親の知らないところで育つこと
始まりは11年前
ここへ来るといつも想いが詰まってしまう 家族のいろいろな思い出が重なる。
始まりは、東日本大震災が起きた次の年 家族で震災した土地を見に行ったとき
まだ、3号は小学校1年生になったばかり、 覚えたての校歌を歌っていた。
あのときは、何もわからず、ただただ、荒れ果てた土地を、傷ついた街並みやブルーシートに覆われた家々、椅子や机、文房具が散乱する学校などを見て回った。
線路が歪み、田んぼだった土地は、水浸しのまま、海岸線は破壊されたままだった。
まだ、中学生の1号、2号は、その光景に言葉もなく、見渡す限りの悲しい状況を見つめていた。
緊張する場所 常磐道
東北への道は、自宅から7,8時間程度かかる。
往復のどちらかを常磐道を利用する。それは、その道すがらの現在の状態をこの目で確認するために。
現在の放射線量(空間線量率)を測定するモニタリングスポットが設置されており、浪江から常磐富岡の辺りは、数値が2-3μSvを指していた。道から見える畑は緑で覆われているけれど、遠くには立ち入り禁止のバリケードが見え、人気のない家がそのまま残っていた。
5年前に通過した頃は、数多くの黒い袋の塊(汚染土壌)が積み重ねられていたが、今は目につかないように処理、またはどこかに運ばれていったのか。
農作物が作れないとなった畑だったと思われる土地には、ソーラーパネルが太陽の方角を向いていた。
木々が育ち、放置林となって、高速道路からは、あの日見えていた福島第一原発を目にすることはできなかった。
この常磐道を境に、人の住む場所と住めない場所が分かれているかのように感じたのだった。
ときは過ぎ
時は過ぎ、1号は大学生として、仙台に移り住み、いくつかの引越しを経て
社会人兼学生として、そこに暮らしてはや8年。
働きながら、学びながら、地元のミュージカル研究所のメンバーとして、時々参加し、「命」をテーマにした演目を歌い、体いっぱいに表現活動をする。
彼のここでの年月は、ミュージカル研究所の小さいこどもたちから、その保護者や、先輩や先生たちに囲まれて、また、行きつけの喫茶店のマスターにも大切に育んでもらっていた。
マスターにはメニューにないお刺身をよくいただいていたらしい 笑
この夏は久しぶりに彼の出演するミュージカルを家族で観るために宮城県に来たのだ。
https://www.scsmusical.com/SCSミュージカル研究所仙台を中心に創作ミュージカルの公演・制作を行っているグループwww.scsmusical.com
「育てる」という役割が終わったなと、実感したこと
「こんなんやっているけど、観に来る?」 定期公演の数ヶ月前に知らせてくる1号の連絡が母としてはとても嬉しい。
今回は、コロナ前だったから、4年以上前だったのではないだろうか?
あのときは、3月の舞台。お手伝いも兼ねて、他のお母さんスタッフさんに混じって、会場係をやらせていただいた。
会場の場づくり、子どもたちのお世話や誘導、衣装作り、チケット対応、お客さんの誘導などなど、テキパキと動くお母さんスタッフは、みんなはち切れそうな笑顔と元気で溢れていた。そして、「〇〇(1号)の母です」と名乗るとまたまた笑顔で、出迎えてくださり、1号のこれまでの様子をやんややんやとお話ししてくれたっけ。皆さんにたいそう褒められて、また、お世話になり、よくして貰っていて恐縮しっぱなしの私であった。
元々、子どもたちのお世話役はすきであったし、人当たりも良く、真面目だけどウイットに富んだ会話もできる子ではあった。
「この子はもう立派に、新しい仲間(コミュニティ)に参加していて、役割もあって、もう、親の手助けは必要無くなったな。大丈夫だな。」と感じたのだった。
キズナ 「無限∞の島」
一方、3号は、中学生になって、2018.2019の夏の青少年体験交流で、気仙沼大島への体験学習に参加していた
震災時のこと、橋ができる前,できた時のことを語り、島の温かい人との関わりやこども同士での合宿、震災した土地をめぐり探究学習をした
あまり、多くは語らないが、思い出の行きたいところがたくさんあるようだった
「大川小学校には必ず行って」
彼の想いもここでは詰まってしまうようだ
はじめて訪れたここで、私は涙が止まらなかった
もし、私があの日この小学校にいたのなら、何が
できたのだろうか?裏山に逃げる判断ができたの
だろうか?自問自答する私に、彼は静かに歩幅を
合わせてくれていた
ふたりとも、親の私たちが知らないところで、知らない誰かに大切にされ、また、傷つくこともあ
ったかもしれない
子育て中は、子どものことを全て知りたい気持ちもあったが、正直忙しいことをに言い訳に、本人
に任せていることの方が多かった
特に小さい頃は、親ばかりでなく、我が子は他の人に育ててもらっていた時間の方が多いのは間違いない
私の両親、姉、託児所、幼稚園、延長保育の先生、加配の先生、学童の先生、習い事の先生、ご近所さん、スポーツ少年団の保護者などなど
「たて・よこ・ななめ」とはこういうことだったのだなと感心する
さて、3号は、苦しんだ2年間を経て、自分のペースで自分らしく過ごすことを楽しんでいる
テストや部活や自分や家族に苦しんでいたことを、今はサラリと話すことができる
「テストの点なんてどーでもいいってわかったんだ」
「今年は高校生活を楽しむんだ」
それを聞いて、私は肩の荷が軽くなった気がした
もちろん私も、お陰様で聴き役ができるようになっていた それは朝学で学んだこと
彼の好きなお家が「否定しない」「安心安全な場所」であることに徹した日々
彼との残り少ない日々を、面白可笑しく過ごしていきたいと思う育ち直しの日々
さてさて、そんな1号、3号は、夏休みの旅行に一緒に出かけた
1号の希望で、チェコ、オーストリア、ハンガリーと初めての海外旅行へ
2人の珍道中は、どんなだったのだろう、想像するのもまた面白く可笑しいと思っていたのだが
帰国時は予想通りの台風🌀、さらに体調崩してギリギリの状態でいるという2人
決死の覚悟⁈出迎えに行くバカ親のわたし
まだまだ育ち足りないかもしれません
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