CALL4大川原化工機事件 〜無実で約1年勾留「人質司法」問題をただす〜#刑事司法



【原告の思い】

「人質司法」

日本の刑事司法制度はこう呼ばれることがあります。自己の記憶に従い正直に無実を主張しているだけで、あるいは争いのある法律の解釈について自らの解釈を主張しただけで、公判前、判決前の市民が長期間拘束されることがあるためです。

逮捕・勾留により、それまで地道に築き上げてきた社会的立場・信用は、たちまち崩れ落ちます。本人だけではありません。家族もそうですし、組織を率いるリーダーの場合、その組織全体が、大きな危険に晒されることとなります。

大川原化工機株式会社の社長である大川原正明さんや顧問であった相嶋静夫さんたちは、人質司法により自白を強要されながらこれに屈せず、無罪の主張を通しました。

その結果、全員が11ヶ月以上にわたり拘束され続けました。73歳だった相嶋さんに至っては、拘束中に急激に体調が悪化し、裁判所の判決を待たずに他界しました。

私たちは今、残念ながらこのようなことが起きる国家のもとに生きています。

X年後、自分の身に覚えのない嫌疑で逮捕されたら、あなたはどういう行動に出ますか。

いつまでも拘置所に閉じ込められてしまうなら罪を認めてしまおう。そのほうが、家族のため、会社のためになる。そう考えてしまう人もいるのではないでしょうか。

人質司法は、無実の市民に、虚偽の自白をしなければ拘束され続けるという諦めの気持ちを起こさせ、隠れた冤罪を生み続けます。これを読んでいるあなたや、あなたの家族も、明日の冤罪の被害者になるかもしれません。

「人質司法は絶対に許されてはならない。」

「無実の市民を11ヶ月間拘束した背景に何があったのか、真相は公にされなければならない。」

このような思いから、大川原社長らは、ふたたび自己の信念を貫き、人質司法に依拠した違法捜査を徹底的に追及しようと決意しました。

そして2021年9月8日、東京都と国に対し、警視庁公安部による逮捕、検察官による起訴などが違法であるとして、損害賠償請求訴訟を提起しました。



(提訴会見の様子)

【事案の概要】

大川原化工機株式会社は、噴霧乾燥技術のリーディングカンパニーとして、国内外の企業に多くの噴霧乾燥器(スプレードライヤ)を納入してきました。

噴霧乾燥器(スプレードライヤ)とは、液体を熱風中に噴霧して、粉末を得る装置のことです。この装置は、インスタントコーヒーの粉や、化学産業における乾燥粉体を作るためなどに用いられています。



(噴霧乾燥機(スプレードライヤー)構造図)

2020年3月11日、大川原社長らは、突然逮捕されました。逮捕理由は、噴霧乾燥機を経済産業大臣の許可を得ずにドイツ大手化学メーカーの中国子会社に輸出したことでした。そのことに争いはありません。その他無数にある海外との取引と同じ、通常の企業活動の一環でした。しかしこの輸出が、外為法規制に違反する不正輸出であるとされ、3人はそのまま起訴されてしまいました。

外為法とは、日本と外国との間の資金やモノ・サービスの移動などの対外取引を規制する法律です。特別な国や地域に物資を輸出したり、武器への転用が可能な物資を輸出する際には政府の許可や承認が必要とされています。

大川原化工機株式会社の噴霧乾燥機は、ある日突然、捜査機関によって軍事転用可能であると判断され、許可なく中国に向けて輸出してはならないと判断されたのです。

大川原社長たちは逮捕後一貫して、噴霧乾燥機が規制対象に当たるはずがないと専門家の意見も添えて主張し続けました。そして、1年近く勾留されたのち、検察官はようやく、「本件製品が規制要件を満たすものでないと明らかになった」として、起訴取り消しを行いました。これを受け、東京地裁は8月2日に公訴棄却を決定。事件は突然に終了しました。

