国に生きることは

学校でも職場でもSNSでも、誰か一人の行動言動が誰かの目、耳に止まって影響を与える。その影響された人はまた、誰かに影響を与える。自分の良いところや悪いところに気づく。そうして徐々にゆっくりと人は自分をつくっていく。


校則、法律といったものは堅苦しく書き記されているから分からなかったが、


「言語化された人」


ではないか。

その環境(職場や学校)にいる人々で様々な考えを共有し互いに影響される。

そしてそれぞれの意見を構築する。

その考え、意見が「ルール」に変換される


そのルールが、また別の環境のルールと相互に影響を与えてまた改善される。ワイマール憲法知って作った大日本帝国憲法みたいな

憲法法律は国民の意見の結晶である。上の言い方で表すと、憲法法律は「国民そのもの」である。

自分の国の法律憲法を知ることは自分の意見を知ることだ。知らないということは自分の意見を知らない、そもそも法律憲法を構築する要因になれてすらいないということではないか。→人じゃない。
選挙いこっと。

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