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旅から帰ってきて就職した話


1年間と決めた旅行を終え、秋のはじめに帰国した。出国前にはじけかけていたバブルはすっかり弾けきって、銀行を辞める前年の90年1月に3万8000円台だった日系平均株価は、銀行を辞めて旅に出た91年10月には2万5000円台にまで落ち、さらに帰国前月の92年8月には1万5000円を割り込んでいた。

出国時には、まあ日本に戻ってくれば仕事ぐらいいくらでもあるだろうと高を括っていたけれど、帰国後の日本の状況はだいぶ様相が変わっていて、正直なところ少し焦りも感じた。

田舎で1月余りほどのんびり過ごした後、学生時代を過ごした京都に引っ越し、就職活動を始めた。京都では友人の住む安アパートの隣り部屋が空いていたのでそこにころがりこんだ。その友人がジャパンタイムスをとっており、求人欄の広告に応募したら転職エージェントだった。また、リクルート系のエージェントにも登録した。

そのころ受けたTOEICが845点ほど。1年海外旅して帰ってくるとそれだけでそこそこ点数が伸びていて驚いた。

最初に応募したのは京都の税理士事務所と大阪にあったタイ政府観光局で、いずれも面接後、不採用の通知をいただいた。京都の税理士事務所は、面接の際にもどうしてあなたがうちに応募するのか、といった怪訝な感じのやりとりをされ採用に至らなかった。タイ政府観光局の仕事は面白そうだったけれど、残念ながら採用されなかった。

リクルートのエージェントから紹介されたのはフォードジャパンだった。東京の大森かどこかのビルに面接に行った。面接はいい感じで、日本代表を含めた複数の役員さんと面談し、会社のことをいろいろ教えていただいた。ぜひきてください、みたいな感じになったのだけど、結果を待っている間に他の会社で内定をいただき、すぐに来て欲しいということになってお断りした。ちなみにフォードジャパン社は2016年に日本から撤退している。

もう1社の転職エージェントから紹介されたのは、大阪の医薬品商社と大塚化学という会社だった。いずれもいい感じだったけれど、大塚の方は面接を終えたその日のうちに来て欲しいと連絡をもらった。提示された初任給はフォードジャパンの方が50万円ほど高かったけれど(500万円くらいだったか)、フォードジャパンの仕事が財務担当だったのに対し、大塚では経営企画室という格好いい名前の部署で、仕事のエリアも広く面白そうだった。

大塚からの連絡を受けて、アパートの隣室の友人に話をしたら、彼にそそのかされて、入社の条件にオロナミンC1年分を提示しろなどといわれた。思い返してみてもなんとも生意気な恥ずかしい話だけれど、快く応じていただいた。

大塚での仕事は知財法務が中心で研究所のリエゾンとやりとりして特許出願をする仕事がメインで、そのほかに子会社や関連会社の法務関連業務を担当した。同社には10年弱勤務して、貴重な経験を積ませていただいた。

入社直後に上司には仕事は比較的ひまだから司法試験の勉強もできるぞとかいわれ、関連会社の法務部の方(のちの大塚製薬の法務部長)からも司法試験の受験を勧められるなどしたけれど、実際に勉強を始めたのは入社から5年目のことだった。

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