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オートバイのある風景7 彼女のVF400Fと紀ノ国屋集合


成人式の流れで始まったグループ交際から付き合いの始まった彼女には、二人のやはり背の高いお兄さんがいた。

長兄はとても穏やかな人で、僕にも優しく接してくれた。バイクはXL250S、いわゆる23インチのワークブーツというヤツで、彼女も時々そのXLに乗っていた。

次兄は超人ハルクみたいな人で、赤いGSX750Eに乗っていてちょっと怖かった。
彼女の家に遊びに行った時も、僕のCBXを見て
「あれで東京から帰って来たのか。限定解除しろ、デカいのは楽でいいぞ」
などと脅かすように言われたものだ。

そんな環境にいたので、彼女も僕と付き合いだして程なくバイクが欲しいと言うようになった。ちょうどその頃、たまたま僕の実家の近所でバイクを手放そうという人がいたので交渉したところ、程度の良いVF400Fを格安で譲ってもらう事が出来た。

当時の僕らは週末ごとに早朝の峠に繰り出す、いわゆる「走り屋」だったため、彼女のVFもあっという間に走り屋仕様になって行った。
まずはリヤフェンダーやチェーンカバーといった余分なパーツを片っ端から外していき、定番のバックステップ装着。
そしてマフラーは雑誌の売買欄で見つけた紀の国屋の集合管だ。V型4気筒のフルエキゾーストなので組み付けには相当苦労した。それでも組み付けてセルを回した時の痺れるような排気音は今でも覚えている。当時すでにVFR400が出ていたのだけれど、音とパワーフィールに関してはやっぱり360°クランクだよなあと、今でも思う。

バイクが仕上がって行くにつれ、彼女のバイクファッションもすっかり僕達に感化されて行き、白いラパイドにスモークシールド、みんなとお揃いの赤いスイングトップにジーパン、コンバース。

ライディングフォームは軽く猫背で顎を引き、ステップにはつま先乗りという一人前のスタイルが出来上がった。(イラスト参照のこと)当時は確か「プレス乗り」と呼んでいた気がする。
まぁ、まわりで寄ってたかってあーしろ、こーしろとうるさかったのは事実だが。

とは言っても彼女が峠を走ることはなく、もっぱら僕らの峠通いにギャラリーとして付き合う程度ではあったが、それでもVFにベタ足でヘルメットの後ろから髪の毛をなびかせて走る姿はカッコ良かったなぁ。

当時は空前のバイクブームだったから、休日に富士山や箱根にツーリングに出かければ必ずと言っていいほどお揃いのジャケットに身を包んだツーリングクラブがいて、中にはやはり必ずと言っていいほどヘルメットからおさげを出した女子ライダーがいたものだ。大学のツーリングクラブにもやはり女子がいて随分とチヤホヤされていた。

彼女達も今となってはいい歳になっているのだが、みんな今頃どうしているのだろう。うちのカミさんはといえば、子育てが完全にひと段落した数年前から、娘のバイクを借りて僕とツーリングに行くようになった。
カミさんに余裕が出来たのと、僕がかっ飛びではなくのんびりツーリングを楽しめるようになったのが上手くシンクロしているのだろう。

ちなみにうちのカミさんはいまだにバイクに乗るとつま先乗りである(笑)。


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