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シグナル(フルバージョン)

(はじめに)※2024年2月1日に全編無料公開にしました!
このストーリーは、私が30年ほど前に書いたものです。何台もパソコンが変わってもデータは残り続け、長い間、ふと思い出して読み返したり手を加えたりしてきました。noteを始めたのをきっかけに投稿することにしました。今回リリースするに当たり、改めて読み返して手を入れ、時間の経過を感じる表現に出会ったり、最初に書いた時の気持ちを思い出したりして発見が多い時間でした。30年前の自分とは親子ほどのジェネレーションギャップがあります。そんな昔の自分と向き合っての共同作業は、なかなか興味深い体験でした。設定は1985年の夏。そして今も夏。30数年前の夏とシンクロさせながらお楽しみください。


奴がいなくなった。奴とは幼なじみの外坂(とのさか)優作だ。同郷の奴とは小学生からの知り合いだ。常に一緒にいたわけではないけど、同じ中学、そして同じ高校へと進んだ。しかも実家は200メートルほどしか離れていない。ある意味、遠い親戚以上のつきあいかもしれない。そんなよしみもあって、大学で東京に出てきてからこの1年は、つまり奴がぷいと姿を消すまでは、東京で何回か飲んだりした。

外坂はどうか分からないが、俺は大学やバイト先で新しく知り合った人たちと遊んだり飲みに行ったりするのが楽しかったから、わざわざ東京に出てきてまで田舎の友達に会おうとは思わなかった。でも、波長が合うといった感じで、何とはなしにどちらからともなく連絡を取り、「飲むか」ということになるのだった。店で飲むこともあったし、どっちかの下宿で飲むこともあった。そうしたことがこの1年ちょっとで何回かあった。

ただ、幼なじみという妙な気持の偏りがあって、いつもなんだか「こいつより俺の方が上」みたいな思いが湧き、酒を飲むと特にそれが強くなり、酒飲みが一種の勝負のようになってしまう。どちらかがつぶれるまで飲み、翌日は二日酔いでダウンした相手を、残った一方が妙なスポーツマンシップみたいな気分で看病してやったりするのだった。

たとえばコンビ二になべ焼きウドンを買いに行き、かいがいしくそれを一口コンロにかけたりしてつくり、「まだ気持ち悪いか? じゃ、後にするか?」とかなんとかいったりして……。

一方で酒にあえぐ敗者は、吐き気に耐えながらも「昨日はもともと体調が万全ではなかった」とか「2軒目で飲んだワインが余計だった」などという敗戦の弁をうわごとのように言うのが常だった(しかしそういった反省が次に生かされたためしはない)。

ま、それはともかく…。そんな外坂から連絡がなくなり、しかし俺の方もいろいろと忙しくも楽しく大学生活を送っていたため、ここのところ連絡をしていなかった。

そんなある日、青いインクを流したようなウソっぽいほどきれいな海の写真のポストカードが届いた。そして見覚えのある悪筆で「俺は今ここにいる!最高!」 と書き殴ってあった。

「どこでなにやってんだ?あいつ」

そのときは、正直それくらいの感慨しかなく、カードをテレビの上にポイと置いてそのままにしてあった。数日経つとテレビの熱のせいか差し込む西日のせいか、奴のポストカードはスルメみたいにそっくり返って丸まってきたが、俺は相変わらず視野の端っこに捨て置いて気にかけなかった。

ところが。

大学2年の7月初旬、梅雨が終わりに近付いた頃になってオフクロから電話が入り、少々大ごとになっていることを知った。

外坂とは互いの母親同士も知り合いだが、あるとき、オフクロのところに「最近うちの優作と連絡が取れないが、何か知らないか?」と電話がかかってきたというのだ。それで俺にお鉢が回ってきたというわけだ。

でも、俺の知っていることといえばただ一つ。梅雨の始め、そう、その時からすれば3週間近く前に、南の島からあいつがポストカードをよこしてきたことのみ。

ちょっとの間連絡が取れないっていうけど、東京に出ていった子供なんてそんなもんじゃないかと思ったが、「今回のは少し違う」、と外坂のオフクロさんが言っているという。

これまでにも何度かは連絡が1、2週間ほど取れないことがあったが、留守番電話にコールバックを頼んでおけば、いずれ連絡をくれたという。それが今回は2カ月近くにもなろうというのにいっこうに連絡が付かないばかりか、しまいには縁もゆかりも無い電話機の電子音声から「もうこれ以上録音できません」なんぞと宣告され、長期間息子が下宿に帰っていないか、いるとしても何か変化が起こっているかもしれないと思い至る事態になったというのだ。

そこで外坂のオフクロさんは、俺のおふくろに電話してきたのだ。まあたしかに2カ月はちょっと長いか……。

「というわけなのよ。あなた優ちゃんが最近どうしているか知らないの?」と聞かれ、俺はポストカードの一件を話し、それ以上知らないと伝え、逆に「奴のオフクロさんからいつ電話あった?」と聞き返した。

「きのう」

「東京にいるんじゃないの?」と、俺は半ば面倒になっていぶかしげに言った。

「でも留守電にメッセージ入らなくなっちゃったっていうんだからおかしいでしょ」

「俺みたいに電話止まっちゃうよりいいじゃん」

とふざけて言うと、「バカいってんじゃないわよ。今度止まったら仕送りも1ヶ月止めるっていってたわよお父さん。連絡ぐらい取れるようにしておきなさいよ、まったく。ちゃんと仕送りしてるんだから」

「ヤベ」

「ヤベじゃないわよ。で、どうなの? 何かもっと様子とか分からないの? 同じ東京にいるんだから…」

めちゃくちゃいってる。

「同じっていったって東京も広いんだよ! 分かんないよ一緒に住んでるわけじゃあるまいし。始終アイツと連絡取り合ってるわけでもないんだから。まあいいよ。分かった。俺からも電話してみるよ」

そういうと俺はオフクロからの電話を切った。なんとなく旗色が悪くなりかけ、このまま説教モードに移行しそうだったからだ。

このあとすぐに俺は外坂に電話をした。案の定、自動音声が流れ、もうメッセージすら入れられないという。音声が流れている間にこちらからしゃべれば、その声は電話のスピーカーから聞こえるはず、と思い「おーい、外坂~、いたら出てくれー」としゃべってみたが、アイツが電話に出る様子はなく、居留守を使っている風でもなさそうだ。今時まさか電報でもあるまいし、これ以上連絡の取りようがない。結果をすぐにオフクロに伝え、俺の頭の中で、“外坂事件”はミッションクリアになったはずだった。

幼なじみなんてホントそんなもんだ。結びつきが深いようで案外関係はあいまいだ。気が合って仲良くなったわけでもなく、単なる幼いころの知り合いでしかない。正直、「幼なじみでしょ!」と言われてもな~、と思ってしまう。例えば俺が有名人になってなにかマスコミに取り上げるようなことをしたとき、変に「幼なじみの証言」とか言われても困るし。

いや、そう一般論に持ちこみつつ、本当はただ俺が薄情なだけなのかもしれない。

たしかに東京に住む同郷人として、心強い安心感のようなものはありますよ。それは認める。ただその反面、あまりいつも近くにいて欲しくない。どこかでそう考えてる。

だってそうでしょ? 幼なじみは、あるところで東京に出てくることによってクリアしたはずの田舎にいた頃のわずらわしさや、葬り去ってしまいたいような幼いころの惨めな、あるいは恥ずかしい自分を、歴史の証人よろしくしっかりと記憶している。「あんときお前こんなんだったなあ」なんてぐあいに。そんな歩くタイムカプセルみたいな、まことにもってありがたすぎる存在であり、それをどこかで疎ましく思っている。それが俺の幼なじみ観なのかもしれない。でも、外坂はどう考えているんだろう? 今度聞いてみよう。

