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不倫報道ってなんなの?マスハラ、バラハラという概念を考えるとき。

花が咲いているとつい写真を撮ってしまいます。よく何のために撮っているの?と聞かれますが、言葉に窮します。SNSにアップするでもなし、スマホには花の写真がどんどんたまっていきます。春から夏はとくに写真が増えていきますが、noteで用途ができました。

さてさて。また芸能人の不倫報道が世の中を騒がせています。不倫は社会通念上、大きな批判を受けてもやむを得ない行動であり、不倫を暴かれた当事者だけでなく家族・親族など、多くの関係者を巻き込んで日常を一変させます。当事者が知名度の高い人であれば、そのインパクトは計り知れません。

騒動の起点は週刊誌でした。不倫を報じるや、連日連夜テレビがさまざまな方向からこの出来事を取り上げ、インターネットでも数多くの記事がユーザーの関心を惹きつけました。そして、おさだまりのCM契約解除、事務所の処分、番組や作品、イベントの出演中止、、、。影響は現在も進行中です。

当事者も自分たちのしていることが世間に知れ渡ってしまうと、多くのものを失うことになると分かっていただろうに、なぜわざわざ渦中に身を投じてしまうのか?こうした報道に触れるたびにいつも思うことです。

ただ、人は一度情念に突き動かされると、感情の慣性と一部の打算も含めて加速がつき、少々の邪魔などものともせずにかえって当事者たちの心に火を付けることになったりします。人の思いの、ある意味ピュアなエネルギーの強さと制御不能さを感じます。

いえいえ、今回不倫について論じるつもりはないのです。不倫報道で個人的にいつも感じている違和感があります。それは、自らも端っこに身を置くマスコミの在り方です。人気のタレントが起こした不祥事となれば、誰もが知りたがるかっこうのネタです。マスコミがそれを大々的に取り上げるのは、ある意味当然です。存在意義に近いでしょう。

しかも不倫は「だれもが認める不道徳な行為」という社会的コンセンサスがあり、堂々と社会の追い風を受けて子細に報じることができます。そして、これでもかと言わんばかりに当事者に社会的なダメージを与え続けます。それは正義であり、取材対象者が社会的制裁を受けたとしても、すべて身から出たサビ。当然の報いだ、となるわけです。でも、本当にそうでしょうか?

社会的正義を盾に、弱みを持つ人をここまでやり込める権利がマスコミにあるのでしょうか。

僕には、衆人環視の中で後ろ手に縛られた罪人を、完膚なきまでムチ打つ姿に映ります。当事者は社会的信用を失い、経済的にも追い詰められ、二進も三進も行かない状態が何年も続きます。でも、マスコミにそこまで制裁を加えることが許されているのでしょうか?本当に分かりません。

取材に当たる記者の方のモチベーションも知りたいです。「これは報じる意味がある」と義憤に燃えているのか、「これは大騒ぎになるぞ!」と歪んだ功名心に突き動かされているのでしょうか、はたまた単なる仕事と割り切ってドライに対応しているのか、、、。同じマスコミ領域といっても範囲は広く、気持ちを想像することはできません。

ただ、相手が何も申し開きができないことが分かっている圧倒的に強い立場での報道は、企業なら上職の優越的地位を濫用した詰問や命令など「パワハラ」に当たるような行動に当たる気がしてなりません。さしずめマスコミのハラスメントだから「マスハラ」、もしくはバラエティーでの吊し上げなら「バラハラ」といった感じでしょうか。

芸能人はもともと自分を世間にさらす生き方を選んだ人たち。だからひとたび何かを起こせばマスコミの餌食になるのはしょうがない。本当にそれだけで片付けられることなのでしょうか。

同時期に現在進行中の歌舞伎役者の件では、週刊誌報道が生死に関わる顛末の引き金になりました。自分の言動が発端とはいえ、報道による結果的な制裁の力が大きすぎる。僕にはそう思えてなりません。


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