警視庁は、証拠資料から規制要件に該当しないことを知るべきであったにもかかわらず、「立件ありき」の姿勢で捜査を行っていたのです。そのようなずさんな見通しでも、勾留して自白さえさせれば、有罪判決が取れると考え、ひたすらに取り調べを続けました。検察官も、同じように、規制要件に該当しないことを知るべきだったにもかかわらず、これを見落として起訴を強行しました。弁護団は起訴されてから5回にわたり保釈を請求しましたが、裁判所はいずれの保釈も退けました。相嶋さんは勾留中に体調を崩し、勾留の執行停止を受け自宅で治療を続けましたが、令和3年2月7日に無念にも亡くなってしまいました。治療中でさえ罪証隠滅のおそれがあると言われ、保釈は認められませんでした。

保釈の請求に対し検察官は、「身柄を解放すると3人が口裏を合わせ、あるいは社員たちに働きかけて都合の良い供述をさせるおそれがある」として、かたくなに反対し続けました。

しかし、大川原社長をはじめ、大川原化工機の役員・社員たちは、3人の逮捕に先立って1年半もの間、警察の取調べに全面的に協力してきました。3人を含む48 名の役職員が逮捕前に応じた取調べの回数は、延べ264回です。

また、警視庁公安部と検察官は、客観的要件に関しては約3年間の捜査を行い、大川原化工機及びその関係者が保有する物やデータはすべて押収し、さらに、大川原化工機の関係者への約1年半の取調べによって主観面に関する証拠も十分に収集し、満を持して起訴へと動きました。検察官と弁護人の間に事実の争いはほとんどなく、争点は法律解釈だけでした。それは裁判で争えばよいだけです。

このような状態で一体どのような”罪証”を隠滅するというのでしょうか。検察官が保釈に反対し、裁判所が保釈を拒絶し続けた目的は、大川原社長たちに自白をさせるためというほかありません。「人質司法」の典型です。



(大川原化工機株式会社)

【資金の使途】

確定している訴訟費用

・収入印紙代:1,718,000円

・予納郵券(訴訟の手続きに必要だと予想される郵便切手):14,000円



裁判を続ける上で必要となる費用

・会議費や交通費など

・弁護士費用

・専門家の意見書費用

・人質司法の実態をアピールするための提言費用など



まずは収入印紙代の一部として30万円を募集いたしました。第一目標を達成したため、ネクストステップとして残りの収入印紙・切手代を目標といたしました。引き続き何卒よろしくお願いいたします(10/31追記)。



【原告たちからひとこと】

強制捜索押収に続く任意取調の1年5ヶ月余の後の逮捕、その後の11ヶ月の勾留、さらに6ヶ月の会社及び社員との接触禁止の保釈期間、と合計34ヶ月の間、私と社員及びその家族はつらく苦しい思いをしてきました。そして、その間に金融機関や取引先などから多くの悲しい言葉を浴びせられても、無罪を信じ無実を主張して、理解頂いた専門家や弁護人とともに、皆で進んできました。

今回は、皆の努力と協力が実りましたが、権力行使の傲慢さ、聴取を受けた行政・研究者・顧客・同業者を含むほとんどの人たちが、警察・検察に従った調書の記載に署名する事実を見て、人質司法に加えて公安司法の恐ろしさを見ました。改めて、己の良心に従って、この権力を恐れずに、しかも着実に業務を進めていただいた社員と支えていただいた人々に感謝し、このような事象が二度と起こらないことを願うばかりです。

 大川原正明



私は、「平和で健康的な社会に貢献する」という当社理念に基づき、真摯に本法律を遵守してまいりました。各納入先からも、機器を兵器転用しない旨の誓約をいただいていました。その自負がありましたので、いかに長期拘留され自白を強要されても、自己の信念を曲げて罪を認めることは、できませんでした。
この裁判を通じて、このような違法な捜査により長期拘留がなされることが二度と起こらないよう、求めていきます。 

 島田順司



父は無実の罪で長期にわたる勾留を受けた後、胃がんを発症して死亡しました。胃がんの発症は今回の勾留とは無関係であると思いますが、胃がんに伴う消化管出血と貧血が発生してから治療が開始されるまで約2ヶ月を要しました。