例えば小学生の時、遠足で動物園に行って、買ってもらったばかりのピカピカの中日ドラゴンズの野球帽をサル山に落っことしてしまい、あれよあれよという間にサルたちにビリビリにされてしまい、そばにいたクラスで一番かわいかった女の子に「泣いちゃうの?」なんて妙な慰めを言われて耐え切れず、蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまったサル山に集まってきた同級生の前で泣き崩れてしまったことや、小学校の下校途中でウンチが我慢できず、家まであと少しというところでもらしてしまったこと、はたまた中学生の時に好きになった彼女に告白できず、アイツと公園で延々と朝までブランコなんぞに座って話し合い、「今日こそは告白するぞ!!!!」なんぞと朝焼けの空に向かって叫ぶなど、そんなつまらないことをきっと完璧なまでに脳ミソの中にしまいこんでいるはずなのだ。ああ、恥ずかしいったらありゃしないし、うっとうしい。

だから。

「死んじゃいないよ」とタカをくくり、俺は東京に住んでなくても誰でもできる、アイツの下宿に電話する、というアクションを取っただけで終わりにしたかったのだった。

「やっぱ電話してもダメだった」、そうオフクロに報告したが、外坂の親はそれでは済まない。当然だ。次は外坂のオフクロから直々に電話がかかってきた。外坂のアパートに電話した晩から4日ほど経っていた。たぶん思うにその4日間ほど親にとっては、相当悩ましい時間だっただろう。

「ごめんね、まーちゃん」開口一番、外坂のオフクロは言った。

「いえ」といいいながら、俺は心の中で叫んだ。「だから! まーちゃんっていうのはよせよ! こういうのがイヤなんだって! 俺だってもう20歳だぜ!」。俺の名前は遠藤真人(えんどうまこと)で、親も親戚も、そして外坂の親も、昔から俺のことを「まーちゃん」と呼んでいた。

「優作がねえ」と、外坂のオフクロはまた最初から状況を話し始めた。

俺は聞くともなしに相槌だけ打ちながら、これまでの状況把握に誤りがないか確認した。と同時に、「外坂のオフクロってどんな顔してたっけ?」と考えながら、田舎の言葉丸出しの言葉を聞いていた。

思い出したのは小学生のころのことだ。外坂とは学校帰りにどちらかの家に寄って、テレビでアニメを見たりマンガを読んだり、よくそんな他愛もない時間を過ごすことが多かった。

相手の家で遊んでいる時は、オフクロさんが帰ってきたらバイバイ。それがいつものタイミングだった。奴のオフクロさんは近くの縫製工場に勤めていて、6時に仕事が終わり、その足で近くの八百屋で買い物をして帰ってくる。だから帰ってくるのは6時半過ぎ。引き上げるのにちょうどいいタイミングだったのだ。

玄関の木戸の鍵を開ける時の、軋むような音。そしてカラカラカラカラと、戸が開く音。「ただいま」という奴のオフクロさんの声。外坂の部屋の入り口は玄関に面していたから、オフクロさんは、必ずタタキに片ひざをついて外坂の部屋のドアをノックしながら、「優ちゃんいるの? 帰ったわよ」といってドアをちょっとだけすかす。玄関に脱いである靴で誰か来ているのは察しがついているから、後は誰だということになるが、俺みたいによく来る常連の場合は、たいがい靴で判別が付く。時にはドアを開ける前から「まあちゃんいらっしゃい」と声をかけてくることも多く、そのあとはたいがい「なんか飲み物でも持ってこようか?」なんて聞いてくるのだった。

でも奴のオフクロさんが帰ってきたということは、同じ縫製工場に勤めていた俺のオフクロも帰ってるころだからもう引き上げ時なのだ。そこでジュースなどを出される前に、「もう帰りま~す」と大声で言ってから、「じゃあ、俺帰る」と、外坂に言ってランドセルをつかんで帰る。ゲームやアニメが途中でもなんでも。いつもそんな感じだった。

だから、奴のオフクロさんの顔といっても、正直あまり記憶になかった。見ているようで見ていないのだ。そういえば、外坂には5つ上のお姉さんがいたっけなあ。オフクロさんに会うより、お姉さんに会う方がだんぜん気になっていた。

とはいえ結局オフクロさん同様、顔はあまり思い出せないけど、小学校の高学年の当時、すでにお姉さんは高校生だった。お姉さんは高校に通いながら働いていた。確か駅近くのスーパーに勤めていたはずだ。端正な顔が断片的にフラッシュバックする。やっぱりオフクロさんよりは気になっていたのか? お姉さんは学校が終わったらそのままそのスーパーで働くという毎日だったから、外坂と遊んでいてもほとんど会うこともなかったが、土曜日などはよく2階の部屋からピアノの音が聞こえた。姿を見ることはあまりなかったが、気配に恋していたのかもしれない。たまにふわりとスミレのような残り香を階段近辺で感じることもあった。

外坂と野球盤ゲームなんぞやって盛り上がっているとき、階段を下りてくる音がすると、わけもなくドキドキしたものだ……。

オフクロさんの話は続いていたが、もう終わるところだった。事実の把握にほぼ間違いはなかったが、新たに分かったところもあった。

奴は、4月のアタマにオフクロさんからの電話に応えてゴールデンウイークの話をしていたという。喫茶店でのバイトが忙しいけど、店の周りはオフィスが多く、休日になると客足がピタリと止まってしまう。そこで毎年お店はゴールデンウイークには休業になるから、もしかしたら帰省するかもしれない。休みが決まったらまた連絡する、と言っていたというのだ。

ところで言いそびれていたが、俺と外坂の生まれ故郷は岐阜県だ。愛知県と県境を接する岐阜県南部のなんの取り柄もない中山道沿いの街、美濃加茂市だ。

外坂がどれほど本気で帰省を考えていたかは分からないが、俺と同じくバイクに乗る外坂は、バイクで帰ることを考えていたかもしれない。お金がかからない一般道を使ってツーリングがてら帰り、一定期間家にいれば生活費が浮く。俺も長期の休みに使う常套手段だ。

しかし、ゴールデンウイークは短い。帰るには行き帰りのガソリン代が馬鹿にならない。もしかしたら自宅を組み込んだツーリングでも考えていたのかもしれない。

ところが、ゴールデンウイークが近くなっても息子からいっこうに電話がなく、しびれを切らして4月20日ころ電話した、というのだ。そのころはまだ留守番電話に用件を録音できたという。

しかし返答は無かった。だんだん心配になってきたオフクロさんは、2日後くらいにまた電話し、再度用件を吹き込んだらしい。その日はゴールデンウイーク直前の週末で、日曜日はバイトが休みになることが多いと聞いていたから、明日はかならず電話をちょうだいね、と強い調子でメッセージを吹き込んだというのだ。でもやはり連絡は来ない。

いよいよ不安が募り、息子のいそうな時間帯を狙ってその日曜の夜遅くにも電話をしてみたところ、主の行方を知らぬ留守番電話から、もう用件を吹き込めない旨を告げられたというのだ。ここまで聞くと、ちょっと俺にもオフクロさんの不安な気持ちが伝染してきた。

オフクロさんはそうした状況を不安そうにとうとうと語り、最後に、ついては優作のアパートに行ってみてほしいというのだった。

ああ、悪い予感が当たっちまった。そりゃそうなるよね。これはさすがに断れない。もちろん例の青いインクを流したようなうそっぽい海のポストカードの話は俺のオフクロ経由で伝わっていた。最悪のことまでは考えていないだろうが、連絡が付かないことは事実だし、アパートにはいないかもしれないけれど、何か情報が欲しいというのは、親としては当然の考えだ。そして、俺がアパートを見てきた結果次第では、警察に相談するつもりだという。

俺はこのころ欲しくてたまらない、赤い250ccのホンダのオフロードバイクの購入に向けて絶賛バイト生活中で、当時ようやく都心やベッドタウンの駅前などにちらほら出現し始めていた、24時間営業のコンビニ「ローソン」で週4回ほどバイトをして金をためつつ、中型二輪免許の教習所に通っていた。さらにその上欠席するとヤバい授業に出ようと思うと、はっきりいってほんとにヒマがなかったのだ。ナンパなテニスサークルの飲み会も入っていたし、不良学生は結構忙しいのだった。

