笑顔だったので「中国語が上手だね」と言っているのだろうと思い確かめると、やはりそうだった。
こうしたやりとりを見ていたからか、私も取材後、少女に自分の言葉で何かを伝えたくなった。知っている数少ない中国語のフレーズから選んだのは、「加油(ジャヨウ)」。頑張って、という意味だ。
取材をした日から約3カ月がたった。あの時、照れくさそうな笑顔でグータッチをしてくれた少女は今、どこでどんな生活を送っているだろうか。