「娘に愛国教育は受けさせたくない」アメリカへ不法越境した中国人が語った本音 闇業者に頼り、長旅の果てに…国境警備当局による拘束は10倍以上に激増47NEWS / 2024年4月27日 10時30分.メキシコの「国境の街」で相次ぐ性暴力と拉致──米国を目指す人びとを襲う悲劇国境なき医師団 / 2024年3月28日 17時14分PDF魚拓



10月を期首とするアメリカの会計年度で、2023年度にメキシコ国境でアメリカ当局に拘束された中国人は2万4314人。データがある2007年度以降で最多だった2016年度を、10倍以上更新した。その後も増え続け、昨年12月だけで6千人近くに上った。中国人移民希望者を顧客とする中国系アメリカ人弁護士、黄笑生によると、多くは自由や職を求めて米国を目指す。



 ▽11カ国の旅路の果てに
 私が出会った張一家は祖国を離れた後、タイやトルコなどを経由した。入国にビザが不要な南米エクアドルに到着し、その後は主に陸路で北上。計11カ国、50日超の長旅だった。中国系動画アプリTikTok(ティックトック)を見て、初めて具体的な渡航方法を知った。3人で30万元(約620万円)かかったという。

 道中では、コロンビアとパナマにまたがり、アメリカを目指す多くの人が命を落としているジャングル地帯「ダリエン地峡」も通った。危険を覚悟でアメリカを目指したのは「経済的な苦境に加え、長女の教育と健康のため」。中国の習近平指導部は思想統制の一環で愛国教育を実施しているが、張は「娘は学校で共産党や政府への忠誠心を育てるスローガンを復唱させられるが、そんなものは学んでほしくない」と強調した。



 ▽長女の夢
 汚染された中国の水や空気が長女の身体に与える影響も心配だったという。決断に拍車をかけたのが、中国の新型コロナウイルス対策「ゼロコロナ政策」だった。感染拡大を封じ込めるため、ロックダウン(都市封鎖)や集中隔離などの強制措置が実施され、経済は停滞。自営業者だった一家は「多大な影響」を受けた。ゼロコロナ政策は2022年末ごろ、事実上崩壊。張一家はその後、北京に移ったが、事態は好転しなかったという。

 祖国は既に捨てた。親族や友人にはもう会えないが、張は「きっと決断を理解してくれる」と語った。一家はアメリカのどこに居を構えるか決めていない。だが長女の夢は明確だった。「ハーバード大に入学して、研究者になりたい」




「国境の壁」に沿って歩く不法移民=1月23日、米カリフォルニア州ハクンバホットスプリングス(共同)

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〈取材を終えて〉
 私は中国語を話せない。英語ができない張一家と私の橋渡し役を担ってくれたのは、台湾への留学経験がある支局助手のジャマール・ボンズ(28)だ。一家は、中国語を繰り出す長身の黒人男性に初めは驚いていたが、すぐに親しみに変わったようだった。取材中、張の方からボンズに話しかけたことがあった。笑顔だったので「中国語が上手だね」と言っているのだろうと思い確かめると、やはりそうだった。

 こうしたやりとりを見ていたからか、私も取材後、少女に自分の言葉で何かを伝えたくなった。知っている数少ない中国語のフレーズから選んだのは、「加油(ジャヨウ)」。頑張って、という意味だ。

 取材をした日から約3カ月がたった。あの時、照れくさそうな笑顔でグータッチをしてくれた少女は今、どこでどんな生活を送っているだろうか。

「娘に愛国教育は受けさせたくない」アメリカへ不法越境した中国人が語った本音 闇業者に頼り、長旅の果てに…国境警備当局による拘束は10倍以上に激増

47NEWS / 2024年4月27日 10時30分



「前はこうじゃなかった。なにか起こっても自分の力でどうにかできた。今はどうすればいいのかも分からないんです」

涙ながらにそう語るのは、ニカラグア人のカミラさんだ。
メキシコの北東部にマタモロスという街がある。米国との国境沿いだ。そのマタモロスの移民シェルターにカミラさんはいる。カミラさんの涙は、ここ数週間で起きた壮絶な体験を物語っている。彼女は、身の安全と生きるすべを求めて、米国を目指した。しかし、このメキシコ北東部の地で、身体的にも精神的にも苦難を浴びた。彼女のような人びとが、この地には大勢いる。