そんなわけで、外坂のオフクロさんから要請があった瞬間から、アタマの中でいつだったら行けるだろうと考えをめぐらせ、それは好むと好まざるとに関わらず、まさに今夜しかない! との結論が出た。

外坂のオフクロさんにそれをさも心配な心持ちを汲み取ったふうに「今日だったら僕空いてますから、これからバイクで行ってみますよ!」とハキハキ答え、「悪いねぇ。でも気を付けてね」と心底申し訳なさそうにいう奴のオフクロさんに、「大丈夫ですよ。気にしないでください。結果は連絡します」と付け加えた。

俺は幼いころからこういういい子ぶりっ子のいやらしいところがある。自分でいうのもなんだけど、優等生タイプだったのだ。故郷の人間と接すると、自動的にむくむくとそのソフトが起動する。外坂のオフクロさんもきっと俺のことをそう見ていたはずで、俺のオフクロもそれを織り込み済みで外坂のオフクロと付き合っていたに違いないと見ている。

そんないい子ぶりっ子と、無様な自分を知っている幼なじみ外坂を疎ましく思う微妙な感覚。この両者は無関係ではなさそうだな、でも結論を出すのはまたにしよう。ヤツのオフクロさんと話しながらそう思った。

俺はそのころ、かの昭和の大事件3億円事件の舞台となった東京都の西部、多摩地方の府中市に住んでいた。外坂は国道20号、甲州街道を新宿方面に15キロほど行ったところにある明大前のボロアパートに住んでいた。

電話を切った俺は、すぐにそばに転がっていたジェット型ヘルメットをひっつかんで玄関に行き、コンバースの紐を結んで飛び出した。

こういうことは思い立ったときに勢いで済ますのがよろしい。3階の部屋からコンクリートの階段を3段飛ばしくらいで一気に駆け下り、歩道にいつも止めっぱなしになっている原付のオフロードバイクである、愛車のヤマハDT50のエンジンをかけてヘルメットをかぶった。暖気運転もせずに2スト特有の真っ白い煙を猛然とまき散らして飛び出した。エンジンなんて走ってりゃそのうち暖まる。

俺はこの先4スト250ccに乗り換えるつもり満々。このマシンとももうすぐお別れ。そんな気持ちもあって愛が薄れていたのかもしれない。買ったばっかりの頃は大切に暖機運転もしてたのに。ごめんよ。

府中の俺のアパートから外坂のアパートまで、ぶっ飛ばせば20分ほどだ。まあ言われりゃ確かに近いのかもしれない。ただ、うまく言えないけど、バイクで20分は、やっぱり東京では別世界だ。

当時の原付は速度リミッターなんて割り切りの悪いものは付いてない。大きな声では言えないが、アクセル全開にすれば時速90キロくらい出る。そのとき時間は夜9時過ぎ。週末金曜日の化け物番組がやっている時間。都心に向かう方向のクルマの流れは空いていて、パラパラと間隔をおいて走るクルマの間を調子良く縫いながら、ひんやりと気持ちいい初夏の夜の空気の中を走った。

緩い左カーブとなる調布署の辺りまでは交通量も少なくスムーズにたどり着いたが、そこを過ぎた辺りから、国道20号線がいつもの甲州街道っぽくなってきた。

時代はバイクブームが全盛の80年代半ば。夜のニーヨンロク(国道246号線)と甲州街道(国道20号線)といえば、飛ばしたくてウズウズしているバイク乗りにとって、格好の自己顕示と度胸だめしの舞台だった。

ひとたび街を走れば、ありとあらゆるバイクに出会う。まるでそのままサーキットレースに出られそうなレーサーレプリカと呼ばれる2ストロークのフルカウルマシン、モトクロス場から飛び出してきたかのようなオフロードマシン、それから結構侮れない走りで都内を駆け回る50ccや80ccの2ストのミニバイク、そして当時高出力競争が加熱していたスクーターにヤマハ、ホンダ、スズキ、カワサキの4ストロークモンスター、はたまたバイク便や新聞社専属のいわゆるプレスの連中などなど……。

バイク自体もすごかったが、乗っているライダーの方も気合が入っていた。レーサーレプリカに乗る連中は色鮮やかなレザーのレーシングスーツでキメていた。オフロードマシンに乗っている連中は、アメリカのスーパークロスのトップ選手ずばりそのままのモトクロスパンツにブーツ、ジャージ、ヘルメットにハエ男のようなフェイスガード付きゴーグル、中には気合の入った林道ツーリングの帰りだったりすると、プラスチックでできた鎧のようなブレストガードまで身に着けたまま走っている強者もいる。まるで都会のアスファルトが戦場と化したかのようだ。

一方で、その数年前に信じられないほどのカリスマ性をもってライダー達に受け入れられたオーストラリアの映画『マッドマックス』の影響か、大排気量のモンスターに乗っている連中は全身黒づくめ。バイクはカワサキの4発。ヘルメットのシールドさえスモークで、ちゃんと前が見えているのか心配になってくるような徹底ぶりの連中がいたりして、信号で止まるたびに最前列に集まるライダー達は、見ているだけで楽しいくらいのものだった。

そんな連中に共通するのは、間違いなくすべてのライダーが「自分が世界で一番のバイク乗りだ」と思っていることで、なんとかして今この空間にいる全ての奴らに、自分のすごさを知らしめ、かしずかせてやろうという情念が、まっすぐに伸びるアスファルトに渦巻いていた。それをだれもが頭をフル稼働させて思い詰め、場の緊張感を高めていく。

そして、ついに1人でもこらえきれずに武者ぶるいよろしく信号待ちの間にそれとなく空ぶかしなどすると、ついに決戦へとエネルギーが収斂し、信号が青色なるとともに放たれていく。そして消失点に向かってそこに並んだバイクすべてが狂ったようにアクセルを全開にする。これが、いわゆるシグナルグランプリだ。

昼間でもそうした瞬間が出現しないこともないが、やはり中心は交通量の少ない夜間だ。そうした名も無き、そして一瞬にして終わる無数のグランプリ、果たし状も表彰も賞金も報道もない決闘が、夜の街のあちらこちらで毎夜のごとく繰り広げられていた。

とくに甲州街道と246は凄かった。双方とも道幅が広くて信号の間隔が長い直線が続く見せ場が多い上、その2つの国道が郊外に移転したいくつもの大学と都心を結ぶ街道だったせいもあり、他の道には見られないくらい多くの若く猛った若いライダーが駆け抜けるメインストリートだった。そしてイチゴウイチエ、その瞬間に同じラインに並んだもの同士が、度胸の限りアクセルをひねり、アクセルワイヤーがちぎれるほど開けっぴろげて速さを競うのだ。

それはもう、その場を共有するライダーにとって完全に「ショウ」だ。にぎやかで華やかで刺激的、かつ危険な……。しかもプレーヤーとオーディエンスの垣根があいまいで、すぐにその垣根を超えて状態が変化、少し前まで観客だった人間がリングに上がる。そんな極めて双方向的な、非合法で危険なショウでもあった。

こうしたクルマの空く夜、バイト帰りや大学でひとしきりたむろして帰る連中なんかが行き交う夜、まさに今俺が走っている今が、シグナルグランプリのコアタイムだった。

特にその夜はすごかった。いやちょっと怖いくらいに典型的な晩だった。変化が起こったのは、さっき言った調布署を過ぎ信号を3つぐらい行ったころだった。

最初に場をつくったのは、パールホワイトにブルーのラインが入ったメッシュレザーのレーシングスーツに身を包んだヤマハのRZ乗りだった。RZは250Rだった。RZの2代目で、初代のインパクトをさらに加速したこのモデルの功績は計り知れない。

それにしてもこのライダー、かなり「やる」とみた。相手もいないのに、夜の虚空に向かって空ぶかしを繰り返し、その哀調すら帯びたエグゾーストノートを夜の甲州街道にぶちまけている。はじけるような自信と、場にいる他のライダーに対する挑発とも威嚇。よく乾いたその音が、いつもマシンを退屈させていないことを物語っている。音がこもっていないのだ。