命に関わるほどの貧血であり1人では歩けない状態であるにもかかわらず、保釈をされず病院にかかることも出来ませんでした。また、この間まともな栄養を摂取することもできず体力を奪われました。

10月16日に8時間だけの勾留執行停止をうけ、都内の病院を受診しましたが、勾留執行停止中の被告人という立場であり時間が限られていたこと等から診察、処置が受けられず、何の症状改善も得られず拘置所に戻りました。

私達は「父は拘置所で亡くなるのではないか」と恐怖を覚えました。検察はこのような状態になっても、病気の治療を認めないのです。

私達家族が必死に診療していただける病院を探しました。その結果11月6日に入院、治療を開始できることになりましたが、既に肝臓に転移しており末期状態でした。「もう少し早ければ・・・」と受診の遅れを悔やみました。

病院では医師、看護師がとても親切に献身的に医療を提供してくれました。人の温かみが身に染みました。その後一旦は症状が改善しましたが、次第に衰弱しとうとう病に負けました。父は自身の無実を確認することなく亡くなりました。

父は理系人間で特に応用化学を専門としていました。世の中に役立つ製品を開発、製造することに誇りを持ち懸命に働いていました。そんな父が尊厳を守られることなく最期を迎えたことが無念です。

 相嶋静夫 遺族代表



【弁護団からひとこと】

犯罪ないし被害の発生、発覚を契機に迅速な捜査が求められる一般の刑事事件と異なり、本件において捜査機関は、大川原化工機が過去に行ったスプレードライヤの輸出が法令の規制要件に抵触するか否かを、徹底的に捜査する余裕があった。現に警視庁公安部は、捜査に着手した2017年5月以降、大川化工機の顧客、同業他社、有識者、法令を所掌する経済産業省から、膨大な量の聴き取りを行い、また、同型機を使った実験を繰り返し行った。2018年10月には大川原化工機の本社等に捜索差押を行い、その後、役職員に対する延べ264回にもわたる取調を行った。

それだけ十分な時間をかけて捜査を行ったにもかかわらず、冤罪は生じた。

なぜ冤罪が起きたのか。

今回の件に関していえば、警視庁公安部と、起訴を行った検事が、「逮捕勾留さえすれば、多少無理筋であっても本人たちが自白して、簡単に有罪判決を得ることができるだろう。」という危険な考えに支配されていたことに原因がある。わが国の人質司法に対する甘えが、杜撰な捜査の根底に存在した。

捜査を指揮した検事は、本人たちが逮捕後に否認を続けるとは夢にも思わなかっただろう。「否認を続ければ保釈は下りない。保釈が下りなければ会社は潰れる。従って、会社を守るために罪を認めるだろう。」との危険な経験則に侵されていたはずだ。

この訴訟で明らかになる冤罪の真相が、人質司法を正す契機になることを期待する。

  弁護団を代表して 和田倉門法律事務所 弁護士 髙田 剛





皆様のご支援のほどよろしくお願いいたします。





大川原化工機事件 〜無実で約1年勾留「人質司法」問題をただす〜

#刑事司法




1年半も捜査した後の身柄拘束

2018年10月に捜索差押を受けてから、会社は警察に全面的に協力し、資料を多数提出し、任意で取り調べを受けた。取り調べは、社長や役員以下の従業員48人、合計264回にもわたった。

「会社は1年半のあいだ、捜査に協力した。捜査の内容のほとんどが、『この機械は滅殺菌できるかどうか』、『それを役職員一同が知っていたか』でした」

「捜査機関はトラック3台分の資料を持って行った。会社が出せるものすべてをさらけ出していた矢先でした」2020年3月11日のことだった。1年半の任意捜査の後に、大川原社長、島田さん、相嶋さんの3人は逮捕された。

「今さら何を隠すのだろうと思った」というのは大川原社長。「客観的に外為法違反に当たるかどうかの判断材料は、1年半で集めているはずです」

被疑者の勾留は法律上、犯罪の嫌疑があり、勾留の必要性があり、住居不定、罪証隠滅・逃亡の恐れ(勾留の理由)がある限定的な場合にのみ許容されるものである。はずだ。(刑事訴訟法207条1項、60条)

