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でこぼこ日記#2「パチンコ送迎係」

私のおばあちゃんはパチンコが趣味。おばあちゃんは、もう車の運転は出来ないから、仕事で忙しい母に代わって私が送り迎えすることが多い。パチンコの送迎係をする孫の私・・・(苦笑)

まだ、習い事とかお友達との関りで。。とかなら快く足になれるかもしれない。
でも正直なところ、私はパチンコには興味が無い上にあまり良いイメージは持っていない。お迎えの時間はその時のおばあちゃんの気分や成果しだいだし、そのためだけに車を出すのはなんだか惜しい気がしてしまう。
今はあまり無くなったが、以前は「迎えに来て」と電話が来たから行ったのに、「今良いところなのよ」と言って、その場で私は呆然と後ろ姿を見つめていたこともある。

おばあちゃんがパチンコを始めたのはもうだいぶ前のこと。私が、幼稚園だったころには既に通っていたらしい。当時は、「じじばばのくっちゃべりの会」に行ってくると言っていたが、まだ小さかった私に配慮して、敢えてそのワードは使わなかったと言う。私は、その「くっちゃべりの会」を信じていたが(笑)。おばあちゃん自身も、パチンコに対して世間が抱くマイナスなイメージは感じている。

ここまで聞くと、ただギャンブルに依存するおばあちゃんというイメージがついてしまうかもしれないが、ちゃんと節度は守っている。借金はしていないし、家族からお金をもらってやっているわけでもない。自分が持っているお金の範囲内で、本当にそれはおばあちゃんの娯楽の一貫というか嗜みというか。
それでも、パチンコ台を見つめるおばあちゃんの背中を眺めるのは切ないし、もう少し違う趣味は無いのかと思ってしまうけれど。

じゃあ、なぜ私たち家族は目をつぶっているのか。

おばあちゃんはヘビースモーカーでもあって、たばこと同時に始めたのがパチンコだった。その当時のおばあちゃんの生活と言ったらもうそれは、(常日頃から自叙伝を出したいと言っているくらい)壮絶な過去だったらしい。おじいちゃん(バーバの元旦那さん)からの暴力、多大な借金、色々なものと闘った末に、ストレスのはけ口として出会ったのがそれだった。

おばあちゃんのことを何もしらない人たちから見たら、ただ怠惰な生活を送っているように見えるのかもしれない。だけど、毎日一緒に生活していて、人となりを知っている私たちは、おばあちゃんの一つの居場所を奪うことは出来ないと思ってしまう。借金をしていたら話は変わるかもしれないが、自分のお金の範囲内で、トラブルを起こしているわけではないから。

だけど、ここからが私の本音なのだが、今年25になる私、何やっているんだろうと思ってしまうことはある。おばあちゃんに助けられたこと、してもらったことは沢山あるのに、自分の時間を犠牲にしていると感じることもある。何かやっている途中で、電話がかかってきたときのもどかしさと言ったら・・。正直、イライラしてしまうことはある。「何で今なの?って。」「どこまで許せばよいの?」って。友人と遊ぶことを伝えたものの、途中で電話がかかってきて、友人に気を遣わせてしまったこともある。

私は、うまく自分の要望を相手に伝えることが出来ないからすべてを飲み込んでしまう。「私が何とかすれば良いや」って。それは、特に家族に対して発揮してしまうのだが。

「家族だから、育ててもらったから。」「恩返ししなきゃ」みたいなのがグルグルグル回って。
その一方では、「もう自由にしたい」という私の生意気な願いはどんどんどん強くなって。
私は家族のことを一生懸命考える癖に、一人の時間がとても必要で、ほっといて欲しいモードに入ってしまうこともある。人には、「猫みたい」と言われることが多い。


本当にいっぱいいっぱいになってしまったので、お母さんに相談した。

恩はあっても許容範囲は決めること。

これがお母さんから返ってきた言葉だった。自分の予定を長々と伝えても、忘れてしまうから「〇時まで」とか、「〇時以降だったら」とか具体的に簡潔に伝える。幸いおばあちゃんは、一つの事だけだったらまだ覚えていられる。

いくら家族であっても許容範囲を超えてしまうと、恩だったものも怒りに変わってしまう。
自分の言い分だって、伝えたって良い。ただ、認知症のおばあちゃんにどこまで伝えたら良いのか、どう伝えたら良いのかがよく分からないところなんだけれど。

全部を受け入れる、飲み込む必要はない。肩の力を抜いて、適度な距離感で関わっていけたら良い。



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