あまりかっ飛ばしていない2ストマシンはこうはいかない。もちろんチャンバーは、ノーマルではないだろう。たまたま信号の加減で一緒に青を待つことになった俺は、最前列にそのRZ野郎を認め、するするとクルマをすり抜けて横に並んだ。

そいつは完全にいっちゃっていて、いっときたりともエンジンをアイドリングさせなかった。まるでアイドリングは死を意味するとでも考えているかのように始終アクセルをあおり続け、地面につまさきだけついた右足は、落ち着きなさそうにずっと貧乏ゆすりをしていた。かかとが見ていておかしいほど揺れていた。一時たりともじっとしていられない様子だった。その足の動きは、ヘヴィメタの狂ったようなリズムに似ていた。

「いいぞ、いいぞ…。行け行けぇ!」幼なじみの消息を確かめるという重要なミッションを負った単なる興味本位のオーディオエンスに過ぎない俺だったが、面白半分で叫んだ。

ただ、こういう奴がいると当然こちらも影響を受ける。なんとかそのクレージーぶりを見届けたいと思う気持ちがむくむくと沸き起こってくるのだ。

やがて、渡る者もいない歩行者用信号が点滅を始めた。すると、RZ野郎は乱暴にシフトを踏みつけて1速にぶちこんだ左足をアスファルトに下ろすと、それまでたえず貧乏ゆすりをしていた右足をぱっと上げてリアブレーキを踏みつけた。

盛り上がりを見せるサーキットでのプロダクションレースで人気のタイヤを履いていて、かなりショルダーまで削れている。高速でギリギリまでコーナーを攻めている証拠だ。おおかた東京と神奈川県の県境にある甲州街道の大垂水峠あたりを走ってきたのだろう。そしてそのままのテンションでここまでずっと甲州街道をぶっ飛ばしてきたに違いない。

このころ週末の夜の大垂水峠は、これまたライダーのメッカだった。腕自慢または物見高いライダーが三々五々集まり、週末などはまるでお祭り騒ぎだった。見物コーナーと呼ばれる茶店のある何カ所かの駐車場にたむろして、行き交うライダーをあるときは見つめ、あるときは実際に走って楽しむ、そんなことが繰り返されていた。多分この男もそんな1人、いや主役を張るくらいの、マジ度の高いライダーに思えた。

パッと歩行者信号が赤に変わる。もうすぐ目先の信号が青に変わる。男はクラッチを握ったまま、猛然とアクセルを開ける。後ろには5、6台のクルマがいたが、そいつの吐きだす白い煙で辺りが一瞬にして青白く曇る。脇にいた俺のところにも、どうやらカストロールらしいキンモクセイのような芳香が、わっと押し寄せる。このことからも、このライダーがかなり「やる」類のライダーだと分かる。2ストにエンジンオイルは不可欠だ。だが、手ごろな値段の鉱物系のオイルではなく、レースなどで使う植物系のオイルは値段が倍近く違う。本気じゃないとチョイスしないアイテムだ。それを使っているのはその香りから知れるし、それによってエンジンがいつもご機嫌なのが、エグゾーストノートからはっきりわかる。

そいつはパワーバンドの下限くらいのエンジン回転数を維持し、クラッチミートのタイミングを図る。青だ! 俺も遅れまいと、そいつの左後ろから50ccの非力ながらありったけの力を多少フライング気味に路面にぶつけてスタートした。

そのときRZの姿勢に大きな変化があった。あっと思って見ると、RZの野郎は軽々と前輪を上げそのままの姿勢で加速を始めた。ウイリーだ! どうやら最初から狙っていたらしく、ポンとクラッチを一気につなぐと、きれいに前輪を上げ、ハンドルにややしがみつくように姿勢を保ちながら、10メートルくらい走った。上手い! そうとうやりなれてないとあれだけ安定したウイリーを決めることはできない。俺は見とれながらも精一杯追いつこうとフルスロットルをくれてギアを2速にシフトした。

俺の50ccが苦しげな甲高い音を立てて路面を掻く。RZ野郎は2速にシフトアップしてなおウイリーを続けていた。これはかなりの手練だ。ウイリーを発進時にかますライダーはそこそこいるが、そのままシフトアップまでできるヤツはそういない。シフトアップすると、後輪に伝わるパワーが変動し、ウイリーの姿勢を保つのががぜん難しくなるからだ。

その時だった。ワッと風圧とも音圧とも分からない威圧感とともに、黒い物体が俺の後ろから現れ、右側を抜き去っていった。俺は一瞬ひるみ、ガードレールの方へふらついた。体勢を立て直しながら見ると、それはカワサキのZ750FXだった。黒いツヤ消しのモリワキのマフラーを脇からつき出した硬派な仕上げのマシンに、黒い革つなぎに黒いヘルメット、鉄板がスネに当たった黒いオフロードブーツ。全身黒ずくめライダーが乗っていた。

そいつはどうやら俺達が待っていた信号が青に変わる直前に信号にたどり着き、惰性を保ったままクルマをすり抜けて最前列に出るや、一気に2速フル加速をかけたようだった。道は一瞬小さな小川にかかった短い橋を渡る。橋の両側にはまっている鉄板の上で、カワサキの後輪が瞬間的にホイルスピンしたのを俺は見逃さなかった。相当のトルクがかかっていることは明らかだった。それは少し離れた俺からもはっきりと分かるほどのものだったが、それすらまったく意に介さない様子でフル加速をくれて巨体を突っ走らせる。これまた相当の乗り手だ。Z750FXともなれば、装備重量とライダーの体重を合わせれば、質量は400㎏に達する。相当乗り慣れていなければ、アクセル全開で猛り狂うマシンに身をゆだねることはできない。

「もしかしたらこの2台、ずっとここまで絡んで来たのかもしれない」、俺は加速しながらそう思った。驚いたのはRZの野郎だ。気分よく3速に入れたところでウイリーのままカワサキにぶち抜かれ、急いで前輪を下げて2速に入れ直し、全開加速をかまして追走に入った。また一面に青みを帯びた白い煙がわっと吐き出され、一瞬俺の視界から2台の姿を遮った。

見ている俺の全身にアドレナリンが駆け巡った。ヘルメットの下の頭皮がチリチリするのを感じた。「これこれ、こうでなくっちゃ!」、俺はそう思ってニヤニヤしながらアクセルをさらに開ける。2台はあっという間に見えなくなるほど先を走っているが、こっちも意地になって追っかける。非力な俺の50ccはとっくに5速に入っていて全開だ。スピードは、大きな声では言えないが時速80キロを超えている。いったいあの2台はどんだけスピードを出しているんだ? 130か?140か?、いやもっとかもしれない。もしそうだとすれば、正気の沙汰ではない。それを遅ればせながら追いかける俺とて、原付の法定速度は時速30キロだ。今つかまったら免許なくなる。でもアクセル緩めることなんてできるものか、なんぞとめまぐるしく考えながら、アクセル全開を続ける。体を伏せて耐えているとゆっくりとスピードメーターの針が90キロに近付いていく。エンジンの振動に細かく揺れるバックミラーの視界に、同じ信号で発進したクルマたちが遠ざかっていくように見える。ぶっとんでいった2台はというと、わずかにテールランプが見えるかどうか、というくらいまで先を行っている。現状俺は、単独3位って感じ?