1年半も任意捜査に応じて犯罪の嫌疑を吟味するための資料はすべて出し、会社の所在地や住所もはっきりしていて簡単に夜逃げもできないような役員3人は、それでも、逮捕された後に勾留された。―――長い身柄拘束のはじまりだった。

すでに作成されていた調書

逮捕されてから、再逮捕、起訴までの3カ月間、3人は被疑者として留置所に拘束された。

「毎日2回、警察の取り調べがありました。警察での尋問は平均2時間。検察庁での取り調べはあわせて14、5回くらいあって、土日も検察庁に連れていかれました」大川原社長が振り返る。

「取り調べに移送されるときは腰縄に手錠をかけられます。20人くらいが手錠を鉄輪で通して一列につながれて、『下を向け』とか『口をきくな』とか大きな声で怒鳴られながら歩かされる」

「取り調べ中は、身体ごと腰縄をパイプ椅子に括り付けられます。拘束されたまま、手錠は両手にかけられていたものを片手錠にされて、尋問に移る」

▲島田さんが当時の様子を絵にしている

隣で島田さんもうなずく。「身体検査では真っ裸にされる。法律違反の『疑いがある』と、このような屈辱的な扱いをされるのだということに驚きました」

「それだけではなく、取り調べのときは『おまえ、言いたいことがあるだろ』とか『なぜ言わない』とか、高圧的に言われる。『社長や相嶋さんと違っておまえだけしゃべってない』と、保釈後にうそと分かったことも、何度も言われました」島田さんは振り返る。

「でも、こちらが何を主張しても一切供述書にはならない。事前に作られている供述書には、最初から『不正に』、『故意に』という文言や、『分かっていて』、『ずさんに』という文言が入っていた。削除してほしいと頼むと、『では、ここを直す代わりにこの文言を入れる』という交換条件を出される。毎回そうでした。私もずっと否認していましたが、結局、調書を直しきれずにサインしてしまったこともありました…。また逆に、弁解を認めてくれない取り調べに対して、手が震えてサインできなかったこともあった」

「言いたいことを抑えるのは、本当に苦しかった」

それでも3人は黙秘を続けた。

▲大川原さんは最初から最後まで完全黙秘を貫いた

終末医療を要する段階になっても認められない保釈

起訴後も、3人の身柄拘束は続いた。弁護士たちは、たびたび保釈を請求したが、請求は通らなかった。

「起訴後、裁判(公判前整理手続)を担当する裁判官も、令状部(勾留や保釈の決定権を持つ)の裁判官に対して、『この事件はこんなに長期拘束される事件ではない』とメモを差し入れてくれたようで、年末の12月28日にやっと保釈が通りそうになりました。そうしたら、検察庁から準抗告があって、その日のうちに覆された。いとも簡単に、覆された」と大川原社長。

島田さんは、「正月が迎えられなかったのは本当にショックで、涙が出てきました」という。「でもここで苦しんじゃいけないと思った。私は悪いことをしていない。一点の曇りもないと思って耐えました」

「私は、拘置所に移ってからも、妻にすら1度も会えなかった。11カ月、ずっとです。面会を申請しても通らない。会えるのは弁護士だけでした。会社や社員がどうなっているか、家族がどうなっているかも分からなかった」

「その中で、顧問の相嶋さんが拘置所の独房で倒れたという噂だけ聞いた。でも相嶋さんが癌(がん)だったなんて、知らなかった」

▲島田さんは言葉を絞り出すように、同年入社の相嶋さんの話を聞かせてくれた

顧問を務めていた相嶋さんは胃癌に侵されていた。しかし捜査機関は、相嶋さんの癌が進行し、終末医療を要する段階になっても保釈を認めなかった。弁護人は7回も保釈を請求したが、すべて却下された。身柄拘束も7カ月を迎えた2020年の10月になってやっと、相嶋さんは、短期間だけ勾留を停止する「勾留執行停止」の手続きで病院に運ばれた。病床で相嶋さんは、いつまた拘置所に戻されるか分からない状態だった。

