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『悲しみとともにどう生きるか』を想像して生きる

私はまだ、心から大切な人を、失っていません。

高校まで6年、一緒に暮らした祖父。幼少期によく遊んでいた幼馴染。
過去を思い返すことも、まめに連絡することもない薄情な私は、いなくなる前から、どこか遠い存在になっていたのかもしれません。

『悲しみとともにどう生きるか』は、大切な家族や愛する人を失った人たちに向けた言葉が綴られていて。私には実感のない、けれども「これから私も失ってしまう」という想像を届けてくれる本でした。

「おはよう」「いただきます」「ありがとう」「ごめんね」「おやすみ」

なにげなく日々を過ごし、子どもたちの成長を喜び、季節が変化していくなかで、私たちはみんな、着実に、死につつあるという事実。

まず、人は生きつつあるとともに死につつある存在であることを忘れずにいたいと思います。ですから、いかに生きるのかとは、いかに死を迎えるのかという問題でもあるわけです。直面しているのは、生だけでなく、死でもある。昔の言葉であれば「生死一如(しょうじいちにょ)」の現実に直面している、というべきかもしれません。(若松英輔 p.80)

母も。妻も。娘も。上司も。今日はじめて会ったあの人も。私も。

だいじにしたい人が増えるほど、幸福に過ごす関係が広がるほど、失うことに向き合うことの寂しさと恐れも大きなものになってくる実感。

「はなれたくない。ずっといっしょにいたい」

そう想える人たちが側にいることの充足感の自覚と、どうしても想像するようになってしまった喪失への恐れ。


しかし人は、闇にある時、最も強く光を感じるのも事実です。
(若松英輔 p.48)

失うからこそ、いまこの瞬間。
今日という日に、目の前にいるあなたと私を慈しみ尽くしたい。

そう思わせてくれる、やさしい想像力を届けてくれる言葉たちでした。

本書をプレゼントいただいたNewsPicksに感謝を。くりかえしくりかえし、生き方とともに向き合いたい大事な一冊になりました。

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