まだ信号は先だが、信じられないスピードが出ているのだろう。とんでもなく手前からまずカワサキがたまらずブレーキを踏んでテールランプが赤く光る。カワサキの車重からすればやむを得ない。300kg超の鉄の塊はそうそう簡単に止まることを許さない。俺もその隙にいっきに2台との距離を詰める。RZはいっきに3速までシフトダウンしてかわし、まだブレーキを踏まない。一瞬2台が並び、カワサキはブレーキとともにシフトダウンしてエンジンブレーキを併用、さらに速度を落とす。するとカワサキは、いっきにRZの後方に去り、俺のマシンとの距離がさらに詰まる。

2台が信号で止まった。先に停止線にたどり着き、ジャックナイフよろしく後輪を浮かし気味に自らの速度をゼロにしたのはRZだった。何をするにも派手なヤツだ。わずかに時間をあけて今度はカワサキが悠然とRZの脇に止まった。

今のセッション、結果を見ると辛くもRZが勝ったようにも見えるが、普通のバイク乗りの感覚からすれば、どうみてもカワサキの勝ちだった。RZを最後で先に行かせる辺りは余裕すら感じさせる行為として映り、カワサキが1枚も2枚も上手となる。

これではRZの気持ちは収まらない。いきり立って、さっきより病的にアクセルをあおり、ときにはワワワワワ…、と犬のうなり声よろしく高い回転数を保ったりしながら、交わる道の信号を凝視している。一方のカワサキは黒いシールドの奥の視線は定かではないが、ぴくりともヘルメットを動かさず、両手をハンドルから離してだらりと下げ、上体を起こしたまま動かない。アイドリングにまかせてマシンにまたがっている姿は、戦地で戦いを前にしながら悠然と馬にまたがる武将のようだ。

かっこいい。どうみてもカワサキのほうがかっこいい。年齢も、顔も性格も、そしていってみれば性別すら分からないライダーは、そこにいるがまったく現実感がなく、生きる怖さみたいなものからひどく離れた存在のように思われ、強くひきつけらる。2人が信号待ちをしているところへ、文字通り息せききって駆けこんだ俺は、そんなふたりに遠慮してちょっと後ろに付け、2人の動きに注目した。

そこに徐々にクルマが追い付いてくる。するとどこから現れたのか、クルマに混じって250ccのオフロードバイクであるホンダXL250RとカワサキKL250、そして50ccのスクーター最速の呼び声高いホンダビートが現れた。俺はバックミラーでそいつらの動きに注意を払っていた。台数は、俺を入れて6台になった。そいつらはてんでにクルマの隙間を見つけて最前列近くにやってきて、俺たち3台に合流した。完全に1つのシグナルグランプリの“場”がここに生まれた。

おっと俺もうかうかしていられない。そんな冷静な分析をしている場合じゃないぞ。同じ排気量で、変速機付きのバイクがスクーターに負けるはずはなかったが、ビートは別だ。ビートは当時のスクーター最速を誇り、下手するとギア付きのマシンでもカモられてしまうほどスタートダッシュが良く、油断ならない存在だった。逆に言えば相手にとって不足は無い!

その頃にはすっかりシグナルグランプリの一員になっていた俺は、オーディエンスからプレーヤーに転じ、すっかりやる気になっていた。全身の毛穴がびったりと閉じて鳥肌が立つような感覚に襲われる。ゲームの始まりだ。鼻がツーンとする。耳の中が妙にシーンと静まり返る。興奮のために体のあちこちに変化が起こっている。

50ccは非力だが、恥と他人の迷惑を省みずにパワーバンドの回転数を保って度胸一発絶妙のクラッチミートを決めれば、最初の30メートルくらいはまれに他の大排気量車さえも抑えてホールショットをいただくことができなくもない。だが、そういういわば“カトンボの不意打ち”作戦は一回しか通用しない。本気になったモンスター達が前よりほんのちょっと多めにアクセルを開ければ、あっけなく俺の乗っているような原付はかなた後方に置いてけぼりをくう。もともと相手にならない連中に挑んだってしかたない。俺はビートに照準を絞ろう。

ふとRZとカワサキに目をやる。2台は俺や他の連中なぞまったく眼中になく、違う次元で争っている。張り合っている同士には妙な感覚がある。これがまた面白いところだが、意識し合ったもの同士は、相並びながら互いに目を合わせることはおろか、競っているなどというそぶりすらチラとも見せない。それが流儀とでもいうように……。しかしその実、ハラの中では闘志がみなぎり、今度こそぶった切ってやる、と思っている。

逆にハナから勝負しようなんて思っていない相手、例えば俺のような小排気量のバイクに対しては、並んで止めようともしない。彼らと俺との関係は完全にプレーヤーとオーディエンスだ。同じ次元にない。同じシグナルグランプリの場を形成しているメンツでも、階層は多重的に存在していて、RZとカワサキの2人の前では、俺は階層の違うオーディエンスでしかない。俺がプレーヤーとして同じ階層を共有しているのは、間違いなくビートだ。

信号が変わる瞬間を待つ。あっ、ビートがフライングだ! わざわざ俺をかすめるように見切りで発進し、大胆にも前のRZとカワサキの間をすり抜けて追い越し、きょろきょろと左右を確認しながら交差点内に入っていく。そうこうしているうちに全ての信号が赤になった。ビートはもう交差する車両がないと見るや、フル加速に入った。ああゆうことはバイク乗りにはできない。あのビートに乗っている奴は単にアシがわりにスクーターに乗る自動車乗りに違いない。バイクに対する美学が感じられない。場を形成する「バイク乗り」が全員そう感じたはずだ。同時にきっと「場」の主からの鉄槌が下るぞ、と皆が思った。

カワサキはまったく動じなかったが、狂犬病にかかったようなRZは許せなかった。信号が青になるや猛然と加速、わざわざまっすぐ後ろからビートに追いすがり、触れるかと思うほど脇を通って追い抜いていった。ビートの野郎は明らかにビビったように見えた。抜き去るRZとは逆側に体を逃がし、ブレーキをちょんと踏んだのがストップランプで見て取れたからだ。ざまあみろだ。ビビッた姿を見られることはバイク乗りにとって死を意味するほど恥ずかしい。場全体から嘲笑が聞こえたように感じた。いいカタチで熟成しようとしている場に水を指すからだ。今度ばかりはRZに拍手したい気分だった。

2つ3つの信号は静かだった。間隔が短く、ろくに勝負にならないのだ。ラリーでいえばリエゾン(移動区間)だ。ただ、つまらないと思う一方、場を汚したビートの行為をご破算にし、浄化する効果があった。場は静寂を保ったが、しかし反対に内包するエネルギーは、爆発的に膨張していた。RZと若干おとなしくなったように見えるビート、そして午睡にたゆたう獅子のようにまったく動きを見せないカワサキ、そして2台のトレールバイク、そこにどこかの林道を走ってきたらしき2スト125ccのトレールバイク3台、250ccのビジネスバイクに乗ったプレス、鈴鹿8耐に出てきそうなフルカウルの4スト400マルチが2、3台見える。こいつらは仲間かどうか分からない。そしてスズキのエンジンを使ったビモータのモンスターマシン、単気筒の名車SRを駆るジェットヘルメットのヒゲの紳士が1人…。あとはスクーターがちらほら。アベックでタンデムの250ccのスクーターも見える。

そこへさらに、2スト250ccのフルカウルマシンであるホンダNS250Rと、ネイキッド2ストのMVX250F、カワサキのレーサーレプリカKR250R、出たばっかりのTZR250Rと、人気モデルそろい踏みで派手派手しく登場した。

場は恐ろしいまでのエネルギーを帯びてきた。総勢で20台を超えるバイクが、同じ信号のブルーシグナルでいっせいに飛び出していく。それを信号のたびに繰り返す。こんな規模のシグナルグランプリに居合わせたことなど、これまで一度もなかった。まるでなにか臨界点を待つエネルギー粒子が、行き場を失って悶々としているかのようだった。まだなにかが足りないのかもしれなかった。その何かが足りないせいで、まだ場に火がついていない、そんなふうに俺は感じた。さっきRZとカワサキの2台がその端緒を演出したが、ビートが勢いに水を指して臨界に至らなかった。何かほんのちょっとしたひとつまみが足りない、その場の全員がそう感じていたのではないか、俺は勝手にそう思っていた。

場を見まわす…。いやまて、いたいた。この場はさらに大化けするかもしれない、と俺は思った。パールピンクとパールホワイトのビカビカのレザースーツ、そして同じデザインの一品モノとおぼしきヘルメットからさらさらの髪をなびかせる女の子が、控えめながら存在感を持って、ときおり縁石にチョコチョコ足をつきながら左脇からゆっくり最前列に上がってくる。バイクはまるでモーターのようにエンジンが回ると評判の、4スト250cc、ヤマハのFZ兄弟の末弟、フェーザーことFZ250だ。近未来的なヌメッとした車体ですぐにそれと知れる。マシンには傷ひとつ無い。身に付けているものも頭のてっぺんから足の先までビカビカの新品に見える。路肩にあるナトリウム灯の光を受けて、元来まぶしいほど白いボディがオレンジ色に光る。