「私が相嶋さんの容体を聞いたのは、保釈当日の2月5日でした」島田さんが言う。

大川原社長と島田さんが保釈された2日後の2021年2月7日、相嶋さんは、進行胃癌のために死去した。

日本の刑事司法が「人質司法」と呼ばれるのは

本件の起訴後、しばらく裁判の進んだ7月末のことだった。その日の裁判期日では、捜査機関が捜査開始時に作成した資料(捜査メモ)が開示される予定だった。ところが急に、検察庁から「この件は起訴を取り消しとする」という申請がなされ、裁判所による公訴棄却決定で裁判は終焉(しゅうえん)を迎えた。

いったん起訴された後に取り消しとなることは、不起訴の場合と違って非常に稀(まれ)だ。

「結局、実機で実験をしたところ、私たちの機械では、たとえ捜査機関の主張する『殺菌』の定義に乗ったとしても機械全体には殺菌を行きわたらせることができないということが明らかになった。つまり、捜査機関側の解釈をとっても外為法違反にはならないということでした」大川原社長が説明する。

「検察側も裁判を続けることを断念したのでしょう。それだけではない、強引な捜査・立件がされていたという証拠、捜査メモを開示したくなかったのかもしれない」

起訴の要件として「犯罪の嫌疑」が必要であることは、捜査機関であれば当然分かっていたはずだ。そのうえで「嫌疑」の検討をおろそかにして起訴を行い、身柄拘束を続けた捜査機関の責任を追及する――それが、大川原社長と島田さん、そして相嶋さんの遺族による国家賠償訴訟になる。

「そもそも、任意捜査を1年半も続けた後の段階で、果たして捜査機関は彼らを逮捕する必要があったのでしょうか」この訴訟で代理人を務める高田剛弁護士は言う。

「結局これは、自白を取るための逮捕・勾留だったのではないでしょうか」

ある行為が犯罪として成立するといえるためには、客観的に法律違反の構成要件に当たったうえで、故意があると言えなければならない。

「捕まえたら不安になって、怖がって、認めるだろう。特に本件は会社の役員が相手だから、役員は自分の信念を曲げても会社のために自白するだろう。……そういった考えも捜査機関には働いていたのではないかと思います。逮捕・勾留されることで会社への社会的な風当たりは強くなりますし、融資がストップすることもあります」

大川原社長は警察で、「有罪になっても罰金刑で執行猶予つきで終わるのだから、認めろ」、と直接的に言われたという。

「日本の刑事司法の運用が『人質司法』と呼ばれるのは、こうして、事件を有罪にするため、そのための自白を得るために、身柄拘束が行われるからです」

▲和田倉門法律事務所代表の高田剛弁護士。本ケースのクラウドファンディングも主催する

<憲法 第38条>
①何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
②強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
③何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

もとより、国家機関による身柄拘束は最低限でなければいけない。身体の拘束は、人の自由に対する大きな制限だからである。

人質とは、「交渉を有利にするために身柄を拘束された人」。ここは近代国家。自由の制限と引き換えに「自白」を得ようとするという「交渉」が、今も存在するということの持つ意味は何なのか。

会社を出ると、強い日差しの中で冷たい風が吹いた。

「逮捕直前の2020年2月」、島田さんの言葉が風に乗って流れる。

「原宿署で取り調べに応じているときに、相嶋さんと会った。『これが全部終わったら、島田、一杯やろうな』と声をかけられた。それっきりになった」

捜査機関も事実上無罪と認めた事件、裁判官ですら「こんなに長期拘束されるべきではない」と言った事件で、長期間身柄を拘束された3人の役員は今、一人減って、「国家賠償訴訟を通じて名誉の回復を求めたい」と、会社の前に立つ。
取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)

撮影/保田敬介(Keisuke Yasuda)

編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)

一点の曇りもないと黙秘をし、身柄拘束され続けた331日間