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息子が不登校になってよかったことは?

息子が不登校になり、ハプニングやありえへんことが多くなった。今まで「当たり前」にできていたこともできなくなった。

こんなありえへんだらけの日常を過ごしていると…

「当たり前」に感謝できるようになった。


あたりまえと言えば、やっぱこれよね(笑)

世の中の「当たり前」が、息子にはしんどいし、大変なことも多いからね。「当たり前」って、実は奇跡なこと多いのよね。

凸凹な息子は、不登校になる可能性が高いことくらい予想はついていた。そしてそんな未来をめちゃくちゃ恐れてもいた。

でも、そんな恐れていたことが実際に起こったことにより、もうこれ以上に恐れることや怖いことがなくなった。

かなり、怖いもんなしになれた気もする。
少々の悩みやハプニングに動揺なんてしない自分になれた。慌てることもなくなった。

世間の目にこだわることや、周りからどう思われようが、そんなこともどうでもよくなってきた。
今の息子と私の状況は、周りとなんて違うけど、世の中の「当たり前」からズレにズレまくっているけどね。

ズレまくっているからかな?発想が自由すぎなんだよね。常識が気にならないからかな?前より楽しく生きれるようになってきた。

レールの道から外れた途端、楽になった。脱線した当初は、まだまだレールの上にこだわっていたからしんどかった。

でも、ここまで大幅に脱線しまくるとね。

どうせなら、行けるとこまで行ってまえー!とも思うわけなのよ。もう、レールに戻そうとするよりも、今を楽しんで、今できることに目を向けるしかなくてね。
そこから新たな道を作ることに、エネルギー注ぐしかないのよね。

新たに、私と息子なりのオリジナルの道を作るには、とても勇気が必要だ。そして、もっと柔軟な思考で、おもしろがることや、仲間だっている。色んな人達に頼って、みんなで考えてもらいたい。みんなの知恵を借りまくっている。しんどすぎて1人では戦えないわ。

頼ることも、ほんっと上手になったよね〜。

それでは、息子にとって、この不登校の経験はどうなんだろうか?
不登校になって、よかったことはなんなのかな?

逃げる経験をしたこと

まぁ、逃げていると言う言葉は、マイナスな響きにも感じるので、避難していると捉えているけどね。

学校という場所が、辛くてしんどい事がわかったから、避難しているだけの話なのよ。これからの自分を探している最中とも言える。

でも、避難するのも勇気いるからね。周りと違うことをし続けるのは、大変よ。

家でなら安心安全に過ごせる!という場所が、わかっている。

危険な場所と安全な場所がわかっていることも、もしかしたらいいことなのかもね。

息子は学校に通っている子ども達と、同じ経験は味わえていない。でも、不登校という…家で過ごす経験は味わっている。

その辛さや悔しさは、いつか必ず誰かを救えるはずだ。これは、今の息子にしかできないことだ。

きっと、息子と私の進む道は、楽な道ではないけどね。でも、遠回りしてもええやん。人より遅くても、人と違ってもええんちゃう?

周りと違うかもしれんけど、自分らしく生きていったらえんちゃうかな?
何に対しても逃げずに、立ち向かう生き方もカッコええかもしれんけどさ。みんなと同じ道も、安心するけどさ。マジメに生きていくのもええけどさ。

逃げまくって、負けまくって、失敗しまくる生き方でもええやん。あまりにしんどすぎて、マジメに生きるのしんどかったら、ふざけて笑いながらでもええやんか。

私達親子は、不登校生活から、沢山学んでいる。辛いことも多いけど、こうやって考えるとよかったことも沢山あると思う。

世の中の「当たり前」を基準としている生き方にこだわっていた時より、今はとても自分らしく生きているような気がする。

まっでも、ほんと楽じゃないんだけどね。

かなりしんどいし、やってらんねーから。

だから、日々の心の叫びをこうやって吐き出しながら、生きている。

そして、マジメに考えるとしんどいので、常にふざけまくっている。
そう考えると、私のおもしろさも、前より磨きがかかっているのかもしれない。








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