言いそびれていたが、シグナルグランプリは、女の子ライダーの存在があると、それが触媒になって一気にエネルギーが2乗、3乗の勢いで跳ね上がる。そうなった日にはもだれにも止められない。その“場”は完全体として成就する可能性ががぜん高くなってくる。今その条件が整おうとしているのだ。要は現代に生きる武士を気取るライダー達は、猛烈にナルシシズムが強くてええかっこうしいで、女の子に一発すごいところを見せてやろうという野心に満ち溢れているのだ。それも、ちゃんとバイクが分かる女子に。

事実その何か満たされず悶々としているような20台そこそこのアイドリングがさっきほど安定した静かなものではなく、ちょっと空ぶかししてみたりしてなにか落ち着かない。単気筒のヒゲの紳士すら、ちょっとその丹精なアイドリングを乱したように思えた。

他にも意味もなくフロントブレーキをかけ両腕でハンドルを押し下げてフロントサスを伸び縮みさせている奴や、信号が青にもなっていないのにちょろちょろと路面を蹴ってバイクを進ませ、他のライダーのすき間を縫って少しでも次なるシグナルグランプリでいいダッシュをかけようとしている奴。あきらかに女の子の登場が場のエネルギーを膨張させている。

女の子の顔はフルフェイスのヘルメットの奥でうかがえないが、パールホワイトのレーシングスーツの中の体はみるからにスリムで、長い足がスラリと同色のブーツへと伸びている。居場所を決めた今は、ギアをニュートラルに入れ終えて両方の手のひらをタンクの上に合わせるようにして置き、前方を見ている。もうぜったい美少女にちがいない。歳はきっと20歳ジャスト! きっと…。決まり!。そして頭が小さい8頭身。手足スラリとしてスポーツ万能。ロックバンドでギターなんかやってるかもしれない。そしてバイクの腕はちょっとした男顔負け。週末にはプロダクションレースに出ているかもしれない……。妄想は果てしない。

しかし、なんでこうもバイクに乗っている女の子はかわいく見えるのだろう。いや実際かわいいぞこれは。俺は見逃さなかった。わずかにスモークがかかっているシールドの向こうの道路脇にコンビニエンスストアがあり、そこの光を通して、シールドの中にその子の横顔の輪郭が見えたのだ。

わずかに丸みを帯びた美しい額、そこから一直線に伸びる薄い鼻梁。その下に甘えたように微妙にまくれた上唇が見える。それより下はヘルメットに隠れて見えないが、その情報だけでその女の子がきっと美しいと判断するに充分なものがあった。俺は頭を動かさず、眼球だけを動かしてこっそり盗み見たが、きっと他の奴も同じようにして鑑賞したに違いない。それが確実にアドレナリンとなって場を盛り上げているのだ。

シグナルグランプリはだれにも思うようにはならない。すべて場の持つ総合的なエネルギーが行方を支配する。しかし今夜は妙な懸念はいらない。いい条件がそろいすぎるくらいにそろっている。シグナルグランプリの場は、夏の晩に咲く線香花火に似ている。うまくすれば長持ちし、華やかに火花を散らして大きく長く輝き、その命を全うする。しかしふと持つ手が震えたり、風が吹いたりすると、あっけなく落ちて終焉を迎える。他の線香花火の玉が突然合流してきて大きくなりすぎてもその場を保てない。しかし総じて言えるのは、花火大会のような大輪ではなく、誰知らずどこかでふと始まり、一時その周りをわずかに照らすものの、はかなく散っていく。そんなものだ。トロフィーもなく賞金もない。ましてや人の話題に上ることも記録が残ることもない。もし後に残るとしたら、それは事故でも起こった時だけだ。なのにバイク乗りは、だれしも中毒のようにのめりこむ。それがシグナルグランプリだ。

また信号が青になる。適当な相手を失った俺は、「そうだあの2スト125のオフロード軍団についていこう」と照準を無礼なビートから、自分と同じオフロードタイプの集団に変えて前を見つめた。

次の瞬間、信号は視界の端で青に染まる。俺はすでに信号から焦点をはずし、前にいるSRとスクーターをいかにパスするかに集中していた。

クルマとバイク。この同じ道路を行き交う乗り物はしかし、天と地ほど違う乗り物だ。いろいろな違いがあるが、俺は自分でバイクに乗るようになって気が付いたことがある。クルマのドライバーは空間を埋める物体、つまり他の乗り物を見て運転するだがバイクは違う。バイクを操るライダーは、物体と物体の間に存在する隙間を見て運転している。いつも「どの隙間を走り抜けたらいいのか」だけを考えている。そこがクルマのドライバーとの決定的な違いだと思う。だからクルマとバイクはいつまで経っても相容れない。クルマにとってバイクはいつもズカズカとちょっとした隙間に入り込み、ちょろちょろするうっとうしい存在で、バイクにとってクルマは、邪魔な障害物でしかない。

意外なスタートダッシュを見せたのはFZ250の女の子だった。なんと眠れる獅子、カワサキの直後に付け、無駄な力が入っているふうでもなく冷静に加速していく。猛々しく加速してホールショットを決めたRZが加速する中で、場のエネルギーに触発された4台の2スト250cc、3台の4ストマルチが、カワサキと女の子をぶち抜いて追走、その後に、俺のターゲットである125ccオフロード軍団が続く。俺は、プレスバイクに先行を許したが、その後に付いて加速を続けた。ビートがうっとうしい。耳ざわりな排気音を俺のすぐ後ろでビービーと立てている。しかし時速60キロを超えたころから、だんだんその音も離れてきた。ざまあみろ。こちとら最高で時速90キロくらい出るのだ。しかし逆にSRがす~っと俺に追いすがり、キャブトンマフラーの脈動する低音を響かせてゆっくりと抜いていった。次の信号が迫る。皆派手にシフトダウンして減速する。環八をさっき越えた。ここからはちょっとの間小刻みに信号があってあまり飛ばせなくなる。逆に言えばスタートダッシュ命の短距離走となり、勢力地図が微妙に変化する。健闘したのは250ccのスクーターに乗るアベックだ。あきらかに操縦する彼氏の方はヒートしている。後ろの彼女は恐いのか、前も見ないで彼の背中にしがみついている。

バイクの世界に最近現れたこの250ccのスクーター、油断していると2スト250ccのレーサーレプリカですら出足で負けてしまう。信号間の距離が100~200メートルほどのこの辺りでは、4ストだしタンデムしているとはいえ、出足に優れる250ccスクーターにも勝機は十分にある。それにそのタンデムの彼はこの辺りの信号のタイミングを熟知しているようで、巧みに加減速をして信号のタイミングを計り、誰よりも早く信号を抜けていく。だが、ここまで争ってきた純粋なシグナルグランプリのプレーヤーにとっては、ちょっとやりづらい展開だ。

ただこの少しフラストレーションのたまる区間を抜ければ、首都高速4号線の下を走る区間に入る。ここからは信号間の距離も長く、また環七、環六をパスするオーバーパス、アンダーパスが続き、一気に新宿まで達する。スピードが乗る分、争いは当然ハイレベルになる。この区間に勝機を感じている奴もいるはずだ。2スト軍団などはさしずめその部類だ。そこまでは少しの辛抱だと思っているのかもしれなかった。カワサキは、はなから250ccのスクーターのことは無視しているようにすら見えた。

250ccのスクーターは相変わらず巧みに信号を抜け、ついには皆を置いて1台だけ先の信号にワープしてしまった。彼は彼女に対してさぞかし鼻が高いことだろう。この後の彼の自慢げな話ぶりが目に見えるようだ。

やがて退屈な区間が終り、待望の高速下に入った。ちょうどその区間に入るところから道の中央には上を走る高速道路の橋脚が現れ、広い中央分離帯を持つようになる。その中央分離帯が始まるところには、いつも指揮者のようにクルマの流れに向かって手を休み無く上下に動かしているおじいさんがいることで有名だった。夜昼関係なくパイプ椅子に座って手を振り続けているので、そこを通る者なら知らない者はいなかった。でも今夜は見えなかった。さすがにめしぐらい食べてるのか?、それともどこかで寝ているのか?