カミラさんは2023年8月、自らと家族が政治的迫害を受け、母国ニカラグアを脱出した。途中の検問所で何回も不法に金銭を要求されながら、なんとか旅を進めてきた。しかし、メキシコ北東部の地までたどり着いた時のことだ。カミラさんは語る。


「満員のバスに乗っていましたが、全員そこで降ろされたんです。あとに残ったのはメキシコ人家族1組だけ。私たちは別のバスに乗せられ、グアテマラまで送り返されました」
カミラさんはあきらめず、再び米国行きを試みた。2回目の旅では、なんとかメキシコの大都市モンテレー市までたどり着いた。そこで、ほかの仲間たちと一緒に、米国と国境を接する街レイノサ行きのバスに乗った。カミラさんが当時のことを語る。
「その途中で、私たちは拉致されたんです。最悪の事態の始まりでした。ある家に連れて行かれ、そこで男女別に分けられました。部屋は狭くて、みんな立っているしかないくらいです。夜になると、数人の男たちがやってきました。私たち女性は家から連れ出され、たらい回しにレイプされたんです。男たちは残忍でした」



17日後、カミラさんはマタモロスで解放され、市内の移民用シェルターに入った。カミラさんが続けてこう話す。
「精神的につらくなって、MSFのところに来たんです。平穏な現在と過去の体験に折り合いをつけられなくて。例えば、コーヒーを飲んでいる時、自分の身に起こったことを思い出して、涙がこらえきれなくなるといったことが何回もあるんです。でも、いまは心理療法士の人たちが親身になってくれる。いまも治療を受け続けています。以前の自分に戻るまで、まだ長くかかるとは思いますが……」

国境の街レイノサやマタモロスで働くMSFスタッフたちは、カミラさんのような体験を聞くことが増えてきた。MSFプロジェクト・コーディネーターのプージャ・アイエルは、次のように語る。
「ここ数カ月、移民に対する拉致や性暴力の事件が増えているのです。MSFのもとに来る人たちによると、監禁された上に虐待を受け、まともに食事も与えられない。ほとんどの女性が、性的虐待や性暴力の犠牲になっています」

過酷な環境で待つしかない日々

メキシコ北東部にいる移民や難民が直面しているのは、暴力だけではない。冬の厳しい寒さ、夏の厳しい暑さ、そして豪雨。そのような中で、安心して寝泊まりできる場所を見つけるのにも苦労している。食料や水、衛生用品を手に入れることも難しく、医療や心のケアを受ける機会も限られている。

現在、米国の移民当局への申請手続きには、"CBP One"と呼ばれるオンラインアプリが用いられることが多い。しかし、このアプリが彼らの不安定な状況を解消してくれるわけではない。移民たちは、米国への移民手続きの予約を取るのに数カ月も待たされることが多いのだ。その待機期間中も、過酷な生活は続く。

先ほどのアイエルが次のように説明する。
「手続きを進めるためのスマートフォン自体を持っていない、あるいは入手できない人びとが多い。持っていたとしても、インターネット接続料金を払えないケースが多いのです。スペイン語の読み書きや会話ができない人たちだっている。当局が導入したCBP Oneは、移民の受け入れ体制をスムーズにする小さな一歩とは言えます。しかし、このツールだけでは、米国での保護を求めている人びとの入国手続きを公的に管理するには不十分です」

こうした事態の深刻さ──そして、メキシコ北東部における移民への暴力と迫害状況を踏まえて、MSFは、メキシコと米国の当局に対して以下の点を求める。
・移民への包括的ケア体制を整備すること ・合法的な移住ルートを拡大すること ・適切で清潔なシェルターを整備すること

※身元を保護するために仮名を使用しています。

メキシコの「国境の街」で相次ぐ性暴力と拉致──米国を目指す人びとを襲う悲劇

国境なき医師団 / 2024年3月28日 17時14分