ちょっと倦怠感がベールのようにかかり始めた場だったが、思わぬ展開で最後の輝きを得て消滅へと疾走することとなった。その“指揮者おじさん”がいる場所は大きな交差点になっていて、左から鋭角に、高速下の大きな道を迎え入れる。その道が流入してすぐに交差点があるのだが、場を形成する20台以上のバイクは、そこで信号が青になるのを今や遅しと待っていた。

そこから甲州街道は、新宿に向けて最後の高速区間になる。

だいたい今あるこの場の序列は決まっていて、性能を惜しみなく発揮し出した2ストレーサーレプリカ軍団がトップ集団を華々しく形成し、そこにRZが食い下がる。カワサキも控えめながら渋く絡む。そして直後を2スト125オフロード軍団と4スト400マルチ軍団、そしてかのフェーザーの女の子が続く。後はその他大勢だ。俺はというと125ccオフロード軍団に付いていくのは半ばあきらめ、その他大勢のオーディエンスモードに戻ってしまった。だが、場に参加しているという気概は失っていない。

場は共有する全員によって確かに保たれている。触媒である女の子ライダーも投入された。あとは点火の時が訪れるのみ。それはこの信号が青になるときだと、きっと皆そう考えているはず。

そう思った矢先、そこへ1台の爆弾が投入されたのだ。それが調布署辺りから続いて来た俺たちの場に、引導を渡す結果となった。爆弾の名はRZV500。ヤマハがレーサーレプリカ追求の果てに発表した“超”がつく2ストモンスターマシン。乗る者を選ぶ数少ない市販車だった。雨の日など不用意にアクセルを開けると猛烈なパワーでタイヤが滑り、とんでもないことになる、ともっぱらの評判だった。狭苦しい峠道なら250ccのレーサーレプリカに先を譲るかもしれないが、シグナルグランプリなら無敵だ。とくにこの先は1キロほども遮るものがない、かっこうのシグナルグランプリコースだ。RZVは他を威圧するように、しかしそれを操るライダーは慇懃に頭を下げながら、最前列まで上がっていく。どこからやってきたのかは分からないが、おそらく甲州街道に合流する首都高下の道、東京オリンピックの際に開発に着手、三鷹辺りで用地買収がうまくいかず中途半端な状態まま現在に至っていた通称「30m道路」の方からやってきたのだろう。

場にいる皆が不意をつかれたかっこうだった。最前列を占める2ストレーサーレプリカ軍団、RZ、125 ccオフロードマシンの面々は、必要とあれば少しスペースを開けたりして、「これはこれは」といった感じでRZVを迎える。さしものポーカーフェイス、カワサキもゆっくりとヘルメットを動かして視線を送る。

場に足りないジグソーパズルの最後のピースが埋まった感があった。いや、少なくとも俺はそう感じた。

バカバカバカと、ちょっとくぐもったような排気量の大きい2ストマシン特有の迫力のあるアイドリングを響かせながら、まるで最前列に並ぶのが当然のような風情で、しかしそれにだれも異論ないような不思議な空気がそこにあった。ノーマル状態でも超モンスターなのに、このRZVはチャンバーをよりパワーの出る手曲げのYUZOチャンバーに替えていた。その証拠に、元来くぐもったような排気音に、薄い鉄板を爪ではじくような甲高い金属音が混じる。そしてRZの野郎と同じ、植物系のオイル特有の芳香が漂う。

T字に直交する道から黄色信号に駆けこむように最後のタクシーが左折し、これから俺たちが向かう新宿方面に向かって走っていった。場は静寂に包まれた。いや実際はそこにいるバイクのさまざまなアイドリング音、そして回りの喧騒が混ざり合い、とても静かとは言い難かったが、場にいる面々には、音1つない静寂に思えた。これは場の住民全員に共通していたはずだ。あの無作法なビートはどうだかわからないが……。

そして、まるで場の緊張感を無視するように無情にも信号が青になった。その場を形成する皆が、これまでは練習であったかのような勢いで飛び出す。俺もつられて飛び出した。しかしRZVの圧倒的な速さの前に、誰しも口をあんぐりとせざるを得なかった。

猛然と夜目にも透明感のある青白い煙を上げたRZVは、なんと後輪から一瞬だが、タイヤスモークを残して飛び出し、途中3速でわずかに前輪を浮かせて加速、タイミングを逸したRZ、そして好スタートを切った2ストレーサーレプリカのTZR、その後を固める3台、フェーザーの女の子、そして今度ばかりは本気と見受けられたカワサキが必死になって追いすがるのをこともなげにぶっちぎり、そのまま1人だけ1kmほど先の信号を悠々青信号で越えていった。

頭上に首都高速4号新宿線が走るこの辺りは、天井があるような状態で音がこもって聞こえる。それもあってか、RZVの最初野太く、そして昇りつめるにしたがって悲しげに音階を上げていく猛烈なエグゾーストノートは、一帯の空気を響かせ、場のエネルギーをすべて燃やし尽くして去っていった。

RZVの音が去ったところへ、RZや4メーカーの250cc、2ストレーサーレプリカ軍団の甲高い、しかしRZVのそれに比べると圧倒的に薄っぺらい音が、妙に間伸びしてかぶさってくる。RZVに追いすがろうとしたマシンは全てぎりぎりのタイミングで次の信号の青に間に合わず、猛烈な勢いでシフトダウンしてフルブレ―キングして泡を食って止まっている様子が遠くに見える。中でもカワサキは思いっきりスピードを出していたもんだから、リアをなかばロックさせながら、停止線を大きくオーバーして止まった。すべてのエネルギーが、その場から失われていた。

俺はこのセッションを間違いなく、この夏最大最高のシグナルグランプリだと思った。俺は外坂の下宿に向かっていることを半ば忘れかけていたがなんとか思い出し、先の信号で本線を離れ、側道から井の頭通りを渋谷方面に右折した。

展開によっては新宿辺りまで付き合ってもいいと考えないでもなかったが、今やもうこの場に未練はなかった。こんなふうに格別の規模と内容のシグナルグランプリの誕生から成長、成熟、そして完全なる終焉にいたるまでをつぶさに見たことはなく、逆にこの先の残党の争いを見るのは口汚しだと思った。もしかするとこの先、次の信号でまた新たなエネルギーを持った場が形成されるかも知れなったが、俺がそこにいないというだけの話だ。

今この瞬間、また違ったところで今以上の場が形成されているかもしれなかった。それがシグナルグランプリというものだ。

ヒートした心を鎮めつつ、外坂の下宿までのあと少しの静かな住宅街を走る。さっきまでとは違って、狭い住宅街の道をアイドリングプラスアルファほどの低速でゆっくり走る。

ふと、もしあいつが部屋で死んでたりしたらどうしよう、とそれまで考えもしなかったことがアタマをよぎり思わずアクセルを握る手が緩んでさらにスピードが落ちる。いや待てよ、そう仮定したら、これまでの全てのことを説明できやしないだろうか……。などと、すでにあいつにもらったポストカードのことなどすっとんでそんなことまで考えた。しかし、首を左右に細かく振ってそのつまらぬ想像を振り払い、再びアクセルを開けて、外坂の下宿を目指した。

夏とはいえ昼間の熱気はすっかり冷め、半そでの腕に当たる空気はひんやりとしている。グローブをしてこなかったことを少し後悔し始めたころ、狭い路地の奥にある外坂のアパートに着いた。最後はエンジンを切って惰性で静かにアパートの前にバイクを着けた。

外坂が住んでいたそのアパートはとにかくボロく、部屋が奇妙に傾いていた。だから正式な名前は知らないが、俺が「明大前こわれ荘」と命名してやったアパートだ。そのころすでに少なくなっていた入り口に靴を脱いで上がる下宿風アパートで、玄関先に共同の洗濯機があり、入り口脇に共同のトイレがある。そんなアパートだ。

部屋は6畳ひと間、風呂無し。炊事場こそ共同ではなかったが、部屋には一口コンロ付きの小さなタイル張りの炊事場が、まるで「お前はカップ麺でも食ってりゃいいんだよ」と言わんばかりに侘しくついているだけだった。外坂が言うには、多分東京23区で一番安いかも、という月額8千円也のきわめて貧乏なアパートだった。

いろいろすごいアパートだったが、まずもってトイレがすごかった。カチャッと戸を開け、最初の一歩を踏み込んだらさあ大変。まず間違いなく静かな下宿中に響き渡る大声を上げることになる。文字どおり羽目をはずすというかなんというか、入ってすぐの床が抜けていて、水泳の飛び込みの板よろしく床板がビヨヨ~ンと大きくたわんで沈み込むのだ。便器は和式で、つまり男子が小用を足そうとして立つ、ちょうどその位置がヤバいのだ。

だからそのアパートのローカルルールでは、どうやら入り口からピョンと飛んで大便をするときに座る一段高くなったところに大便をする時とは逆向きに立ち、ちょっとかがみ気味に小用を足すというのが正解らしかった。

といっても他の住人や外坂がそうしているのを見たわけではないのだが、どう考えてもそれしか方法がないように思われた。さもなければ、トイレの外、つまり廊下から、長距離砲を打つしかないが、そんなのはあり得ない。もしそのとき誰かが訪ねて来たら、玄関先から砲身が丸見えになっちまう。

最初にこのトイレの洗礼を俺が受けた時、そのワナにまんまとはまり、大きくバランスを崩して恥ずかしいほど大声を出しちまった。奴の下宿を初めて訪れ、外坂とふたりで酒を飲んでいた時のことだ。あせった俺は、どうにか用を足して奴の部屋に戻り、「なんで教えてくれねーんだよ。アブネーじゃねーか」そう奴に抗議すると、「なに?」なんて奴が間抜けな感じでぬかす。「トイレだよ。なんだよあのトイレ」と抗議しても、「あれ、いってなかったっけ?」なんてタタミに寝転んで、「俺たちひょうきん族」なんかを見ながらしれっという。それがまた別に俺をはめようとしてるふうでもない。外坂というやつはそんなやつだ。信用してはいけない。幼なじみなどというのはそんなものなのだ。

まあそんなわけで、その、それまでも何度か行ったことのある明大前のアパートのぼろぼろの門をくぐり、玄関の木戸をガラガラと開けて靴を脱いで上がった。俺自身ここを訪れるのは半年ぶりくらいだった。こぢんまりとした外観からはとてもそうは見えないが、1階に3部屋、2階に4部屋の計7部屋がある。外坂の部屋もそうだが、どれも四畳半ひと間だからこそ、そんなに部屋数が取れるのだろう。

俺はそのころ親の仕送りのおかげもあって、まあまあ新しい郊外のユニットバス付きの1DKに住んでいた。だからことさら外坂のアパートがみすぼらしく見えた。外坂の言うには、俺は岐阜の田舎に生まれたから、この大学の4年間は、家賃を抑えて都会に住むのだということだったが、明大前ってどうよ?と俺は思っていた。だったら新宿か渋谷、青山、六本木に住めや、と思って、半端だな~と思っていた。ま、目糞鼻糞だけど。

見た目45度ほどありそうな階段を、手と足を使って昇り、狭く暗い踊り場で、外坂の部屋である「202号室」のベニヤ1枚のペラペラの扉をノックした。むっとした湿度の高い空気に、汗と木材のニオイが混ざったような独特の臭気が混ざる。ノックに自分のことだと思ったのか、左隣の住人が身じろぐ気配がする。「外坂っ」と小さな声で名前を呼ぶ。すると今度はどの部屋からか、“自分のことじゃなかったのか”とばかりに咳ばらいが聞こえる。不気味だ。静まり返ってはいるが、確かにそこに人が何人か暮らしている。

これまで数回ここを訪れた時はいずれもたいがい酔っ払っていたし、外坂がいっしょだったからそんなひそやかなここの住民たちの“気配”を気にかけたことはなかった。でも今日は全身が耳のような状態だ。わずかな物音が巨大な衝撃波となって襲ってくる。

どこかの部屋からは、わずかにバラエティー番組らしいテレビの音が聞こえる。本当に小さな音だが、今の俺にははっきりと聞こえる。バシャバシャとコンビニ袋をまさぐるような音も別の部屋からか聞こえる。突然俺がすべての住人にのぞかれて観察されているような気になってきた。急に精神のバランスが狂ってまともに考えられない。猛烈に汗が噴き出してくる。もうこの暗く蒸し暑い踊り場にそう長い間立っていることはできない。停滞する湿度の高い空気が俺の全身にまとわり付く。

これが最後と思い、次はドアノブに手をかけて回しながら、「外坂っ!」とさっきより大きな声で呼んでみた。押し殺した囁きではなく、はっきりと声帯を使って発音した。呼んで耳を澄まそうと思った直後、小さな音がした。

いったい何が起こったのか分からなかった。さっき咳ばらいした隣の住民だろうか? とにかく今の瞬間住民の誰かが、声ともいえないタタミの擦れるような音を発したらしかった。

緊張に体をこわばらせながらも、「何て言ったんだろう?」とアタマの中でテープレコーダーを巻き戻すように反芻してみる。

「ザー、ッタタッター」最初は本当に音にしか思えなかった。

次に1音ずつ気を付けて頭の中で再生してみる。

「モーットタイヨー」

今度は人の声らしく解析できた。しかし意味はなしていない。

さらに何度か再生して、パニックになりかけているアタマの中でさらに解析を進める。

「モーズットナイヨー」

「モーズットイナイヨー」

「もうずっといないよ!」

頭の中で音が声となって文章を作り、意味を結んだ。とたん背筋に寒気が走った。よく分からないが、外坂の干からびた死体の口がうつろにパクパクと動いて声を発したような妄想が頭をよぎっちゃったのだ。

いつごろからいないのか? どうしていないのかなんてことは、怖がりの俺には聞けなかった。とたん鼻がツンッ、と音を立てて通り、にわかにその場の臭いが鼻をついた。それはさっきまで感じていたものとは閾値が異なる強烈な異臭だった。古いアパートならありがちなニオイも、俺の頭の中ではすっかり部屋でのたれ死んでいる外坂の映像ができあがり、その異臭は死臭に思えた。

俺はハシゴのように急な階段をなかば踏みはずしながら降り、アパートを飛び出した。入り口で野良猫と鉢合わせをし、猫と俺は同時に甲高い声を上げて飛びのいた。俺はこの下宿で2回目の大声を上げたことになる。まったくお化け屋敷かっていうの、ここは!

結局何の足しにもならないこの結果を、気が重かったがその日のうちに外坂の母親に公衆電話から報告した。自分の恐れからくる妄想を何とか気を落ち着けて取り払い、事実だけを伝えることに努めた。ノックして名を呼んでみたが返答がなく、隣人(らしき人物?)によると、もうずっといる気配がないらしいこと。

だからなんなのだ、といわれたらまったくホントに何の足しにもならない調査結果だが、手短かに外坂の母親に伝えているうちに、さすがの俺も心配になってきた。しかしまさか母親に「もしかして部屋で死んでるかも」なんていえないし……。礼はいってたが、落胆は明らかで、母親としては心配が増しただけだったろう。

しかしやっぱり俺は冷たい人間だ。そんなことがあったのに、また忙しいバイト生活&中型二輪教習所通いを送っている間に外坂のことはまたすっかりどこか脳みそのすみのほうに追いやってそれっきりになってしまった。目下頭を占めているのは北海道ツーリング! それも今の50ccじゃなくて、250ccのかっこいいオフロードマシンで行くのだ!

(了)

(あとがきとして)
最後までお読みいただきありがとうございました!この続きはあるかもないかもですが、もしご要望があれば(^ω^)。

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